【連載】パリ2024大会事後特集 第2回 競泳・鈴木孝幸

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 第2回は、パラリンピック競泳で金1、銀2、銅1の計4つのメダルを獲得した鈴木孝幸(平21教卒=現ゴールドウイン)。5回目のパラリンピックとなった今回の大会の振り返りと、今後の目標について語っていただいた。


これまでの取り組みが生きて、パリでは自己ベストを出せた

五輪・バラリンピック報告会で大会を振り返った鈴木

――前回の東京大会は5つのメダルを獲得されて、大会記録も更新されました。東京大会はご自身の集大成だったとお聞きしましたが、今回のパリ大会はどのような思いで臨まれましたか

 東京大会を集大成とするとは言っていなかったんですけど、 メディアの皆さんがそういう風な感じで、5回目だし集大成だろうということなんでしょうけど、 言ってくださって。でも、自分でも年齢的に最後かなという気はしたんですけど、集大成っていうと、もうそれがマックスみたいな感じになるじゃないですか。そういうつもりはなくて、 もしかしたらまだ納得いかないところがあったりしたら、次のパラリンピックまで出られないとしても、それ以降の国際大会とか主要大会で目指していくんだろうなぐらいの感じで、東京大会の時はやっていました。

 東京大会では一応パラリンピックレコードを出せたんですけど、 自己ベストの方が出なかったので、東京パラリンピック以降続けるなら、そこをちょっと目標にしたいなというところはあって。短距離の50メートルと100メートルの種目にちょっとフォーカスして、取り組んでいました。結果、ベストは全然パリまで出なかったんですけど、そこまでの取り組みとかが生きて、パリ大会ではベストが出せたっていう感じです。パリに向けては、出るからにはメダル取りたいなという風に思いましたし、自己ベストを狙っていたので、そこも出したいなという気持ちで臨んでいました。

――パリ大会に出場すると決めたきっかけ、タイミングは

 決めたタイミングは去年の年明けぐらいだと思います。それまでは自己ベスト云々もそうですし、あとは東京大会で見てくださる方が増えて、その後すぐ辞めて引退しちゃうと、そういった方たちも離れていってしまうんじゃないかっていう思いもあったので、そういった人たちにも泳いでるところをお見せしようというような気持ちで、 1年1年とりあえずやっていこうと思っていました。

 でも本格的にパリが近づいてきて、このままではいけないなという風に思って、日本でもコーチにお願いするようになったのがちょうどそのぐらいの時期で。その時もパリに出ますっていう感じよりは、当時まだちょっと肩も痛かったので、そのコーチにもトレーニングを見てもらいながら、肩の痛みもうまく取れていけるようだったら、パリを目指してトレーニングしようという感じでやってました。それがだんだん痛みがなくなっていって、どのタイミングで やっぱり目指そうって思ったっていうのはなかなか言いづらいので、 大体去年の1月っていうのを、聞かれた時には話しています。

――改めて、個人種目ではどのような目標を掲げて臨まれましたか

 先ほどと重なりますけど、自己ベストをしっかり出すというのが目標でした。かつ、出るからにはしっかりメダルを取りたいと思っていたので、メダルももちろん狙っていました。どの種目もランキングで同じところにいたので、どれかで金メダルは狙いたいという気持ちでやっていたんですけど、直前になって、平泳ぎが 1番狙えるのかなっていうような感じになってきたので、そこからは平泳ぎで金メダルを狙うっていう意識を持って最後調整しました。

 

一遍の曇りもなくスタート台に立てた

――今回は6度目のパラリンピックでした。パラリンピックならではの特別感、緊張感はありましたか

 ありますね。やはり会場がまず大きいのと、 そこに周りのお客さんがいるというところが1番の違いかなと思います。なかなか想像しづらいかもしれないんですけど、サッカーとか野球とかで聞くようなああいう声援がこだましてる中レースするっていうのはすごく特別ですし、パラリンピックでしか経験できないなと思います。特に東京大会が無観客での開催だったので、8年ぶりに有観客のパラリンピックで。初日はダイレクトファイナルだったので予選はなかったんですけど、初日の予選の競技とかを実際会場の裏でトレーニングしながら聞いてて、「これこれ!」と思いながら練習してました。

 過去の大会もちょっと思い出しつつ。会場も大きくて、360度観客席があるみたいな感じだったので、どこからもこう、歓声が聞こえるみたいなのもすごく久しぶりで。リオも似たような感じだったと思うんですけど、 すごく興奮しました。

――有観客だったからこその緊張感とかもありましたか

 ありますね。ただ、自分はどちらかというと、そういう緊張を味方にできるというか、お客さんがいた方が燃えるタイプなので、それはプラスに働いたとは思いますけど、やはり緊張は緊張しました。

――今大会4つのメダルを獲得されました。今大会のご自身の結果を振り返って

 やはり1種目めの50メートル平泳ぎで無事に金メダルを取れて、しかも自己ベストも 16年ぶりに更新できて、そこがうまくはまったことで、その後もいい連鎖が続いていったような感じがしてます。いいスタートダッシュが切れた感じでした。あとは200メートル自由形は、先ほども言いましたけどちょっと短距離にフォーカスしてたので、1番トレーニングができていない種目でした。

 あと、周りの選手がすごい速かったので、エントリータイム自体から見ても正直メダルはそんなに期待していなくて。表向きはちゃんとメダル狙いますと言いつつ、 実際1番難しいだろうなとは思ってやってたんですけど、それもメダルが取れて。しかも0.03秒差でなんとかかわして取れたっていうのが、自分にとってもチームにとっても、大会の後半戦の初日のちょうど折り返しでメダルが取れたのはすごい良かったです。どの種目も印象には残ってますけど、特にその2つは印象に残っています。

――50メートル平泳ぎで自己ベストを更新された要因は

 色々うまくはまったので、それが全部良かったと思うのですが、 調整もすごくうまくはまって、ピーキングもしっかりやっていました。 アミアンっていうところで事前合宿したんですけど、そこでのタイムもすごい良かったですし、 自己ベスト狙うなら本番の何日前で大体このぐらいのタイム出てほしいなっていうようなタイムとかがちゃんと毎回クリアできたので、すごく自信を持って大会本番にも臨めました。体重の管理とかも栄養士の方にご相談しながら、0.5キロ以内で推移できて、 しっかりとキープできますし、ウエイトトレーニングもしっかりできて、 それこそ最初に方に言ってた肩の痛みも全くなく、泳ぎの方に集中できました。全てが色々うまくはまってほんとに自信を持って、一遍の曇りもなくスタート台に立てたっていう感じですかね。

――いろんなことがうまくはまったのは、これまでのパラリンピックの経験があるからこそでしょうか

 今回と比べると今までが全然うまくいかなかったんです。 出したいところでタイムが事前にあまり出なかったけれど、それを受け入れてやらなきゃいけなかったりとか。本当に今回は過去一でうまくいったので、今までの経験ももちろん生きてますし、パラリンピックは選手村で生活するんですけど、自分の想定通りに行かないことって多々あるので、それをどういう風にこういなしていくかっていうか、気持ちの中でこうストレスを溜めずに生活するかっていう部分は、すごく今までの経験は生きてるかなと思います。特に今回は初めて8人部屋でみんなで生活して、しかも10代の選手もいて、めちゃくちゃ汚い部屋で生活することになったんですけど、そこでストレスを溜めずに生活できましたし、 うまくチームメイトとも動けれたかなと思います。

――パラリンピック中の他の選手の方との交流や、選手村での暮らしはいかがでしたか

 今回結構楽しく過ごせたなとは思います。ただ自分の障害に絡めて言うと、6大会出て、1番宿舎と食堂の距離が遠かったり、ちょっと坂を上らないといけないところがあったりして、でもそこはいろんな人にサポートしてもらいながらやれてました。自分はよく選手村ってディズニーランドに例えたりするんですけど、 すごく入った瞬間遠い世界に踏み込んだような、そんな感じがしてるので、毎回楽しく基本的には過ごせたなと思います。

――今大会、リレーにも出場されました。リレーはどんな思いで臨みましたか

 リレーは全てぶっちゃけてお話すると、1番最初依頼があった時は出たくなかったんですよね。東京パラの翌年にマデイラの世界選手権かなにかで、リレーが組めたら出たいみたいな感じで、他の選手もそれで一緒に出ましょうみたいなこと言ってくれたんですけど、記念で出るのが本当に嫌で、 やるからにちゃんと結果残したいし、メダルを狙っていかないなら出たくないっていうのがあったので。しかも肩が痛いっていうのもあって、無駄にレース数増やしたくないっていうのがあったので、最初渋ってたんですけど、他の選手がパラリンピックでメダルも狙っていきたいですというようなことを話してくれて。みんながそこまで本気なら、ちょっと僕も頑張りましょうっていう話で、リレーを組むことになったのがまたその翌年なので、パリ大会の1年半ぐらい前でした。

 自分も、 自分にとって1回目のパラリンピックだったアテネ大会はリレーメンバーに選考してもらって、自分がそのリレーメンバーの中では最年少でしたけど、先輩選手たちの力を借りてリレーでメダル取れたっていう経験もあって。それがパラリンピックに対する意識が変わった瞬間でした。遊びじゃないというか、部活の延長じゃないんだっていうのをそこで知ることができて。今度は最年長のリレーメンバーになりましたけど、他の選手は個人種目でメダルが狙える位置になかったので、 他の選手たちには本気でメダルを狙うという思いがちょっと希薄な部分があったんです。でもそこをしっかりと一緒に練習していく中で身につけていってもらって、本気でメダルを狙って挑戦していく。そこからいろんな学びを得てくれたらいいなというような思いでやりました。

 結果は僕だけ良いタイムが出て、みんなだいぶ悪かったんですよ。ここが難しいところなのかもしれないんですけど、パラリンピック本番でメダルを意識してレース出る時にちゃんとベストパフォーマンス出せるかっていうのが、今度彼らの課題なのかなと思うので、そういったところに気づいてくれたら。それだけでも少し収穫があったかなという風に思ってますが。そんな思いでリレーは出ていました。

 

選手村での生活で感じたこと

――今大会の競技の部分とそれ以外の部分を含め、パリパラリンピック全体を振り返って

 すごく良かったとか、そういう主観的な話でいくと、やはり久しぶりの有観客で、しかも予選から本当に満員のお客さんで。そういう競技会にちゃんと出れて、ベストを出せて、結果を残せたっていうのは本当に気持ちよかったですし、自分が目指してたものがクリアできたのですごく満足、充実感もあります。メダルとかそういったもののデザインもかっこいいし、重みもありますし、そういったのも含めて、競技においてすごくよかったなといい印象ばかり持っています。すごく気持ちのいい空間でした。

 他の生活面も先ほどと重なるところもあるんですけど、基本的に選手村の生活は好きなので、基本的にはポジティブに受け止めてました。今回の1つのコンセプトとして、サスティナビリティを打ち出して、ペットボトルが少なかったり、お皿が陶器で使い回せるようになってたり。パラの方ではほぼなかったですけど、オリンピックの方ではフードロス対策もしてたので、最初の方は人気の食品が品薄になって、食べたくても食べれなかったみたいな問題もありましたけど、そういったいろんなこう取り組みをしていて、それに関しては良し悪しあるなというのが自分の実感です。

 もちろん世界的な取り組みでもあるし、やった方がいいというところには賛成なんですけど、障害者ならではの大変さもあって。例えば、ペットボトルを少なくするっていう試み自体はいいんですけど、 マイボトルを持ってくということは、自分でこうボトルを洗っていかないといけないわけなんですけど、障害によってはそれが難しい人もいますし、全盲の障害とか視覚障害の人たちはどこが汚れてるかとかもチェックしづらかったりするので、すごく衛生的に不安ですというような選手もいました。食堂のプレートが陶器になるのもいいんですけど、 自動の洗浄機の中に入れてるだけなので、すごく汚れが残ってるお皿とかもたくさんありましたし、トレーが滑りやすいこともあって、落として割ってしまう人もいて、そうするとその破片で車椅子がバンクしたりとか、2次的な被害もあるので方向性としてはいいと思うのですが、やはりやってみてどういう風に両立していくのかっていうのは今後考えていかないといけないのかなという風に思う部分はあります。

 

 ボランティアの方も優しかったですし、 基本的に生活する上では良かったとは思います。オリンピックの方でちょっと盗難があるっていうのも聞いてたんですけど、実際パラの方でも盗難未遂があって、日本選手なんですけど。清掃の人かなんかが未遂を犯して、その人逮捕されたとか聞きました。ただ自分たちのところではそういう被害とかもなかったので、とりあえずは生活する上でよかった経験の方が多いかなとは思います。ただ、わざわざ前回と比較するなら、東京の方がやっぱり良かったとは思います。ボランティアの人が盗むとか、そういったことは心配する必要もなかったので、そういう安心感はやはり自国開催で自分がわかってる大会の方が良かったなと。食事も口に合うものばかり出てきたので、それは自国開催の利点でもあるんですけど、それ以外の大会と比べたらそんなに変わらない感じでよかったと思います。

――パラを終えて特に感謝を伝えたい人は

 たくさんいますね。選べませんね。家族はもちろん、コーチとかトレーナーとか身近で支えてくれている人ももちろんですし、それこそ会社の人とかもそうですし、坪井さんなんか特にお世話になっていますから、お礼を言いたい人の1人ではありますね。あと、それ以外でいうと、やはり応援してくださる人も増えて、しかも3年間継続して応援してくださった方とかもいるので、そういった人たちには感謝したいなと思います。

 自分がどこで引退するかとかは分かりませんけど、自分が辞めても、その競技とか他の選手も含めていっぱい活躍する選手がいるので、引き続き応援してもらいたいなというふうに思いますね。 言い出したらもう本当にキリがないです。色々関わってくださる全てにお礼は言いたいんですけど、もう年を重ねるごとに支えてくださる方がどんどん増えているので、その皆さんに感謝はしていますね。本当は皆さん1人1人にメダルを見せてご報告したいんですけど、なかなか難しいです。

――パラ競泳をさらに発展させるために今後どんなことを

 東京大会が自国開催だっていうこともあって、本当にメディアの報道が多かったので、そこと比べるとやはりパリ大会はちょっと物足りなかったという印象は持っています。他の方からもそういうご意見いただいたりはしました。ただ、6大会通して見ていくと、徐々にパラリンピックの放送とか報道というのも増えていきましたし、 それまではスポーツとして見てもらえていなかったところが、もう今はスポーツとして認知されてきていますし、またさらにパラリンピックの価値とか意義とかというところまで話が進んで報道されるようにはなってきたので、進んできてはいるのかなと思います。

 東京大会のレガシーみたいなのも、よくレガシーという言葉だけは色々聞くんですが、 実際に皆さんのこのパラリンピックに対する人気度とか、多様性の光などが東京パラリンピックが1番のインパクトを持っていて、あとしりすぼみになってしまうとレガシーとして機能してないのかなと思うので、そこは今後どんどんむしろ発展させて行かなければいけないんじゃないかなとは思ってはいます。

 ただ、私1人ではなかなかできない部分なので、やはりメディアとか、力の持っている人たちの手助けと言いますか、 そういったものは非常に大事だと思います。なので、そういった訴えは選手としてしていきたいなと思っていますし、自分でできることとして、今度秋に水泳大会を企画しているんですけど、インクルーシブで健常者も障害者も出れるような大会にしたいなと思ってやっています。そういったイベントを企画したり、誰かのイベントに参加したりメディアの露出を増やしたりとかはやっていきたいなと思っています。自分に実際どういったことができるのかというのは、まだ手探りな部分はあるんですけど、手探りの中で色々やっていきたいと思っています。

――新しいことは何か始めるか

 楽器演奏は本当は定期的にあげたいなというか、趣味なので趣味をあげたいなと思ってたんですけど、意外とあれで使う筋肉が水泳の邪魔になったっていうか、日頃使ってない、水泳でも使わない筋肉なので、筋肉痛というまではいかないけど、張りが強く出てしまうというのがあって。なのでパラリンピックまではやらないようにしてたんですけど、終わったので少しずつ解禁してやりたいなとは思っていますね。

 あと、一応将棋も趣味なので、オンラインでゲームしたりしてますけど、将棋の繋がりでなんか色々できたらいいなと思ったりもしています。全然弱いんですけど、パラ水泳の中では強い方なんです。今回合宿でも結構将棋やってくれる子たち増えて、事前合宿で、10代の子とかが将棋覚えてくれて、結構将棋さしてくれていたのてままずチーム内でも普及活動したいなって思いますし、将棋と関われるイベントがあったらすごくうれしいなと思っています。

――今後の目標

 アスリートとしてはもう少し時間をかけて考えていきたいなとは思っています。ただ、今年度いっぱいはひとまずしっかり泳ぐというのはパラの前から計画していたことなので、国内の大会は出つつ、その中でそれ以降の活動については考えていきたいなと思っています。それ以外のところだと、さっき言ったようなかたちで活動していく いうのもそうですし、それ以外でいくと、IPC(国際パラリンピック委員会)のアスリート委員は今回落選したので2期目はないんですが、パラ水泳連盟のアスリート委員をやっていたり、JPC(日本パラリンピック委員会)のアスリート委員をやっていたり、あとはJPCに出航していたりとか、そういったかたちでパラスポーツに関わるようなことをしているので、一選手として意見を伝えたりとかというのはできるかなと思っています。そういったことも含めてやっていこうと思っています。

――早大生へ

 自分は、よくも悪くも水泳を当時の早稲田の学生の時からもちろんやっていましたし、当時は北京パラリンピック目指して練習していたので、すごく水泳が占めるウェイトが大きかったんですけど、今もそうなのかどうかわかりませんが早稲田の学生って良い意味でクレイジーと言いますか、なんか本当に自分が興味を持ってないようなところにまで興味を持っている方がいっぱいいたり、すごくニッチなところにめちゃくちゃこだわってる人がいたり、本当に面白い人たちが集まってるなという印象があります。 なんか毎日下駄履いて登校してくる人とかいましたけど、今もいますか。(笑)いちいち大隈さんの像にめちゃめちゃ大きい声で挨拶して、一礼してから入っていく人とか、本当に当時はいっぱいいてすごく興味深かったんですけれど、でも本当にいろんなバックグラウンドを持って集っているので、そういう人たちとの経験というのは、本当にかけがえのないものになるだろうな思います。

 自分は水泳がなければ、もっともっと時間を使いたかったなっていうか、作りたかったなと思いますけど、ぜひ皆さんにそういった人たちとの繋がり、経験、時間っていうのをすごく大切にして卒業してから自分の人生観だったり活動に生かしてもらえたら、すごくいいんじゃないかなと思います。あとは、もしよければ、引き続きパラスポーツの方にも興味持ってもらったり、パラリンピックとかパラ競技の方にもこう興味を持ってくれたりするとうれしいなと思います。

ーーありがとうございました!

(取材・編集 神田夏希)

 

◆鈴木孝幸(すずき・たかゆき)
1987(昭62)年1月23日生まれ。静岡・聖隷クリストファー高出身。2009年教育学部卒。楽器演奏と将棋が趣味だという鈴木選手。事前合宿でチームの皆さんに将棋を教えたそうです!