【連載】『令和7年度卒業記念特集』第41回 長谷川元基/ウエイトリフティング 

卒業記念特集記事2026

驕らずひたむきに

 今年度早大ウエイトリフティング部の主将を務めた長谷川元基(スポ4=京都・鳥羽)。相次ぐケガに苦しみながらも、不屈の精神で努力を積み重ね、全日本学生個人選手権優勝、学生日本代表に選出された。苦しみも喜びも味わった4年間の軌跡を辿る。 

 競技を始めたのは高校生の時。入学後、入る部活を決めかねていたところを顧問の先生に声をかけられ、入部を決めた。幼い頃から空手やバレーボールをしていたこともあり、体を動かす基礎はできていた。

 競技を始めて1年が経ち、2年生に進級しようという時期に、世界はコロナ禍に見舞われた。当然、ウエイトリフティング部の活動にも制限がかかった。数ヶ月高校の校舎に入ることもできず、家にバーベルやディスクを運んでの個人練習を強いられた。そんな逆境にも負けず、自らと向き合い練習を続けた長谷川は、同年の全国高校選抜で3位に入る。それまで大学進学後も競技を続けることは考えていなかったが、これをきっかけに競技を続けることを決めた。そして、翌年の全国高校総体では見事優勝。この実績が評価され、早大への進学を果たす。

試技に臨む長谷川 

 入学後、長谷川は高校までとは違う周囲のレベルの高さ、そして自由であるが故の難しさに直面した。部の練習は学生主体で、だからこそ選択肢も多く、何が正解なのか悩んだという。そんな時に支えになったのは、部の仲間たちだった。どうやったら強くなれるか、と考える中で同期や先輩、そして後輩たちとコミュニケーションを絶やさず、互いに高め合った。「1年生の時、4年生の先輩が親身にアドバイスをしてくれたおかげで選手として成長できた」と振り返る。

 2年時には膝のケガに苦しめられた。思うような成績を残すことができず、チームメートが全国大会で好成績を収める中、劣等感に苛まれることもあった。だが、日々練習に取り組み、毎日欠かさず練習メニューをノートに書き続けた。大学の授業で出会った他の部活の選手の動きの中で競技に活かせそうなことがあれば、トレーニングを見学に行き、練習の中で実践した。

 そのひたむきな努力は、3年生になって結果という形で実を結ぶ。「1番自分の中で競技の成績が良かった」と振り返る通り、1年間を通してケガなく競技に邁進(まいしん)し、全日本学生個人選手権で優勝。学生日本代表に選出された。


試技前の長谷川

 そして迎えたラストイヤー、長谷川は主将に就任する。インカレ優勝を目標に掲げるチームを率いる上で、個人競技であり、団体競技でもあるウエイトリフティングだからこそ、積極的に自分からコミュニケーションをとることを意識した。「自分のモチベーションが下がれば、チーム全体に影響がある」という考えがその根底にあったという。「主将らしいことはあまりできなかった」と振り返るが、上手くいかない時に支えてくれた同期へは深い感謝を口にし、「これからもよろしく」と笑顔で語った。

 主将として1年間を駆け抜け、大学最後の試合として迎えたインカレ。1年生のころと比べて部員の数が減り、1人も欠く事のできない苦しい状況の中、全員が全力を尽くし、男子団体3位、女子団体4位の好成績を収めた。「1年生の時に憧れた4年生の姿に少しでも近づけたかな」と振り返る。

 
 今後は選手としては一線を退くが、「競技を教える立場や支える立場になれたら」と語る。「競技を始めてから多くの人に出会い、視野も広がった。競技を通して自らを表現することができた」と高校からの7年間を振り返った。後輩たちには、「自分が部にどう貢献できるかを考え、驕らずひたむきに頑張って欲しい」とエールを送る。

 7年間、ひたむきにバーベルと向き合い続けた長谷川。ケガやコロナ禍といった重りも、自らの力に変えてきた。これからそのバーベルにどんな重りが載ろうとも、力強く頭上に掲げられるだろう。


(記事 大竹瞭  写真 ウエイトリフティング部提供)