合気道を通じて
男女ともに好成績を残す合気道部。ことしも部をまとめてきた二人が卒業する。安藤圭彦主将(教=神奈川・茅ヶ崎北陵)と鎌田真気女子主将(教=埼玉・聖望学園)。栄光だけでなく、失敗や挫折もあった4年間を振り返った。
高校時代には合気道とは全く関係のないスポーツをしていた安藤。しかし、「高校のときにやり残したことができそうな気がする」と、入部を決意。さらに、初心者でも全国優勝というフレーズも気になったという。厳しい体育会系だと思っていたが、想像と違った。先輩、後輩の仲もよく、OB・OGとのつながりも深い。そのような素晴らしい部の雰囲気のなかで練習に励み、インカレで優勝するレベルにまで成長した。
今季主将を務めた安藤
転機は3年の夏。いままであまりしてこなかった演武競技の受け手をすることになった。先輩の技を受けるので、疲労もたまる。さらに慣れてない練習のため、つらくなったこともあった。それでも、演武の稽古を繰り返すことで、合気道自体がより一層楽しくなった。その数ヶ月後には主将に就任。自分が1年生だった時の主将に憧れ、そんな主将になりたかったという。最上級生となり、基準となる先輩という存在がいなくなり、悩むこともあった。けれども、自分が主将として、後輩に頑張っている背中を見せれば、ついてきてくれると信じた。「本当に、こんな主将についてきてくれた後輩たちに、ありがとうと言いたい」。この言葉が、大変ながらも充実した主将としての1年間を物語っていた。
これからはOBとして、後輩の育成に関わるつもりだ。自分にとっての合気道とは「まだわからない」が、「主将などのプレッシャーから逃げずに最後までやりきったことは、これからにつながると思う」。早大合気道部で過ごした四年間は、今後の安藤の未来を切り開いていくだろう。
一方、中高で合気道部に所属していた鎌田。合気道はなじみのあるスポーツであったが、当初は合気道を続ける気はなかったという。しかし、体育会の部活を見ていく中で、流派が違うワセダの合気道に魅力を感じ、ワセダの合気道部の門をたたいた。入部当初は「すぐ辞めてしまうのではないか」(安藤)と思われていたようだが、持ち前の実力を遺憾なく発揮。下級生の頃から先輩に負けない活躍を続けてきた。たった一人の4年生として迎えた最上級生。「言葉よりも行動で示したかった」という鎌田。人一倍練習することで、後輩たちを鼓舞し続けた。「合気道をしているときは無心になれて、心が楽になる。稽古は楽しい」と笑顔で語る姿が印象的だ。
女子部をけん引した鎌田
4年時の早慶定期戦では、個人としても演舞種目で破れ、チームとしても連覇がストップ。非常に悔いの残る結果となった。最後の早慶戦で勝つという大きな目標が最後の年で崩れ、合気道をすることがつらくなった。「勝たなければいけない」というプレッシャーもあり、合気道を楽しめていない自分がもどかしかった。しかし、監督へ自分の思いを伝えると、監督からは意外な言葉が。「別に勝たなくてもいいじゃないか」。初心に帰り、自分のやりたい合気道とは何なのか、この言葉が考えるきっかけとなった。そして、自分のやりたい合気道というものを意識すると、また合気道が楽しめるようになり、結果もその後の大会に表れた。最後のインカレでは鎌田自身は初となる、乱取個人優勝。団体では優勝を逃したものの、結果を残した。負けてしまった早慶戦だが、大きな収穫を得ることができ、四年間の大会で一番印象に残っているという。
最後に、自分にとっての合気道とはどういうものなのかを聞いてみた。一つは、自己表現のツール。自分の理想、やりたいものを表現するために、努力を惜しまない。その努力で培ったものを表現する機会が合気道、特に演武競技であった。さらに、後輩へのメッセージとして「自分の合気道観を見つけてほしい」と語った鎌田。自分の理想というものを明確に持ち、実現しようとしてきた鎌田だからこそ言えることだ。もう一つは、他人とのコミュニケーションの手段。このことに気づいたのは、ごく最近だという。相手がいるからこそできる合気道を通じて、他人との関わり方を学んだ。今後も、合気道は続けるつもりだ。ワセダの合気道部という舞台からは離れることになるが、彼女の「合気道観」は決して揺らぐことなく輝き続けるだろう――。
(記事 當間優希、写真 大槻竜平)