【連載】『令和7年度卒業記念特集』第37回 高橋佑/少林寺拳法

卒業記念特集記事2026

転換期を迎える中で

 今年度の早大少林寺拳法部の主将を務めた高橋佑(スポ4=東京・城北)は、少林寺拳法について、他人を常に思う心や、組織として一丸となって取り組む過程や結果は一生の財産だと語った。そんな高橋の4年間はどのようなものだったのだろうか。

 高橋と少林寺拳法の出会いは中学時代。それまでサッカーや野球、体操など様々な競技に取り組んでいたが、小柄な体格から限界を感じていたという。そんな中、部活動の体験で少林寺拳法に触れ、「体格に関係なく相手を制することができる」という点に惹かれ入部を決意。中学・高校ではともに主将を務め、全国中学生大会出場やインターハイ入賞といった結果を残した。また、中学生の頃から早大少林寺拳法部に所属していた先輩の姿や、インターネットで見た大会映像に感銘を受け、早大に対して憧れを抱くようになった。高校時代にその先輩方から声をかけてもらったことで、早大への進学と入部を熱望するようになったという。

 入部1年時から5月の関東インカレでは最高段位である男子三段以上の組演武に1年生ながら出場し4位入賞。「先輩がモチベーションを下げないよう働きかけてくれたおかげで結果を残すことができた」と当時を振り返る。全日本インカレでも同種目に出場し5位に入賞。練習を通して、早大が重んじる武道の基本を演武にどう活かすかを学んでいった。また「部活運営の土台を作るのが1年生の仕事」と語り、練習道具の準備などを率先して行い、誰よりも声を出して士気を高めていた。

 2年時には4年生の先輩と出場した関東インカレの結果から世界大会予選の出場権を獲得。しかし予選で敗退し、その後の全日本インカレでも8位と入賞を逃すなど思うような結果を残せなかった。先輩の最後のインカレに花を添えることができなかったことについて「不甲斐なかった」と振り返る。早大は見事総合優勝を果たしたものの、優勝にあまり貢献出来なかった高橋にとっては悔しさの残る一年となった。

 3年時には上の代の事情により、3年生ながら副将を務めることになり、責任の重い一年となった。関東インカレでは新しい種目への挑戦や新入部員である後輩への指導に苦戦し6位。さらに練習メニューを考える役割を担う中で、初心者も多く在籍する部で部員一人ひとりのモチベーションを保つ難しさを実感したという。就職活動との両立や一緒に組んだ同期とのコミュニケーション不足もあり、全日本インカレでは7位と入賞を逃した。早大も総合5位に終わり、この結果に対し「幹部として責任を感じた」と語る。この経験は、翌年主将としてチームを立て直す決意につながった。

 4年時には主将としてチームを率いた。関東インカレでは男女二段以上の組演武で4位、総合でも4位と前年度から振るわない結果に対して、「転換期を迎えている」と考えた高橋は、自分が部にどれだけ寄与する事ができるかを考えるようになったという。立て直しを図った高橋が掲げたのは「共通の目標」「コミュニケーション」「貢献意欲」という組織の3要素。全日本インカレ優勝という共通の目標に向け、部員同士のコミュニケーションを重ねながら貢献意欲である主体性を引き出すことを目指した。練習のメニュー決めなども積極的に後輩や同期とコミュニケーションを取った。特に距離が生まれやすい1年生とも積極的にコミュニケーションを取りながら、練習では厳しく指導するメリハリも大切にした。全日本インカレでは個人として8位に終わったものの、男子団体は2位、女子は総合優勝を果たした。チームは総合4位ではあったものの、「部員全体が主体的に取り組んだ結果だと思う」と主将としての手応えを口にし、その成果を喜んだ。

チーム一丸で戦った全日本インカレ

 

 高橋は1年生の頃から主将になることを公言していた。当時の主将からリーダーシップに関する本を借りるなど、主将になるための準備を重ねてきたという。同期に対して理想とする主将像をプレゼンするなど、その思いは人一倍強かった。「主将とは、部のために労力を惜しまず、誰とでも壁なくコミュニケーションを取れる人間がなるべき」。その信念のもと、4年間を駆け抜けた。

 高橋はこの経験を「組織のトップを任せてもらい、全員で目標に向かって努力した経験は一生の財産」と振り返った。高橋が早大で得た経験は、これから社会へ羽ばたく彼の大きな糧となるだろう。

(記事・編集 綿貫竜之介 写真 部員提供)