【連載】ソフトボール部新歓対談 第5回 留学組 佐藤貴一×中島雄太

特集中面

第5回は留学を経験した佐藤貴一(国教新4=東京・早稲田)、中島雄太(国教新4=東京・暁星)のお二人。留学によって部を離れることに対する思いや現在の目標について伺いました!ーー

――まずは、国際教養学部に進学した理由を教えてください

佐藤貴 自分は中学3年生の時に父に海外旅行に連れて行ってもらって、タイとケニアとマラウイに連れて行ってもらって、その時に父の高校時代の友達がマラウイでJICAの仕事をしていて、海外で働くのも面白そうだと思いました。そこから海外に興味を持ち続けて、自分は早稲田高校出身なので内部推薦なのですが、高3で進学先を決める時に、休学しないで留学ができるというところで、国教(国際教養学部)に決めました。

中島 僕は留学がしたかったというのが一番大きな理由です。大学生活の中でやりたいことがいくつかあったのですが、一番が東大野球部で野球をすること、二つ目が留学をすることだったのですが、浪人を1年しても結局東大は受からなくて、第二希望だった早稲田に来て、だったら留学っていう夢をかなえようと思って国教に入りました。

――ソフトボール部に入部した理由を教えてください

佐藤貴 自分は中島が同じ授業を取っていて、その時に誘ってもらったというのがあります。自分たちはコロナの代なので、サークルの新歓にあまり行けていなくて、ずっと何もしないまま秋学期になってしまいました。そしたらその時に中島がたまたま同じ授業を取っていて、自分のオンライン授業を受けている後ろに野球の壁紙があって、それを中島が見つけて、「もしかして野球興味あるなら新歓来てみないか」と誘ってもらって、体験練習行って、そこから入部しました。

中島 僕も1年の春は同じようにコロナで何もできなくて、夏休みから少しずつサークルなどの新歓も始まっていたのですが、サークルはまだ制限があるということで、大学に通っている以上、キャンパスに行きたいという思いがあったので、それに一番近い方法として体育会の説明会にも参加しました。その時にオンラインの説明会でソフト部の方に声をかけていただいたのがきっかけで、国教は留学が必須なのですが、そこを受け入れてもらえた部活の一つとして、ソフト部に入ったというかたちになります。

――ソフトボール部以外の選択肢にはどんなものがありましたか

佐藤貴 全然体育会とか入るつもりなかったので、コロナがなければ、多分フットサルとか野球とかスポーツ系のサークルを見に行って、その中で一番いいやつ入っていたのかなとは思います。でも、実際夏休みに新歓に行った時に、サークルの雰囲気があんまり好きじゃなかったから、そのままサークルに入っていたのかどうかすら分からないです。

中島 僕も体育会の新歓と並行して、サークルも見てはいたのですが、やっぱり僕もサークルの雰囲気はあまり自分の肌に合わなくて、一つのことにより打ち込めるみたいなところが魅力的に映ったので、体育会というのを選びました。それ以外のところで言うと、当初の夢だった留学や企業でのインターンなどをやりたくて、実際にそれは1年の頃に部活に入る前から少しずつ始めていたので、結局は部活と並行して達成したというかたちになりました。

――留学で1年間部を離れることに対して不安はあったのでしょうか

佐藤貴 一番の不安は、留学から帰ってきた時に部の雰囲気が変わっていたり、部の同期やその他の学年の部員と1年弱離れてしまうので、留学前だったら仲良かったのが留学から帰ってきて距離が離れてしまうことだったりが一番不安でした。

中島 僕も1年間離れることで、他の部員との意思疎通だったりというところに不安もちょっと感じていたし、あと、僕の場合は入ったからには選手として活躍したいっていう思いが一定程度あったので、1年のブランクになるっていうのは少し不安でもありました。ただ、国教に入った時点でもう留学行くっていうのはほぼ決まっていたので、もう割り切って留学は楽しんで、部活は帰ってきたら1年のブランクあるにしても、最大限やりきるっていうことを目標にしていました。

――実際に留学から帰ってきて、部の状況はどうでしたか

佐藤貴 そんなことは一切なく、むしろ関係が良くなったのかなというぐらいです。他の部員が優しくて、環境に恵まれているだけなのですが、人間関係の不安は一切ないのかなという感じです。

中島 僕も人間関係については特になかったです。その理由の一つとしては、1個上に国際教養学部の先輩がいて、かつその先輩はコロナで留学には行っていないのですが、チームの4番として活躍していました。チームの中心である国教の先輩が僕たちを理解してくれているという雰囲気もあって、1年のブランクがあっても雰囲気や周りの選手との関係、コミュニケーションで困ったということはなかったです。

――次に、ソフトボール部に入って成長できたと感じるのはどんなところですか

佐藤貴 多分中島も高校までは全国のレベルでスポーツをするということがなかったから、自分たちのやっていた低いレベルから全国優勝を目指すというレベルに2年半から3年いられているということは、成長というか、自分の経験値としてかなりいい経験をさせてもらっていると思います。

中島 そこに関しては、僕も貴一(佐藤)と同意見で、特にプレイヤーとしての自分を中心に全国レベルのチームで活動させてもらっているということで視野も広がったし、技術的にも全国レベルの仲間に囲まれている中で教えてもらうことでだいぶ向上したなっていうのもあります。また、これは貴一(佐藤)とは違うのですが、僕の場合、留学行く前に1年間チームに貢献できないということで、データ分析のソフトを作ったりとか、今もけがをしているので、プログラミングを使ってデータ分析をやったりとか、プレー以外でも自分がやろうと思ったこと、やりたいって思ったことに結構挑戦できているのかなって思います。そういう意味で、自分がやりたいって決めたらそれをできる環境があるし、それを通して、自分がやりたいことに関して成長できたかなと思っています。

――逆に、大変だったことは何ですか

佐藤貴 自分が一番大変なのは、練習自体もハードではあるのですが、練習に来るまでが片道1時間半から2時間ぐらいかかっているので、毎日往復3、4時間の移動時間がかかって、そこから練習してっていうのが一番きついかなって感じです。朝9時の練習とかだったら、6時過ぎぐらいに家出ればいいのでさすがに慣れたのですが、練習試合とかってなるとほぼ始発か、始発の次の電車に乗って所沢に来なくてはいけないっていうのがあって、それが一番大変だと思います。

――移動時間を何かに活用しているのですか

佐藤貴 活用しきれていないです。睡眠時間をそこで補うというか、朝早いので電車は大体座れるので、体力の回復に努める感じです。

――中島さんはどうですか

中島 僕も移動時間と週6で練習をやっているっていう、拘束される時間の長さはちょっと大変だなと思っています。その分やりたいことが他にあったとしても、それをいかに空いている時間でこなしていくか、他のことも充実させるかというのは工夫するようになりました。

――アルバイトやオフについて教えてください

佐藤貴 最近は就活があり、月曜日は大体オフになるので、日曜日の練習が終わって疲れて、目覚ましをかけずに寝られる時間なので、月曜日の午前中は寝ていて、午後は就活をやるという感じです。オフにバイトを入れて多少お金を稼いだり、友達との遊びの予定を入れたりしています。バイトは学童保育のバイトをしていて、低学年の子に勉強を教えたり、サポートをしたりしています。

中島 オフである月曜日にティーボール協会の会議があるので、実質オフはないです。僕のエネルギー源は留学もあったのですが、韓国の人としゃべることなので、部活以外の時間では韓国の人と交流しています。

――お二人が現在の背番号を選んだ理由を教えてください

佐藤貴 自分が入った時は澤さん(澤優輝、令4人卒=現東京SC)が3年生の時まで2番を付けていて、その2番が余っているから2番を付ければいいじゃんというので2番を付けさせてもらっていました。2番を持った状態で留学に行ったのですが、その間に荒川(健祐主将、スポ新4=神奈川・柏陽)が「2番を付けたい」と言ったので、別にそこまで2番にこだわりはなかったので、2番を渡して、自分は荒川が付けていた34番と交換した感じです。

中島 僕は高校の時2桁の時代が長くて、高3でやっと1桁になったのですが、1桁の番号に憧れがありました。そこで、できるだけ早い番号ということで、その時に空いていた3番にしました。

――部活動での今年の目標を教えてください

佐藤貴 部としてはインカレ優勝というのが一番なので、自分が戦力としてそこに関われるのかは別として、例えば中島だったらデータとか、自分だったらコミュニケーションを取ることによってみんながやりやすい環境を作るとか、そういう面で貢献していくのが理想です。

中島 チームとしては日本一を掲げているので、それを追うのは前提として、僕自身けがもあったりして、あまり貢献できていないのですが、プログラミングを通したデータ分析や、代打の神様のような、1打席、ワンスイングで貢献できるような一芸みたいなのを極めていければいいなと思います。

――部活動以外の面での目標はありますか

佐藤貴 目標というかやりたいことみたいになってしまうのですが、海外旅行がしたいので、お金を貯めて、ヨーロッパやアメリカなどに行くことが個人的な目標です。あとは、GPA4.0を目指したいです。

中島 僕の場合は就活をせずに大学院進学することを決めているので、韓国の大学院への進学を決めるということと、ここまで培ってきた韓国語の実力を生かして、通訳案内士の資格を取りたいなと思います。

――最後に、新入生へのメッセージをお願いします

佐藤貴 うちの部活は俺を含め、中島も含め、いろいろな人が集まっているので、いろいろなキャラクターに寛容というか、どんな人も馴染める雰囲気があると思います。もし、野球やソフトボールに興味がある人、未経験者でも興味のある人は、ぜひ体験に来てもらって、雰囲気がいいなと思ったら、ぜひ入部してほしいです。

中島 全国レベルでソフトボールやってきた人もいる中で、僕らみたいな初心者に近いメンバーもいるという、そういう多様性がある部活ですが、それでも結局みんないいやつばかり集まっているとは思っていて、 誰にとっても大学キャンパスにおける居場所になるっていうのは、この部活の魅力だと思っています。体育会に入るっていうハードルはあるとは思うのですが、その一歩を頑張って踏み出してもらって、ぜひ一度体験に来てもらえたらうれしいです。

◆佐藤貴一(さとう・きいち)(※写真右)

2001(平13)年4月11日生まれ。東京・早稲田高出身。国際教養学部新4年。167センチ65キロ。内野手。自身のアピールポイントは「親しみやすさ」

◆中島雄太(なかじま・ゆうた)

2000(平12)年6月14日生まれ。東京・暁星高出身。国際教養学部新4年。172センチ67キロ。外野手。自身のアピールポイントは「足の速さと斜め上の思考回路」

(編集 齋藤汰朗 写真 星野有哉)