【連載】『エンジの鼓動』 第1回 武井隆次氏

特集中面

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 4年連続区間賞、3年連続区間新。早稲田が誇る「駅伝漢」で「三羽烏」の一角を担った武井隆次氏(平6人卒=東京・国学院久我山)。第69回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)では7区を走り、早大を再度首位に返り咲かせ、総合優勝に大きく貢献した。当時の知られざる裏話や来年の早大への期待、そしてともに戦った盟友への思いに迫る。

※この対談は10月4日に行われたものです。

ーーまずは自己紹介からお願いします 

 第69回箱根駅伝で優勝した際、7区を走りました武井隆次です。早大で4年間走らせてもらいました。箱根では個人成績は良くて、4回の区間賞、3年までは区間新というかたちで走らせてもらいましたが、2区を一度も走っていないので、大したことないと思っています(笑)。 

ーー「三羽烏」と渡辺康幸さん(平8人卒=千葉・市船橋)の特集ということで、はじめに入学当初の花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)と櫛部静二さん(平6人卒=山口・宇部鴻城)に対する印象をお聞かせください 

 実は「三羽烏」の3人というよりも、入学時点では私と櫛部のつながりの方が強かったです。というのも、私も櫛部もインターハイ(全国高等学校総合体育大会)で種目は違いましたが優勝していて、さらに高校記録も持っていました。私は1種目、櫛部は10000メートルと3000メートル障害の2種目で記録保持者でした。 ですから、インターハイチャンピオンかつ高校記録保持者という肩書きで入ってきたので、つながりとしては、櫛部の方が強かったです。花田は1500メートルを中心に取り組んでいて、キャリアもまだ浅かったこともあって、当時の印象としては、正直「三羽烏」と言っていいのか、という思いはありました。私自身は、花田を見下しているつもりは全くなかったのですが 、なぜか花田のライバル意識が強烈に私に向いてきて、生活面でも言い合いになることがよくありました。ただ、私や櫛部の活躍を見る中で、花田もこのままではダメだと感じたのだと思います。そこから奮起して一気に覚醒し、卒業後にはオリンピックに2度出場し、並び称される存在になりました。むしろ、私と櫛部がおまけのようになったくらいです(笑)。

ーーお二人との現在のご関係についてはいかがですか 

 この間も花田が書籍を出した際に3人でそろいましたし、そのような機会は多く、お互いの近況も聞いています。二人とも相変わらず頑張っていて、私もその域に行けたらいいのですが、実業団を辞めてからは、なかなか呼び戻されることもないので、指導者と言いながらも細々とやっています。 

ーー続いて、渡辺康幸さんが入学してきた時の印象について聞かせてください 

 渡辺が10000メートルで28分台を出して、しかもとてつもない記録を出しているので、やはりスーパールーキーだなと思いました。私たちが入部して1、2年の頃はチーム自体が弱かったのですが、チームが徐々に強くなり始め、渡辺が入学してきたことで、ぜひとも優勝しようという雰囲気になりました。そういう意味では、今年もスーパールーキーが二人入ってきているので、状況は似ています。もともと良くなってきたところに、当時スーパールーキーの渡辺が入ってきたので、自分たちも頑張ろうといった状況でしたね。  

ーー渡辺さんとも現在、関係は続いていますか 

 あまり続いていないと思います。エスビー食品がたまにOB会をやってくれた時に会うぐらいで。早大の監督も辞めてしまい、実業団の監督をやっているので、なかなか接点はないですね。  

ーー花田さん、櫛部さん、渡辺さんとの思い出で特に印象に残っていることはありますか 

 いっぱいありすぎて選べないですね(笑)。これは大学にいた時ではないのですが、エスビー食品に入ってからの出来事が特に印象に残っています。私は当時、マラソンで成績を残そうと思っていたわけではなくて、自分ならスピードでやっていけるといううぬぼれが今思えばありました。 だからマラソンに挑戦するというより、トラックで走っていけるのだと思ってしまっていました。その考えを根底から崩してくれたのが、花田と渡辺です。思い出の話とは少し違いますが、あの時鉄槌(てっつい)を下されたわけではないですが、印籠(いんろう)を渡したのが卒業後の花田と渡辺でした。やはり彼らはすごく練習していましたね。5000メートルのレペティションを2本やるメニューがあって、2本とも彼らは、13分台で来るのです。そんなことあるのかという話で(笑)。私は、1本目こそ14分10秒でなんとかついていけましたが、2本目なんかもうボロボロでした。そういった練習を彼らはしていたので、すごいと思っていました。実際、アトランタ五輪の予選も私も決勝まではなんとか行ったのですが、決勝で周回遅れになってしまいました。そこでトラックではもう無理だなと感じたので辞めました。櫛部はこの話には入っていないですが、これは特に思い出に残っています。

ーーでは、第69回箱根駅伝の話に移らせていただきます。まず、第69回箱根駅伝をチームとして振り返ってみていかがですか 

 私たちはまだ最高学年ではなかったので、チームを動かす立場ではありませんでした。しかし、先ほど言った通り花田が覚醒したことに加え渡辺が入ってきたことで、今まで柱が2本だったのが4本になり、チームの力が倍になったという感じでした。やってやろうという気運は高まったと思いますね。  

ーー次に、個人としての振り返りをお願いします 

 個人としては、逆に陰りが出始めた年でもありました。2年までは日本インカレ(日本学生対抗選手権)で2種目で優勝して、トラックでは最高の成績を出していました。しかし、3年の時に初めて瀬古さんにヨーロッパ遠征に連れて行ってもらった際、初戦でかかとを痛めてしまいました。そして、そのまま夏の北海道の合宿も、連れて行ってもらえず、駅伝シーズンには間に合いましたが、出雲(出雲全日本大学駅伝選抜)は全然走れなかったです。全日本(全日本大学駅伝対抗選手権)でも区間賞を逃して瀬古さんから大目玉を食らいました(笑)。その年は早大が全日本大学駅伝で初優勝した年で、私は走り切ったつもりでしたが、それなりの走りでは許されませんでした。 

ーー箱根駅伝4年連続区間賞、かつ3年連続区間新を達成されている武井さんが考える本番に至るまでのピーキングのポイントを教えてください 

 (ピーキングに関して)うまいか下手かで言えば、うまい方だとは思います。箱根駅伝は一番懸ける試合で、1カ月以上試合に出ないで調整できるのはその時期だけです。11月、12月のような寒い時期にいい練習をしながら調整できるという期間はあまりないので、そういった期間をもらえるとじっくり練習できます。瀬古さんはどの時期でも走らなければダメだと言っていましたが、いやそれは違うだろうと思っていました(笑)。だから私は、自分なりに調整していました。箱根駅伝に関して言えば、1カ月前から試合に出ないで、調整させてくれるというところが良かったのだろうと思います。  

ーー第69回大会以外で思い出に残っている箱根駅伝の大会はありますか 

 2年の時は実はあまり体調が良くなかったですね。直前に荷物を持って歩かされて、お腹を冷やしてしまいました。1、2年と1区を走ったのですが、1年の時は(集団に)くっついて行って、最後スパートをかけるだけでした。2年の時はすでに日本インカレチャンピオンになった後だったので、その自信があったのかは覚えていないですけど、途中から飛び出して、最後まで逃げ切りました。しかし、あの時、実は体調は良くなかったです(笑)。 

ーー第69回大会は6区で逆転されてしまいましたが、それでも焦りはありませんでしたか 

 焦りは全然ありませんでした。とにかく自分の走りをしました。6区で抜かれても大丈夫だというのが元々の想定でした。そもそも往路は負けるつもりでいて、具体的には往路で1分ほど負けて、私にタスキが渡る時には3分差がついているだろうと思っていました。ところが実際には山梨学院大との差はゼロで、本来の想定よりもむしろ良い状況でした。結果的に私が3分差をつけましたが、山梨学院大の6区が3分差をつけて走ってきたとしても、追いつけたと思います。そういう意味でも、全く焦りはありませんでした。 

ーー現在、指導者や解説者になって感じる早大競走部の変化について教えてください 

 監督によって、(早大の)チームの色は変わってくると思います。ですが、箱根駅伝をゴールにしないという瀬古さんの考え、要するに箱根駅伝に出るのが目的ではなく、トラックやマラソンで世界を目指しながら、その一環として箱根駅伝に出れば良いという考えは今もずっと受け継がれています。一方で、一時期は記録会のタイムを重視しすぎて、本来の駅伝の走り方を軽く見てしまっていたところがあったと思います。青学大のように、タイム以上に一人で走った時の能力が高い選手が強さを発揮する例もあるので、早大はその部分を忘れていた時期があったのではと感じています。 そういった意味では早大は今年優勝候補になっていますが、もちろん弱いとは思っていないですけど、タイムだけでない個々の力がないといけないと思います。タイムがある上に、個々の持っている力が強ければ無敵ですから。その個々の力が早大にあるかどうかを箱根駅伝までに注目したいと思っています。 

ーーでは、今年の早大競走部で特に注目している選手を挙げてください 

 注目している選手は鈴木琉胤(スポ1=千葉・八千代松陰)くんです。彼は速さについては申し分なく、加えてメンタルも強いと思います。今年だけではなく長期的な早稲田の強さというところを見据えるのであれば、2区に鈴木琉胤くんを使ってもいいのではないかと思います。 

ーー次に、今年の早大競走部にチームとして期待していることについてお聞かせください 

 期待しているのは、もちろん第87回大会ぶりの優勝です。逆に言われすぎているところがあって、あくまでもまだ今年の覇者ではないです。青学大に加え、他にも強い大学はたくさんあります。だからこそ挑戦者というわけではありませんが、どんな立場であっても、足をすくわれるところはあるので、見るべき相手をしっかり見てほしいです。自分たちの状況を確認するのはもちろんですが、相手があってのことなので、相手の動向もしっかりと見られる状況にしないと、足をすくわれると思います。 

ーー見るべき相手というのは具体的にはどのようなチームが挙げられますか 

 一つはやはり今年の優勝校である青学大ですね。青学大は勝ち方を知っているわけですよ。メンバーが少し抜けてしまってはいますが、代わりの選手はいくらでもいると思うので、まだまだ強いと思いますし、勝ち方を知っているチームであると思います。そして、中大の1区で奇策があった場合、しっかり対応できるかどうかだと思います。 

ーーでは、最後にお三方へのメッセージをお願いします 

 花田監督率いる早大に関しては、気負わず頑張ってくださいということですね。 母校なので、ぜひ優勝を期待しています。 

 櫛部監督率いる城西大に関しては、区間配置について意見があります(笑)。斎藤(将也、城西大)くんは2区に戻した方がいいのではと。(ヴィクター・)キムタイ(城西大)くんは2区ではなく、3区のほうがいいかなと思います。櫛部監督には箱根駅伝でいい順位をとれるように頑張ってもらいたいです。 

 渡辺に関しては、解説をやっているので、応援してあげてほしいですが、解説者と社会人チームの監督は別物です(笑)。住友電工には個々でいい選手はいますが、チームとしてまだまだ伸びしろがあると思うので、頑張ってもらいたいです。 

※スペシャル企画の詳細に関する記事は後日掲載いたします。

ーーありがとうございました!

(取材・編集 石本遥希、鶴本翔大、中村環為)

◆武井隆次(たけいりゅうじ)

1971(昭46)年 5月18日生まれ。東京・国学院久我山出身。平6人間科学部卒。1991年日本インカレ5000メートル、10000メートル優勝(二冠)。2002年釜山アジア大会男子マラソン日本代表(3位入賞)。元エスビー食品監督。現したまちアスリートクラブ監督。