【連載】『令和7年度卒業記念特集』第39回 竹原佳吾/男子ゴルフ

卒業記念特集記事2026

自信を身につけた4年間

 早大ゴルフ部で「最強世代」と言われた今年の4年生。その中心には、間違いなく竹原佳吾(社=東京・早実)の存在があった。チームの主力として2年前の全国大学対抗戦の優勝、そして昨年の準優勝に貢献。JGAナショナルチームの一員として日の丸を背負いながら、早大ゴルフ部では副将として組織を支えた。今春から慣れ親しんだ臙脂(えんじ)のウェアを脱ぎ、プロという戦場に挑む竹原。その激動の4年間と歩み続けた競技人生をたどる。

ティーショットを放つ竹原

 幼少期の頃から交流のあった平山幸作主将(法3=東京・早実)との縁もあり、早実高に入学した竹原。高校時代は関東や全国の舞台でコンスタントに結果を残し、内部進学で早大へと進む。「団体と個人の両方で全国優勝」という大きな目標を掲げ、早大ゴルフ部の門を叩いた。

 最初の団体戦となった5月の関東大学春季Bブロック対抗戦。「ここから這い上がろう」と強気で臨んだ。同期も多く出場し、中大とし烈な優勝争いを繰り広げた2日目。竹原は18ホールをプレーし、76ストロークであった。チームに貢献できなかったことに対する自責の念、そして劇的優勝による安堵。様々な感情が入り混じる中で流した涙から竹原の大学ゴルフ史の幕が開けた。

 「自分では全国優勝は無理だろうなと思っていた」。掲げた目標とは裏腹に、竹原の心は冷めた自己評価に支配されていた。アグレッシブさに欠けるプレースタイル、そして否めない技術不足。自らを過小評価し、負の連鎖から抜け出せずにいた竹原は、安定して60台をマークできない己の未熟さに葛藤する日々を過ごしていた。

 その分厚い殻を打ち破ったのが、1年時の日本学生選手権だった。全ラウンドで60台を記録するという安定感を発揮。堂々の4位で全日程を終えた。「全国大会で上位に入れるという現実を知った」。自身のゴルフに「自信」という名の確信が宿った瞬間だった。その後、技術はみるみる向上し、競技に対する思いは加速。そして、翌年の日本アマチュア選手権(日本アマ)に照準を定めた。

アプローチを試みる竹原

 迎えた2年時の日本アマ。この大会が竹原の大学4年間において最大の転機となる。同期の中野麟太朗(スポ=東京・明大中野)が圧倒的な爆発力で日本一の称号を勝ち取った一方で、好調を維持してきた竹原は「やってやるぞ」という気負いが空回りし、無念の予選カットを喫した。

 日本アマの最終日、竹原の姿はコース上にあった。プレーする中野の隣で、そのゴルフバッグを担ぐキャディとして。そして、誰よりも近くで日本一になる「その時」を見届けた。大会閉幕後、中野はプロの大会に多く出場するようになる。竹原はそんな同期の姿に憧れ、ゴルフに対する熱量はさらに増え、いつしかプロを志すようになっていた。

ホールアウト時の竹原

 プロを志す上で、竹原はJGAナショナルチームに選出されることが最低条件だと考えていた。そんな覚悟を抱いて臨んだ3年時、国内の主要個人大会ですべてトップ10に入るという驚異的な活躍を見せる。また、6月の全国大学対抗戦では、チームを引っ張る竹原と中野のみならず、出場した部員全員が死力を尽くし、早大ゴルフ部に悲願の全国初優勝をもたらした。そして年末、吉報が届いた。JGAナショナルチームへの選出。それはプロという「茨の道」を選んだ竹原にとって、「死にもの狂い」でゴルフと向き合い続けた日々が報われた瞬間だった。

 最終学年、竹原は副将に就任した。早大ゴルフ部が1つの目標に向かっていけるような雰囲気作りを心がけ、初心者の部員にも惜しみなく技術を伝える役割を全うした。チームの核として迎えた関東大学春季Aブロック対抗戦(春季リーグ戦)では大学ゴルフ界二強の一角である日大を上回り、2位。その勢いのまま、全国大学対抗戦では準優勝に輝いた。

 日本代表として日の丸を背負い、海外遠征で世界のスケールを経験した竹原。今春からは主戦場をJGTOレギュラーツアーへと移す。「目標はツアー優勝、そしてシード権の獲得。将来的には世界のトップ選手たちを相手に戦えるようなゴルファーになりたい」と意気込む竹原は、入学当初に涙した青年から大きな変貌を遂げた。「自信」を持つ早大プロゴルファーは次のステージに向かっていく。

(記事・写真 堤健翔)