憧れた「7」、託された「7」
今から7年前、エンジの7番が甲子園をかけ抜けた。元山伊織氏(平31商卒)。3度の甲子園ボウル出場を果たした早大BIG BEARSのエースRBだ。そして、当時画面越しで彼を見ていた高校生がいた。「このRBキレッキレでかっこいいな」。そんな思いを抱いた彼は、今では早大BIG BEARSのエースRBに成長した。「エースとしてのプレッシャーが原動力」。そう語るのは、2年もの間エンジの7番を背負ってきたRB安藤慶太郎副将(社4=東京・早大学院)だ。いつしか「自分の結果」以上に「関わる多くの人々の思い」を背負ってプレイしていた安藤慶。華々しい競技生活の光と影に迫る。
「7」を背負う安藤慶
走りの速さには自信があった。高校でも中学時代と同様、サッカーを続けるつもりでいたが、アメフト部の先輩の熱心な誘いで体験会へ。徐々にアメフトの魅力や先輩たちが作り出す雰囲気に引き込まれた。アメフト部に入部し、最初はチーム事情などもありDBとしてプレー。「DBの経験があったから、ここまでアメフトが上手くなった」。ここでのディフェンス経験は、後の安藤慶の圧倒的な強さにつながった。しかし、タレントぞろいの先輩の引退やコロナ禍なども重なり、高3時には競技自体を続けるか悩んだこともあった。それでも「ここで辞めたら大事な何かを失うな」。こんな直感的な思いから同期や後輩たちと再び選手として歩みを進める。高校3年時からは憧れのRBへ転向し、徐々にアメフトの世界へ深く潜り込んでいった。
大学でも1年時では、チームへの貢献などを考え再びDBへ転向。1年時からの試合出場というプレッシャーがかかる中でも安藤慶は、スタッフ陣や先輩からの期待に押しつぶされることは一切なかったという。「競技をやっている時は関係ないというマインドで、プレッシャーをむしろ与えにいっていた」。その時の安藤慶は、それをできるだけの熱いチームへの思いと実力を兼ね備えていたのだ。そしてRBとしてプレーするようになった2年時からは着実に頭角を表していく。持ち前のスピードや俊敏な身のこなし、さらにはここぞという場面での決定力を身につけ、エースへの道を切り開いた。
TDを決める安藤慶
安藤慶が「人生最高潮と言っても過言ではない」と自信を持って振り返るのは、憧れの「7」を背負って出場した3年時の全日本大学選手権準々決勝だ。まだ辿り着いていない日本一へ、新たなエースがその瞬間を待ちわびていた。だが振り返ると、そこまでには大きな苦悩があった。「実は脳振とうだったんです」。日本一へ向けてスタートを切ろうとする直前の診断に安藤慶は絶望した。チーム全体も集中力を高める中、抱える不安を誰にも打ち明けることはできない。経過を待つことしかできない現実、さらには緊張感を募らせる仲間からの視線も気になった。
そして迎えた準々決勝当日。「もう負ける気はしなかった」。その言葉とは裏腹にもちろん怖さもあった。「僕も脳振とうだけは結構怖いんです。でも守ってプレイした方がけがすると思って」。言葉通り、試合中の安藤慶は無双状態。試合開始直後の先制TDを奪ってからは、試合前の怖さは消え、楽しさに変わっていた。強豪相手への勝利は安藤慶のキャリアにとっても、大きな自信となったという。
4年時、副将となって迎えた早慶戦
副将として迎えたラストイヤー。春は「どん底からのスタートだった」と振り返るが、秋季リーグ戦では関東優勝を果たし、全日本ベスト4でシーズンを終えた。リーグ戦で関東3位となる646ヤードを駆け抜けた安藤慶は、間違いなく早大BIG BEARS飛躍の立役者だった。一方、関東リーグ戦の優勝決定戦となった法大戦や全日本での立命大戦では、安藤慶は無念の負傷退場。RB長内一航(文構3=東京・早実)などを中心に後輩RBたちの活躍をベンチから見届けた。「うれしいと悔しいの両方みたいな」。大一番での相次ぐ負傷退場。チームの精神的支柱となってきた彼にとって、自分がフィールドに立っていない悔しさは人一倍あった。それでも「BIG BEARSは、心を成長させてくれた場所」。自身の結果を喜ぶだけではなく、自分を目標についてきてくれた後輩が、試合で活躍する姿を心から喜べるまでに安藤慶は成長していた。
仲間のTD後、笑顔を見せる安藤慶
「もっと後輩たちに教えたかったな」。選手として競技を続けるか、指導者としてBIG BEARSを日本一へ導くか、もしくはOBとして後輩たちを見守るか。安藤慶が進む先はまだ決まっていない。「絶賛迷い中」と話すのは、エースとしてチームをけん引し、何もよりもチーム思っているからこその言葉だ。「生まれ変わってもRBがいちばん」。たとえどの道に進むとしても、人々を魅了したエンジの7番は、どんな困難もかいくぐり、自身のフィールドを駆け抜けるに違いない。
(記事 大村谷芳 写真 沼澤泰平、丸山勝央、荒川聡吾)