【連載】『エンジの鼓動』 第3回 渡辺康幸氏

特集中面

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 「天才ランナー」として注目を集めた渡辺康幸氏(平8人卒=千葉・市船橋)。第69回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)では、1年生ながら「花の2区」を任され、首位でもらったタスキを守り抜き、早大の総合優勝を支えた。「三羽烏」との関係性や現役時代のエピソード、そして監督・解説者として箱根駅伝に向き合う現在の思いについて伺った。

※この対談は11月23日にオンラインで行われたものです。

ーーまずはじめに自己紹介をお願いします

 平成8年卒、現在は住友電工の陸上競技部で監督をしております、渡辺康幸です。2004年から2015年まで 早稲田大学競走部の駅伝監督を務めました。(住友電工の)陸上競技部の監督以外では、公益財団法人日本陸上競技連盟の長距離部長や、多くの駅伝レースの第1中継車で解説も担当しています。

ーー渡辺さんが早大に入学された際、先輩である「三羽烏」の櫛部さん、武井さん、花田さんに対する印象についてお聞かせください

 特に武井さんと櫛部さんは高校時代のチャンピオンで実績があったことや、高校の時の遠征も一緒に日の丸をつけて行っていたことなどから、憧れの先輩でもありライバルでもありました。

ーー大学に入学してから印象の変化などはありましたか

 お三方それぞれと非常に仲が良く、切磋琢磨しながらみんなで強くなっていった記憶があります。特に、プライベートでも仲が良かったのは櫛部さんです。

ーー「三羽烏」のお三方との思い出で、特に印象に残っていることはありますか

 寮生活でしたので、それぞれの先輩と同じ部屋になったことがあります。性格としては武井さんは大ざっぱな印象、 花田さんは繊細な印象がありました。櫛部さんはいつも寮におらず、どこかに行っていることが多かったと思います。

ーー現在もお三方との関係は続いていますか

 もちろん関係は続いています。プライベートでも食事をすることはあります。陸上の仕事の現場でも会いますので、昔と変わらずコミュニケーションを取っているという感じです。特に櫛部さんや花田さんは、現在大学の監督をやっていますので、よく会います。

ーー次に69回箱根駅伝の質問に移らせていただきます。第69回箱根駅伝を個人として振り返ってみていかがですか

 私にとって初めての箱根駅伝でしたので、緊張と何も分からないまま終わってしまったという印象があります。また、初めて23キロを走らなければならなかったので、不安を抱えながらスタートラインに立ったなという記憶があります。エース区間に1年生で抜擢(ばってき)されて、先輩の分まで走らなければいけないという使命感が芽生え、プレッシャーに何とか耐えながらレースをしたという感じです。

ーーチームとして第69回箱根駅伝を振り返ってみていかがですか

 3年生以下にとても力のある選手がいて、4年生が非常にまとまっていた記憶があります。チーム全体としてもまとまっていたと思います。

ーー当時山梨学院大にいたステファン・マヤカさんとのライバル関係が挙げられますが、大学1年時の箱根駅伝でもライバルとして意識されていましたか

 高校時代からライバル関係にあり、大学に入ってからもそのライバル関係は続いていたので、意識はしていました。

ーーマヤカさんにはどのような印象を持っていましたか

 高温多湿のような悪いコンディションになった時に彼の強さというのはすごく発揮されたなという記憶があります。高温多湿の気候になるとどうしても日本人は強くないのですが、彼の場合は悪条件に非常に強かったという印象があります。

ーー第69回箱根駅伝以外で思い出に残っている箱根はありますか

 第71回大会の「花の2区」で区間新記録(1時間6分48秒)を樹立したことです。これが一番思い出に残っています。1時間7分34秒という区間記録を日体大の大塚正美さんが持っており、その記録がなかなか破られていなかったので、それを更新したいという思いでスタートラインに立っていました。

ーー区間記録を切ることを目標にして走ったら、結果的に6分台を記録したということでしょうか

 6分台を目指してはいましたが、6分台を出さなければいけないということを、プレッシャーに感じてしまうと良くないと思っていたので、1時間7分34秒を破るという方を目標にしてました。

ーー第87回大会で、駅伝監督として箱根駅伝で優勝を経験されましたが、駅伝監督として優勝された喜びは、選手時代とどのように違いましたか

 駅伝監督に就任した時にチームが低迷しており、最初の3、4年は苦労してチームづくりをしました。ですので、駅伝監督になってからの優勝というのは格別でした。選手時代よりも嬉しかったです。

ーー一般受験で入学した選手のたたき上げがなくなったら、早稲田が早稲田ではなくなるという渡辺さんの思いは今も変わらず続いていますか

 もともと他の大学に比べて推薦の枠に限りがあり、一般受験の選手や付属校出身の選手の育成をしないと層の厚いチームがつくれないということがあります。一般受験で入学した選手は、受験を経験しているので苦労人が多いです。 そのような選手たちが競技に一生懸命向き合う姿勢は、チームにプラスになることばかりです。推薦の選手だけでメンバーを組むより、一般受験で入学した調子の良い選手をメンバーに加えた方が、チームが引き締まるのではないかと思っています。

ーー今年の早大競走部で特に注目している選手について教えてください

 エースの山口智規(駅伝主将、スポ4=福島・学法石川)くんと山登りの工藤(慎作、スポ3=千葉・八千代松陰)くんです。この2人のようなエース格の選手たちが区間新記録を出したり、区間賞を取ったりしてチームを勢いづけるということが、早稲田の(箱根駅伝の)優勝に絶対に欠かせないと思っています。

ーー今年の早大競走部に期待していることについてお聞かせください

 戦力的には(箱根駅伝で)往路優勝が可能な戦力だと思うので、全力で取りに行ってほしいと思っています。そして、往路を優勝することによって流れを引き寄せて、復路をいいかたちで入っていってほしいと思います。

ーー三大駅伝を解説されている渡辺さんから見た、来年の箱根駅伝の展望についてお聞かせください

 出雲(出雲全日本大学駅伝選抜)は国学院大が優勝し、全日本(全日本大学駅伝対抗選手権)は駒大が優勝しましたが、箱根駅伝はそれらの大学以外では、青学大や中大が強く、この4つの大学に早大を入れた5強だと思います。それぞれの大学の力が非常に拮抗(きっこう)しているので、1位から5位は、一つの区間ですぐに順位が変わってしまうくらいの混戦になると予想します。一歩間違えれば、優勝を狙うチームが5番になる可能性もあります。また、シード争いに限って言えば、6番や7番を狙っているチームが15番になってしまうくらい各大学の力が拮抗していると思います。

ーー 最後にお三方へのメッセージをお願いします

 花田監督は、母校の監督業は非常に大変だとは思いますが、伝統校としてのプレッシャーに負けないように頑張ってもらいたいです。早稲田愛がすごく強い方で、選手にもその愛情を注いで強いチームをつくってもらいたいなと思います。

 櫛部監督は、城西大で最新のトレーニングを取り入れ、チームを強化しています。現在の城西大はシード権を取るのは当たり前のチームで、5強を崩すくらいの戦力はあると思うので、箱根駅伝で良い結果を残せるように期待しています。

 武井さんは今、陸上のクラブチームを立ち上げまして、そのトップで一般の方に陸上の普及活動をやられています。現役時代に養った自分の持っているノウハウを教えていただければいいなと思っています。

※スペシャル企画の詳細に関する記事は後日掲載いたします。

ーーありがとうございました!

(取材・編集 石本遥希、鶴本翔大)

◆渡辺康幸(わたなべ・やすゆき)

1973年(昭48)6月8日生まれ。千葉・市船橋出身。平8人間科学部卒。1996年アトランタ五輪日本代表。2004年~2015年早稲田大学競走部駅伝監督。2011年指導者として箱根駅伝総合優勝を達成。2015年~住友電工陸上競技部監督。