【連載】『令和6年度卒業記念特集』第57回 佐藤健次/ラグビー

卒業記念特集記事2025

終わりなき旅へ

 1月13日、全国大学選手権(大学選手権)決勝。選手入場の音楽が秩父宮ラグビー場に鳴り響き、先陣を切ってグラウンドに入るHO佐藤健次主将(スポ4=神奈川・桐蔭学園)は爽やかな笑顔だった。大学ラグビーの頂点を決める最高の舞台を心から楽しむ姿は、これまで早大ラグビー部を姿勢で、声で、背中で、プレーでけん引してきた佐藤そのものであった。惜しくも日本一を逃し、『荒ぶる』を歌うことは叶わなかった4年間だったが、『強い早稲田』を取り戻すために戦い続けた佐藤の大学ラグビーを振り返る。

 関東の名門・桐蔭学園高で全国高校ラグビーフットボール選手権連覇を達成し、世代の中心に立ち続けた佐藤は大注目を受けて早大に進学した。「自分が一番成長できる場所」として選んだ早大では、期待に答えるようにルーキーイヤーからスタメンに定着。関東大学対抗戦(対抗戦)デビュー戦から2トライを挙げる活躍を見せ、大学でも変わらない傑物ぶりを発揮した。

 続く2年時にはHOに転向。日本代表入りを考えた、将来を見据えたコンバートだった。セットプレーの要となるHOに挑戦することは容易ではなかったものの、選手としての幅を広げる選択だったことに間違いはない。「1,2年の時は自分のスキルアップのことだけを考えていた」と語ったように、貪欲にラグビーに向き合ってきた2年間だった。結果として4年時にJAPAN XVに選出され、マオリ・オールブラックス相手にモールからトライを挙げる活躍をして見せたのだから、ポジション変更という決断は佐藤のラグビー人生に大きな影響を与えたということは言うまでもない。

2年時、対抗戦・明大戦でステップを踏む佐藤

 「大ちゃん(伊藤大祐(令6スポ卒=現神戸S)を優勝させるために頑張った」と語るのは3年時。高校時代からともにプレーしてきた大好きな先輩と『荒ぶる』を歌うため、チームのために戦った1年だった。しかし、大学選手権の結果は大阪の地で京産大相手にまさかの敗戦。年越しを迎えることなく先輩たちの引退が決定し、試合後に佐藤は伊藤の胸の中で大粒の涙をこぼした。残された後輩たちに色濃く残る大敗の記憶は、先輩たちが最後に残してくれた悔しさそのもの。『荒ぶる』への強い思いを再確認するきっかけとなったこの一戦は、後のチーム佐藤の快進撃に大きな役割を担った。

3年時、大学選手権・京産大戦で敗戦し、伊藤の胸で泣く佐藤

 迎えたラストイヤー。佐藤は主将に就任し、「強い早稲田を取り戻す」と宣言。『Beat Up』というチームスローガンのもと、勝ちに貪欲な集団を作り上げ、次々と白星を重ねた。対抗戦が開幕し、11月に48ー17で帝京大を撃破。しかし、佐藤は「まだ終わりじゃない」と目標の対抗戦全勝優勝を達成するその時まで緊張を緩めることはなかった。最終節の早明戦では27ー24と伝統の一戦らしいクロスゲームを制し、17年ぶりの完全優勝を果たした。

 歓喜の瞬間から一週間後、トップチームが大学選手権に向けて準備する中、行われた4年早明戦。早大と明大、両校4年生の意地と意地がぶつかり合うこの試合を佐藤は4年時で最も印象に残っている瞬間として挙げた。試合前アップの最後に行うタックルでは「カメ(亀山昇太郎、スポ4=茨城・茗溪学園)やセナ(細矢聖樹、スポ4=国学院栃木)がスーツのままタックルを受けていて、良いチームになったなと思った」と佐藤が振り返ったように、4年生全員の熱意が前面に表れた試合だった。試合は高校時代からの盟友、門脇浩志(スポ4=神奈川・桐蔭学園)がスクラムでペナルティーを獲得するなど大きな盛り上がりを見せたものの、結果は敗北。しかし、同期が最後まで全力で戦う姿を見て「エナジーをもらえた。自分たちもこの気持ちを背負って最後まで戦わなきゃと思えた」と佐藤は笑顔ながらに語った。

4年時、対抗戦・帝京大戦でディフェンスに仕掛ける佐藤

 そして迎えた大学選手権。初戦の近大戦を難なく突破し、準決勝で相まみえたのは昨季大敗を喫した京産大。苦手意識があるかに思われた相手だったが、「前回とはチーム全員の熱さが違った」と、勝利に貪欲になった早大が31ー19で西の名門を下し、ついに決勝にコマを進めた。

 対抗戦全勝優勝から勢いそのままにここまで走り続けてきた早大が帝京大を撃破し、5年ぶりに『荒ぶる』が響き渡ることを早大ファンの全員が期待していた。しかし結果は準優勝。念願の大学ラグビーの頂点まであと一勝、あと一歩届かなかった。絶対王者の牙城を崩すことができず、赤黒の2番は試合後に一人声を上げて泣いた。「自分たちが何か悪かったわけではなく、ただ単に帝京が僕たちを上回った。」そう試合を総括した佐藤は「一生忘れない。この悔しさを糧にワールドカップに出場したい」と前を向く。この敗戦に価値をつけられるのは佐藤本人しかいない。

4年時、大学選手権・京産大戦でトライを挙げ、雄叫びを上げる佐藤

 「とにかく自分が頑張る。口だけにならず、行動で示すような、言葉に重みのあるキャプテンになりたかった」と理想の主将像を振り返った佐藤は第107代早稲田大学ラグビー蹴球部主将として、仲間たちにあるべき姿を示し続けた。練習は必ず最後まで残り続け、誰よりも、これまでの自分よりも「ラグビーに熱くなれた」4年間だったと語る。佐藤が中心になって作り上げた今季の早大は「優勝しなければならないチーム」と自身でも評価するように、近年で最も優勝を予感させた『強い早稲田』であった。佐藤が赤黒の2番を着て、力強く前進する姿をもう見ることはできないが、いくつものシーンを鮮明に思い出せるほど佐藤の4年間の活躍は鮮烈だった。

4年時、大学選手権・帝京大戦でタックラーにぶつかる佐藤

 早稲田大学の卒業を迎える前にアーリーエントリー制度適用により、戦いの場をリーグワンにうつした佐藤。埼玉WKに入団し、合流して2週目から早くもベンチに座った。3月22日に行われた東芝戦も含め、5試合連続でメンバー入りを果たし、すでにチームに適応しつつある。しかし、「メンバーに固定されたわけじゃない。チームに欠かせないプレーヤーになれるように日々練習していきたい」と向上心をあらわにした。
 目指すゴールは野武士軍団の2番ではない。桜のジャージーの2番としてワールドカップに出場する。そして、「世界で1番のHOになる」。そう言い放った佐藤はいつもの笑顔ではなく、鋭い眼差しを向けていた。早大からプロへ、そして世界の舞台へーー
 早大ラグビー部のレジェンドたちが歩いた道のさらにその先はどんな景色だろうか。佐藤の旅はまだ始まったばかりだ。

(記事 村上結太、写真 谷口花氏、川上璃々、西川龍佑、権藤彩乃、村上結太)