【連載】『令和7年度卒業記念特集』第22回 多田歴/ヨット部

卒業記念特集記事2026

継続の先に、示した強さ

 ランドセルを放り出し、ボール片手に家を飛び出す。そんなサッカー少年だった多田歴(人4=愛知・菊里)は、やがて早大の門をたたき、名門ヨット部を支えるマネージャーとして選手とともに海の上で戦い続けた。
 揺るぎない信念を胸に掲げ、『日本一のマネージャー』という理想と向き合い続けた4年間。その奮闘の軌跡と、彼の胆力の源泉に迫る。

全日本インカレにてチームを見守る多田

「コツコツ、最後まで、やり切る力があった」
 多田は幼少期からサッカーに打ち込んできた。ポジションはGK。ピッチの最後方から仲間を支える存在だった。中学時代には、経験者の少ないチームを率いるキャプテンも務めた。集団を支え、まとめる姿勢の原点は、この頃に培われたのだろう。
 高校時代はまさに転機だった。「自分よりも優秀な人が多かった」。1年時には肩のけがで手術を経験。さらにコロナ禍による活動自粛も重なった。目まぐるしく変わる環境は逆境となり、多田の意識を変えた。「自分に大した才能はない」。だからこそ、必死に食らいつき、自分にできることを愚直に続けた。
 積み重ねた努力は、3年時にレギュラーの座という形で結実する。そしてその継続力は競技の枠を超え、机に向かい続けた時間は、早大への道を切り開いた。

「ここでなら、ゼロからみんなと成長していけそう」
 人間科学部に進学した多田は、競技者ではなく支える立場としてスポーツに関わる道を模索していた。メジャー競技の部活でマネージャーの道を探したものの、そこには専門性を極め、自身にフォーカスして努力を重ねる学生スタッフの姿があった。自身の思い描く像とは、どこか違った。
 そんな時に出会ったのがヨット部だった。部員の半数が未経験者。それでも当時、全日本学生ヨット選手権大会(全日本インカレ)2連覇中という独自の強さを誇るチームだった。選手とともに一番を目指し、ともに成長できる。そう確信し、入部を決めた。
 役割も、競技も、すべてが初めての挑戦。『日本一のマネージャー』を掲げ、未知の海へと飛び込んだ。

「海でスポーツなんてしたことがなかった」
 早大ヨット部は、神奈川県の葉山を拠点に活動する。金曜日の夜に合宿所へ集まり、土日は一日中海に出る。長期休みには平日も泊まり込みで毎日船に乗る。ヨット競技特有の活動スタイルだ。
 もう一つ特徴的なのは学生スタッフの役職がマネージャーのみであること。そのため業務が多岐に渡る。海では自らモーターボートを操縦しマークの設置や動画撮影。陸では部員の献立作成、各種書類の準備や申請作業、プレーデータの分析までも担う。もちろん講義や課題と並行しながらの過酷な学生生活だ。

「マネージャーとしての自分がまだ確立できていない」
 初年度は、悔しさの残るシーズンとなった。初めて足を踏み入れた海の競技。業務をこなしながら、複雑なルールや専門知識を覚えることに苦心した。加えて、1年生に課される炊事などの雑務、共同生活の厳しさにも戸惑った。
 チームはこの年も全日本インカレを制し、3連覇を達成した。しかし、多田自身は自らの貢献に手応えを持てずにいた。
「なぜ、選手をやらなかったのか」。そうした声に触れるたび、マネージャーとしての在り方を自問するようになった。
 その経験は、自身の役割と向き合い、確固たる存在意義を築こうとする契機となった。

「新たな価値観を部活に提供することができた」
 2年目は飛躍の年になった。転機となったのは、代替わり後まもなく行われた練習レース。同期の安永昂生(スポ4=上智福岡)が、当時1年生ながら鮮やかなスタートを決め、そのまま他艇を引き離して一着を奪った場面だった。「このシーンを作るために、自分が頑張らないといけないんだ」。その光景は、多田に自らの役割を改めて問いかけた。
 やがて行動に移す。新入生勧誘にとどまっていた部のSNSを本格的に運用し、試合結果やモチベーション動画を発信。広報という新たな軸を築いた。日々の業務に全力を注ぎながら、自らの存在価値を形にしていった。
 選手からの信頼も厚くなり、チームへの貢献に確かな手応えを得る。そして、自身二度目となる日本一を経験し、充実の一年を締めくくった。

「続けてきて良かった」
 3年目、多田のSNSでの取り組みは次第に広がりを見せた。部の関係者や他大学のマネージャーからも評価を受け、チームを越えて大学ヨット界にも影響を与えているという手応えを得るようになる。
 一方で、不安もあった。頼りにしてきた先輩マネージャーのラストイヤー。自らが組織の中心を担う日が近づいていることを、否応なく意識させられた。尊敬する先輩から、もっと多くを吸収したい。そんな焦りもあった。
 チームは大会史上初となる全日本インカレ5連覇を達成。歴史の一端を担いながら、多田は次の責任へと歩みを進めていった。

「来年以降も、日本一のチームにふさわしいようなマネージャーたちに」
 最上級生となった4年目。日々の業務やSNS運用はこれまで通り続けながら、多田が意識していたのは育成だった。自らが担ってきた役割を後輩へとつなぎ、来年以降も早大のマネージャーが強くあり続けるための土台を築くこと。目の前の勝利だけでなく、組織のベースアップに力を注いだ。
 迎えた全日本インカレ。日大という強力なライバルが台頭し、早大は激しい優勝争いを繰り広げた。終盤には一度逆転する場面もあったが、結果は惜しくも準優勝。連覇記録の更新はならなかった。
 それでも、「すごく楽しかった」と多田は振り返る。
 強い相手の存在が、チームを一つにした。選手だけでなく、サポートメンバーまでが同じ方向を向き、最後まで諦めずに戦う姿を、マネージャーとして最も近い場所で見続けた。その光景は、結果以上の価値を持っていた。
 勝てなかった悔しさも含めて、最後の大会はふさわしい舞台だった。

「自分が早大のマネージャーとしてどうあるべきかは、自分に課せられた命題」
 多田の4年間は、この問いに向き合い続けた時間だった。頂点を目指すチームにふさわしい『日本一のマネージャー』であるために、自らと向き合い、見えてきた役割を愚直に果たす。それを、ただ続ける。特別な才能ではなく、継続によって価値を積み上げてきた。
 一番意識していたのは「感情をぶらさない」ことだった。チームの調子や結果に左右されず、いつも通りの高い水準を選手に届け続ける。それが多田なりのプライドであり、4年間守り抜いてきたスタンスだ。
 そんな多田の一番のモチベーションは選手の活躍だと語る。「正直あんまり今まで言ったことなかったけど」。支える立場でありながら、その原動力はいつも選手にあった。
 4年間を通して磨き上げた継続力。その力はこれからも彼の歩みを支えていくだろう。そして、多田が示し続けた基準は、これからの早稲田ヨット部にも静かに息づいていく。

(記事・写真 西川龍佑)