【連載】『令和七年度卒業記念特集』第45回 藤原圭希/日本拳法部

卒業記念特集記事2026

拳禅一如

 日本拳法は突き・蹴り・寝技と日本武術が培ってきた多岐にわたる技術の結集であり、自衛隊や警察の現場でも取り入れられている競技だ。昨季、 早大日本拳法部の主将を務めあげたのは藤原圭希(法4=東京・城北)。彼は他の選手とは異なるスタート、そして大きなけがも経験した。だが、そんな逆境の中にあっても、藤原はチームをけん引する支柱であり続けた。

 

 他の種目と大きく違う点は、日本拳法には様々なルーツを持ったプレーヤーが集まっているということ。だからこそこの競技には選手ごとの様々なプレースタイルがある。実際、早大日本拳法部の先頭を走り続けた選手・藤原の出発点は柔道だった。幼少期には体操も経験しており、それが現在の柔軟性を生かして突きや蹴りを繰り出す今のスタイルにつながっているという。中学時代に始めた柔道、そこから格闘技に興味を持ち、現在では趣味として格闘技観戦を挙げるほどで、特に総合格闘技が好きだという。競技者としても一人のファンとしても格闘技に向き合う毎日。そういった日々が藤原の土台となっていった。 父親が早大の OBであったということから憧れがあったという藤原。無事早大に入学したが、日本拳法を始めたのは早大日本拳法部に入部した二年生時だった。それまではスキーやウクレレなど様々な活動に取り組んでいた。入部のきっかけは自分の好きな格闘技と本気で向き合ってみたいという思いだったという。

 

 しかし競技において一年という時間はとても重く、チームメイトとは出遅れたスタートであったため、苦しいことも多かったという。それでも練習を重ね、チームの主力格へと確実な成長を遂げていた。しかしそんな藤原を、度重なる怪我が襲う。だが、そんな中でも藤原は常に前向きだった。けがをしている今だからこそ取り組めることがあるのではないかと考え、トレーニング方法を調べて実践したり、メンタルコーチングやなど独学で学んだりしたという。 そして怪我明けの復帰戦は三年秋の早慶戦だった。自身としても成長を実感し意気込んで臨んだ本戦。しかし、結果は黒星。このとき、自分は何かを変えなければいけないと実感した。藤原はこの一戦を三年間で最も印象に残った試合として挙げた。 普段から勝利への思いは人一倍強く、敗戦後に頭を丸めてしまうこともあったそう。 この大きな挫折は、選手としての一つの転換点になったという。 前体制が終了し、主将に選ばれた。三年次に副将を務めていた中で、金田前主将やもう一人の副将からも背中を押され主将を務めることとなった。当初、藤原の中には、競技歴の浅い自分が主将になって、みんなに納得してもらえるのかという葛藤があったという。だからこそ、そういった言葉は、心の大きな支えになった。 そして迎えた最後の全国大会。結果は一回戦敗退だった。相手は強豪・同志社大学と力量差も分かっていただけに 相手選手の研究を重ねて試合に臨んでいた。それだけに悔しさがあった。

 

 自身のプレースタイルは「闘志を出していくスタイル」と自ら語る藤原。簡単には負けない粘り強さと誰にも負けない気迫は、見るものを圧倒する。団体戦ではチームの先鋒を務めることも多く、チームの支柱として自らがもぎ取ってくる一勝には、額面以上の価値があった。日本拳法の試合時間はたったの三分間。積み重ねてきた研鑽の日々が一瞬に集約される至高の時間。どれだけ頑張っていてもそこで白黒がついてしまう儚さが日本拳法の魅力だと語った。そういった一瞬の勝負には「メンタルが何よりも大事」だという。藤原の真髄は誰にも負けない強いハートとここ一番での集中力だったのだろう。 藤原は今季のチームを「結果は出なかったものの、結束力のあったチーム」だと振り返る。藤原は主将としても、一部員としてもチームメイトとの時間をお大切にしていた。合宿では大切な仲間とともに、互いの技を磨き、藤原にとってそのすべての時間はかけがえのない思い出だった。その時撮った集合写真は、藤原のSNSのアイコンにしているほどだ。 また、新体制には何よりも「楽しんでほしい」と語る。 それとともに、下級生が昨年の経験を生かして、今年は結果も追い求めてほしいとも語った。自身がプレーした三年間で結果を出すことはできなかったため悔しさが残ったものの、自分が残したものが後輩たちの役に立ち、結果を出すことができればそのすべてが意味あるものだったと昇華されるはずだ。

 

良いことばかりではなかったものの、必死に走り続けた不撓不屈とも言える競技人生。そんな中でもこの三年間は何よりも「楽しかった」という。 今日も選手たちの気合の声が響く武道場で、そこに掲げられた「拳禅一如」の文字。藤原圭希は誰よりもその言葉が似合う選手であった。

(記事 竹田朋矢)