逆境こそ成長の時
「敗北を経験して必死になった」。昨年、主将として早大ヨット部を率いた大野誠真(社4=東京・國學院久我山)。史上初の5年連続日本一を目指す中、夏の同志社との対抗戦での大敗が自身とチームの意識を変える契機になった。2ヶ月後に日本一に輝くまでの日々と、自身の4年間について尋ねた。

早慶戦で選手宣誓を行う大野
國學院久我山高のサッカー部出身。3年冬の全国高校選手権大会ではベスト16に入る強豪クラブだった。部員が200人を超えるチームの活動で実感したのは「チームワークの大切さ」。強いチームのあり方は、ここで学んだ。大学で自然と選んだのも体育会。それまでフィールドを駆けてきた分、「颯爽と海上を走るヨット」が新鮮に映った。
入部直後は「とにかく活動についていくのに必死」。毎週末の合宿生活には体力が要った。それでも、2年生になると「念願だった」ヨットに乗り、だんだんとヨットの魅力に気付くように。戦術の奥深さを学ぶうちに、ヨットが「水上のチェス」と呼ばれるゆえんにも気付いた。
3年になると、同期との話し合いで主将に選出。「部員の意見をバランス良く聞き入れ、チームの活性化を」と任された。同時に、自覚も生まれた。「自分の判断には、それを信じて部員がついてきてくれる」。試合では、「勝てば全員のお陰、負ければ自分の責任」という思いを持つようになった。
4年春の関東大学選手権では総合優勝も、内容はあまりよくなかった。「油断は禁物だと分かっていた」が、少しずつほころびは大きくなった。そして、8月の同志社大との定期戦では大敗を喫した。
焦りはエネルギーに変わった。練習時間も増やし、改善できる場所をあぶり出す。常々口にしてきた言葉は「チーム全員で勝とう」。合宿所など、陸でのコミュニケーションを通じた雰囲気作りにも力を入れた。成果は現れ、秋の関東学生選手権では完全優勝を果たした。
そして迎えた全日本インカレ。大会中の不安は「チームを勝たせる」という気持ちひとつで乗り切った。臨んだ結果を得ることで「恩返しができてうれしい」と喜んだ。「敗北を通じてより一層必死になった」と、夏の敗北を力に最後まで駆け抜けた。逆境は成長の機会だった。
今後は競技から離れ、社会人を全うするつもりだ。「優勝して終われたことは一生の思い出」。必死に船を進めた日々を糧に、社会の大海原を進む。