【連載】『エンジの鼓動』 第2回 櫛部静二氏

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 「表情はうつろ」ーー1年時の失敗から2年後、1区を区間新記録で走り抜け、第69回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で、早大の総合優勝に勢いをもたらした櫛部静二氏(平6人卒=山口・宇部鴻城)。「三羽烏」の一角を担った男は、選手として、そして監督として誰よりも「タスキ」の重みを知る存在だ。そんな櫛部氏が語る母校への思い、そして第102回大会への決意とは。

※この対談は10月28日にオンラインで行われたものです。

ーーまずは自己紹介をお願いします 

 現在、城西大学経営学部で教員をしております、櫛部静二です。よろしくお願いします。

ーー早大入学当初の、他の「三羽烏」である花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)、武井隆次さん(平6人卒=東京・国学院久我山)についての印象についてお聞かせください 

 武井とは、高校時代からさまざまな大会や遠征に一緒に行っていたので、気の知れた仲でした。早大に入学する直前も一緒に海外の試合に出ていました。ですから私と武井は少し遅れて1年生のグループに合流した記憶があります。一方、花田とは入学してから仲が良くなったという感じです。高校時代は、(花田が)1500メートルが速い選手であるということは知っていました。

ーー渡辺康幸さん(平8人卒=千葉・市船橋)が入学してきた際の印象について教えてください

 渡辺も武井と同様に大学入学前から仲が良かったです。(渡辺と)初めて会ったのは、世界ジュニア(世界ジュニア陸上競技選手権)だったと思います。その後もさまざまな試合で会っていくうちに、仲良くなっていきました。 

ーー大学入学後に、花田さん、武井さん、渡辺さんのそれぞれに対する印象の変化はありましたか  

 入学前からお互いを知っていたので、特に変化はありませんでした。 

ーー3人での思い出で、特に印象に残っていることはありますか 

 親しい存在すぎて、逆に覚えていません(笑)。本当に付き合いが長く、いろいろなことがありすぎて、忘れてしまいました。そのあたりの記憶力は、花田が一番優れていると思います。

ーーでは、第69回箱根駅伝の質問へと移らせていただきます。まず、第69回箱根駅伝を個人として振り返ってみていかがですか  

 私は2区を走りたかったのですが、1、2年生の時にうまくいかなかったので、2区を走らせてもらえませんでした。瀬古(利彦、昭55教卒=三重・四日市工)さんから1区で走れと言われたので、1区を走ったというかたちです。それが功を奏し、良い成績を残せたのだと思います。 

ーーチームとして振り返ってみても良かったという印象が強いのでしょうか  

 チームとしても良かったという印象が強いです。前の質問でも話した通り、私自身は1年時に大失敗をし、2年時も期待通りに走れず、チームに貢献できていませんでした。3年生になってようやく思うように走れるようになりました。個人だけでなくチームとしても良かったと思います。

ーー区間新記録を樹立された櫛部さんが考える1区の役割について教えてください 

 当時と現在では1区の考え方はとても変化したと思います。以前は強いチームが限られていたのですが、現在は強いチームが片手で収まらないくらいの激しい戦いになっています。当時は実力的に早稲田が抜きんでて強かったことに加え、他大学の1区の選手たちの顔ぶれ見る限り、勝って当たり前な感じでした。ですから、(他大学に)どれだけ差をつけられるかが焦点となる状況でした。 当時の早稲田の弱点としては選手の層が厚くなく、力のある選手が走る区間と少し心配な選手が走る区間があったので、できるだけ自分の区間で差をつけるという役割で走りました。 

ーー第69回箱根駅伝以外で思い出に残っている箱根駅伝はありますか 

 どの大会も思い出に残っていますが、やはり1年時に大ブレーキしたことですね。タスキを1位でもらって2区を走ったのですが、15チーム中14位まで落ちてしまったことはとても記憶に残っています。そして、2年時も期待に応えることができず、平凡な記録で終わってしまいました。3年時は1区を走り優勝したので、それは唯一の嬉しい思い出ですね。4年時の箱根駅伝も印象的です。自分たちが4年時の箱根駅伝は2位という結果でした。最上級生として優勝ができなかった理由を自分たちなりに振り返ってみて、協調性やチームへの貢献が少し希薄であったと思います。それゆえに2位になったという経験から、駅伝がどのようなものであるかを知ることができました。1年時とは違った意味で駅伝について学ぶことができたと思います。 

ーー現在、城西大男子駅伝部監督を務められていますが、早大競走部で学ばれたことが、現在の指導にどのように生かされていますか

 駅伝とは何かということを学べたことです。私が早大競走部で体験したことは、現在の指導においても生かされています。当時の早大は個の力が強く、渡辺や私たち3人(「三羽烏」)の他にも小林正幹(平7人卒=埼玉・松山)や小林雅幸(平9人卒=新潟・十日町)などの強い選手がそろっていました。ただ、その一方で組織を重んじるということに乏しかったと感じています。その経験があるからこそ、城西大の学生には、個の力よりもチームとして日々の生活の中で結束することが、非常に大きな力になるのだということを教えています。これは、大学時代に自分たちの失敗から学んだことの大きな1つです。 

 ーー櫛部さんの有名なエピソードの一つとして城西大の石田亮選手との物語があると思いますが、櫛部さん自身と重なって見えたところかあったのですか

 自分と重なったわけではないです。城西大は早大と違い(高校)チャンピオンレベルの選手が入ってくるわけではありません。そのような中、失敗してしまった石田に対して、みんなで励まし、成長していく様子を見て、少しうるっときました。そして、それ以上に第86回大会でゲスト解説をしていた伊藤一行(城西大卒)に心を動かされました。城西大が棄権した第85回大会で、キャプテンとして9区を走った彼(伊藤一行)は試合にピークを合わせられず、4年間ずっと苦しんでいました。結果的には、最後の箱根も幻の区間賞(チームの棄権により記録が残らない参考記録)となりましたが、彼が解説者として喜んでいるのを見て、その4年間のいろいろな苦労が思い返され、感動してしまいました。

ーーでは、今年の駅伝シーズンに関する質問に移らせていただきます。今シーズンの早大の選手で特に注目している選手について教えてください 

 優秀な選手がたくさんいますが、今年大活躍している山口智規(駅伝主将、スポ4=福島・学法石川)くんに注目します。彼は高校時代からよく知っていて、個人的にも会ったら声をかけています。今年はすごく成長が見られて、(早大の)先輩としては喜ばしい話ですが、対するチームの監督としては、もう少しゆっくり走ってくれと思ってしまいますね(笑)。 

ーー城西大の選手で注目してほしい選手を教えてください 

 山口智くんと同級生で、常に(山口智を)ライバル視している斎藤将也(城西大)です。山口智くんと対照的に今年あまり元気がないですが、彼はチームをけん引してくれるリーダーであり、山口智くんにも匹敵するぐらいの力の持ち主です。そして、彼は「山の名探偵」である工藤(慎作、スポ3=千葉・八千代松陰)くんに迫るかそれ以上の選手だと思っているので、山での対決に注目していただきたいです。今年の冬は記録会にも出場せず、全て山にささげる予定です。(工藤には)心して来てくださいと伝えたいです。

ーーでは、今年の早大のチーム全体に対してどのような印象をお持ちですか 

 優秀な1年生たちが入学しており、私たち3人が入学した時と同じように強力な選手たちなので、非常に勢いのあるチームだと思います。 

ーー城西大の第102回箱根駅伝の目標についてお聞かせください 

 今回はまだ目標を明確に定められていない状態です。理由としては、他のチームの実力がまだ見えてこないことに加え、私たちも日々成長していることが挙げられます。ここ数年、根拠のない目標設定をするのではなく、秋のシーズンをある程度見定めてから、目標を立てようと考えているので、まだ明確には目標を立てていません。実際の目標となるかどうか分かりませんが、私の今の考えとしては3位以上を目指しています。 

ーーお三方へのメッセージをお願いします  

 花田とは、ライバルとして刺激し合い、お互いに優勝を競うようなチームにし合いたいと思っています。

  武井とは陸上の指導の場面では一緒になる機会が少ないのですが、多方面で活躍しているようなので、いつか陸上談義ができればいいなと思っています。

  渡辺に関しては、見た目は変わりましたけど、陸上に対する情熱は失わないでほしいなと思います。 

ーー最後に、武井さんが齋藤選手を2区に、キムタイ選手を3区に配置するのはどうかという提案をしていましたが、その点についてはいかがですか 

 武井くんに会う機会があれば「読みが甘いな」と伝えてください(笑)。  

※スペシャル企画の詳細に関する記事は後日掲載いたします。

ーーありがとうございました!

(取材・編集 石本遥希、鶴本翔大)

 

◆櫛部静二(くしべ・せいじ)

1971(昭46)年11月11日生まれ。山口・宇部鴻城出身。平6人間科学部卒。1998年全日本実業団対抗選手権10000メートル優勝。同年バンコクアジア大会5000メートル日本代表に選出。2009年〜城西大学男子駅伝部監督。同大学経営学部教授。