【連載】『令和7年度卒業記念特集』第26回 守屋雄司/ハンドボール男子 

卒業記念特集記事2026

様々な出『合』い

 「ハンドボール、仲間、指導者、両親、数々の出会いとその考えや想いが重なり合ったことで、ここまで続けてこられた」。2度の大けがを経験するも、ハンドボールの楽しさを忘れることなく、多くの支えに対する恩返しの気持ちを持ってプレーを続けてきた。『主将』としてチームを率いた守屋雄司主将(スポ4=神奈川・法政二)の競技人生を振り返る。

秋季リーグ中大戦で、ゴールを狙う守屋

 ハンドボールとの出会いは、母が創設したハンドボールクラブに連れられた4歳の頃。月3回の練習を楽しみながら続けていた小学生時代を過ごすも、中学校に入ると厳しい練習になかなか前向きになれずにいた。しかし鮮明に覚えているという中学1年生の3月19日、左膝の前十字靭帯断裂、外側半月板損傷の大けがを負い、1年2か月のリハビリ期間を過ごす。「けがをしてからハンドボールをしたい」という想いや、自分が試合に出られない中で「チームにどのように貢献できるか」、また「ハンドボールができることに感謝」する気持ちが芽生え、ハンドボールに対して能動的に向き合うようになった。高校1年の夏まで、けがで試合に出られない状況にあったが、その中で自分自身の強みを生かし試合に出るためにはどのポジションでプレーすべきなのか試行錯誤を繰り返し、LBからPVへの転向を決意した。

フィジカルの強さを生かした2枚目のディフェンスをする守屋

 高校時代、数々の大学と練習試合を繰り返す中で、早大の選手たちの積極性や前向きなプレーに魅了され、目指していた早大のハンドボール部に入部。1年生の春から試合に出場するもその年の6月22日、右膝の前十字靭帯断裂、外側半月板損傷の2度目の大けがを負い、守屋が「人生で最も辛かった時期」と語るリハビリ生活が始まった。通院を繰り返しながら「何をしているんだろう」と精神的に滅入る時もあった。それでも「ハンドボールはやっぱり楽しい」「リハビリなど沢山の人の支えがあったにもかかわらず途中であきらめることは失礼、復帰して恩返しをしたい」という強い思いがハンドボールを続ける理由になった。守屋が「何かチャンスがあればつかみに行きたかった」という大学2年2月、ドイツのチームで練習に参加することを決めた。憧れの世界でもあったヨーロッパでのハンドボールの試合観戦やドイツでの練習など、様々な学びを得た後、ついに関東学生秋季リーグで本格復帰を果たす。

春季リーグ直前の練習で、指示を出す守屋

 上級生となった3年生、守屋は副将を任された。守屋は「後悔の残る1年だった」と語る。チームや自分自身の成長のバランスを上手くとれず、人間として欠けている部分があったと振り返る。それでも主将として率いる側に立った4年生は、「後悔が多かった1年」と語りつつ、自身の精神的な成長を受け止めていた。練習の時から檄を飛ばしチームを盛り上げる声かけはいつものことながら、迎えた春リーグ開幕戦で相手に10点差をつけて勝利した。当時、守屋は「入学して6回リーグ戦を経験していきましたけど、初戦を勝てたことが1回しかなかったので初戦の難しさはわかっていましたし、勝ち切れたことがすごく良かった」と笑顔で語っていた。不安や悩みを抱えながら挑んだ春・秋リーグ。納得のいく結果ではなかったと語るが、多くの支えが1年間主将としてやり切る要となった。

 劇的な逆転勝利をあげた秋リーグ最終戦を終え、いよいよ学生生活の集大成、全日本学生選手権(インカレ)を迎える。昨年初戦敗退をし涙を呑んだ開幕戦だったが、今年は同志社大を相手に粘り強い戦いで勝利した。大体大との2回戦で惜しくも敗退し「本当に申し訳なかった。春と秋なかなか勝てない中でよく1年間ついてきてくれたなと思います」と悔しさをにじませ早大ハンドボール部での現役生活に幕を下ろした。

早慶戦での勝利後、共に戦ってきた仲間に胴上げされる守屋

 早大ハンドボール部において、3年生で任された『副将』、そして4年生では常にチームを率いる立場として『主将』という肩書きを背負い戦ってきた。ハンドボール選手として1つの区切りとなった早大ハンド部の引退。守屋はこれまでのハンドボール人生を『合』と漢字一文字で表現した。仲間、指導者に恵まれ、ハンドボールを通して関わってきた人たちとの考えや心が合ってきた、だからハンドボールを続けてこられたと語った。現在、守屋はアイスランドのチームでプレーを続けている。幼少期からの大好きなハンドボールをできるだけ長く続けていきたいという想いから競技を続ける選択をした。アイスランドでは自分の想いを伝えきれないもどかしさ、言語の壁を感じつつも懸命に、ハンドボールを楽しんでいる様子が伝わってきた。

(記事 佐野真悠子、写真 片山和香、大村谷芳、林朋亜)