【連載】パリ2024大会事後特集 第3回 アーティスティックスイミング・和田彩未

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 第3回は、アーティスティックスイミング日本代表の和田彩未(スポ3=長野・上田西)。チームとして5位入賞を果たした初めての五輪を振り返っていただいた。

ーー五輪決定以前は、五輪はどんな存在でしたか

 直接会って「出場おめでとう」と言ってくださったり、メッセージで「出場おめでとう、頑張ってね」というようなメッセージをたくさんいただきました。

ーー五輪が決まって周りからの反響はいかがでしたか

 オリンピックに出た先輩が同じクラブにいたので、 本当にオリンピックという舞台に立てる、立つことがもう自分には遠い世界だと思っていました。オリンピック選手に対して尊敬の眼差しで見ていたのですが、そのオリンピックに自分が出場できるということが本当にもうまずは驚きでした。

ーー五輪を本格的に目指したのはいつ頃でしたか

 大学2年生の時に世界選手権福岡大会に出場したのですが、その大会に出るまでは本当に辛い練習で何度も逃げたいと思った時期がありました。でもこの福岡大会でメダルを獲得した時に、もっと世界の舞台でメダルを取りたいという気持ちが湧いてきました。そこから1年後にオリンピックということで、 オリンピックを目指そうと本格的に思いました。

ーーチーム全体、個人としてどんな目標を掲げていましたか

 アーティスティックスイミングの日本チームではメダルを獲得することを目標としていました。

ーー競技を振り返って

 まずメダルを目標としていたので、5位という結果で終わってしまったことはすごく悔しいのですが、得るものもたくさんあったので、本当に貴重な経験ができたと思っています。ルールに関しては、ルールが変わってまだ2年ほどしか経っていなくて、本当に技の構成や演技をどう作るかというところが難しくて。その中で日本チームはこれだという方針を定めてオリンピックに臨んだんですけど、自分たちが練習していた技が認められなかったことは本当に悔しいですし、もっとできたのではないかという思いはあります。

ーー代表チームだからこその難しさはありましたか

 私が代表に入ったすぐの頃は、代表に入ったばかりの選手と東京オリンピックに出場した選手がいたのですが、その選手たちが合わさって1つのチームとなっていたので、日本を背負う責任の大きさなど1人1人の考え方に東京オリンピックに出た人と新しく入った選手では差がありました。そこが私は新しく入った選手だったので、 元々いた選手の責任の大きさだったりというのを感じることができていなかったように思います。その気持ちの違いという面で、チームがうまくまとまらない時期もあったのですが、合宿や大会を重ねていくうちに、私自身も日本を代表するという責任の重さや自覚というものをしっかり持つことができたので、最終的にオリンピックではすごく良いチームで臨めたと思っています。

ーー3つのルーティーンの中で特に手応えがあったものはありますか

 最終種目のアクロバティックルーティーンでは、ノーベースマークといって、大きな減点なしで自分たちの技をやり切ることができたので、最後の種目でそれができたということは本当にうれしかったですし良かったです。前日の夜にアクロバティックルーティーンの、コーチカードという技を全部決まった順番に並べて技の申請を出すものがあるんですけど、その直前に技の難易度を上げようという話になりました。今まで練習ではやっていなかったリフトという、人を持ち上げる動作で半回転を増やすというちょっと難易度を上げる構成にしました。

ーー五輪ならではの緊張感はありましたか

 たくさんご声援をいただいて、すごく力をもらったんですけど、オリンピックの規模の大きさなどを考えると、本当に緊張はすごくしていて。夜の7時半からだったんですけど、その日はもう朝から緊張しているぐらい私は緊張していました。同じチームの先輩に朝なのに緊張しているということを話したら、その先輩から「この緊張はオリンピックの舞台でしか味わうことができないし、その緊張もすごく貴重な経験だから、その瞬間を楽しんだらどう」ということを言われて、確かにそれが自分の中で納得して、緊張はそんな毎日するものではないのでこの瞬間を楽しんでやろうと思い、その緊張の時間も楽しみながら競技に臨みました。

ーー五輪中、特に影響を受けた人はいますか

 本当にたくさんの方が支えてくださっていて、 チームメイトや先生、トレーナーの先生、スポンサーの方だったりという本当にたくさんの方に支えられてオリンピックに出場できたんですけど、同じチーム内のリーダーである先輩が本当にチームをうまくまとめてくださっていて、その時の私にはできないことだったので、チームのリーダーの先輩にはすごく尊敬しています。

ーー五輪中はどのような暮らしでしたか

 やはりオリンピックは他の大会と全然違う大会だなということを肌ですごく感じました。具体的に言うと、プールの会場の雰囲気だったり、他の大会にはない選手村などがあることでよりオリンピックだっていうことを感じさせてくれました。自分の競技が終わるまではあまり他の選手と交流はできませんでしたが、私は閉会式に参加できたので、 閉会式の時に他の競技の選手とお互いの競技のことなどを話すことができて、そこはすごく刺激を受けました。

ーー閉会式の雰囲気はいかがでしたか

 会場全体が満席になっていて、会場全員で歌を歌う時間があったんですけど、その時の本当に合唱というか、もうみんなの声量というか、本当に会場が揺れるぐらいの声量の歌を全員で歌ったことが本当に今でも印象的なことです。

ーーこれからのアーティスティック・スイミングの普及に向けてなにか考えていることはありますか

 まだそこまで考えついてはないんですが、 プールのイベントなので、私が演技することでそこの子供たちがアーティスティックスイミングはこういうものなんだ、綺麗だなとか、やってみたいなっていう思えるイベントや機会があったら良いなとは思います。

ーー家族への感謝の言葉はありますか

 オリンピックに出場できたのは本当に家族が辛い時に支えてくれて、家族が大きな存在だったので、まずはありがとうという感謝を伝えたいです。あとは自分がオリンピックという舞台で戦えて、その自分の戦ってる姿を見てもらって、本当にもう自分の集大成というぐらいの舞台だったので、その舞台を見に来てもらってうれしかったです。

ーーオリンピックを一言で表してください

 自分自身の成長ですかね。本当に色々な面で自分を成長させてくれたのがオリンピックだと思うので、この経験を自分の今後の人生に生かしていきたいと思います。

ーー早大への思いを聞かせてください

 まず、設備的にプールが所沢キャンパスにあって、そのプールでしっかり自分の練習ができるということが本当に整った環境の中でできて1つ良かった点です。また、 水泳部に所属しているんですけど、その水泳部の監督であったり選手であったりという本当にたくさんの方が支えてくださったので、そこは感謝しています。

ーーファンの方へメッセージをお願いします

 いつもご声援ありがとうございます。 目標としていたメダルを獲得することができず、悔しい結果となってしまいましたが、 皆様のご声援のおかげで最後まで諦めずに戦うことができました。本当にありがとうございました。

ーーありがとうございました!

(取材・編集 大村谷芳)

◆和田彩未(わだ・あみ) 2003(平成15)年6月30日生まれ。162㌢。長野・上田西高出身。スポーツ科学部3年。パリ五輪の閉会式に参加した和田選手。会場が一体となり合唱した際の景色や雰囲気が印象に残っているそうです!