人の温かさに導かれて
サポートメンバー、プレーヤー、学生コーチ、副将。大学4年間で異色の経歴を辿った馬渕純(スポ=岐阜商)は、その親しみやすさや仲間思いな性格でチームを支えてきた。試合会場で聞こえる仲間を鼓舞する声は印象強く、プレー以外でも観客を魅了する。「笑顔」のイメージが強い馬渕だが、この4年間は決して笑顔に満ちていたわけではない。自分との戦いに挫けることもあった。そんな彼の軌跡を、バレー人生の区切りを機に追ってみる。
馬渕のバレー人生の始まりは小学1年生。姉の影響で競技を始めたが、始めは水泳やテニスの習い事と並行してクラブチームに通っていた。当時は男子バレーの人気はさほどなく女子バレーの人気が高かったため、「バレーは女子がやるもの」というイメージで気が進まない面もあった。しかし、小学4年生でクラブチームが変わり、県大会優勝などの成績を残すようになると、自分が成長している実感が楽しく、本格的にバレーに打ち込むようになる。
進学先に早大を選んだのは、文武両道の環境で日本一を目指したいという気持ちからだった。当時の早大は全日本大学選手権(全カレ)4連覇中。1年目はおろか、4年間を通してもコートに立てないかもしれないという覚悟を持って早大の門を叩いた。1年目は想像以上のレベルの高さに圧倒されるとともに、部への敬意も深まった。プレーヤーとしては春季オープン戦で大学バレーデビュー。ワクワクする反面、「早稲田は負けてはいけない」という緊張感もあった。これ以降はサポート中心となり、試合に出られない悔しさも多少あったが、5連覇に貢献したいという思いから割り切れた。サポートに回る機会があまりなかったこれまでに代わり、この1年で組織を知り、基盤を整えることの重要性を学んだ。
春季オープン戦でサーブを打つ馬渕
2年生に進級すると、いよいよ選手としての活動が本格化し、セカンドセッターとしてベンチに入るようになる。早慶戦や、正セッターの前田凌吾(スポ新4=大阪・清風)が不在の夏合宿などで出場機会が与えられた。出場機会の少なかった1年時とは違い、「選手として爪痕を残したい」とプレーヤーとしての鍛錬を積んだ年となった。
上級生となり、このまま選手として成長していくかと思われた3年生、馬渕に暗い影が差す。昨年度の全カレ3位という結果を受け、自分のレベルを上げ、前田よりうまくならなければいけない、そう思うことで自分自身を追い込みすぎてしまった。何をやってもうまくいかず空回りする、イップスのような症状に陥った。同時期、春リーグと東日本インカレの間に4年生が教育実習でチームを抜け、3年生が主体となる期間がある。ここである程度次の年の組織体制が決まるのだが、周囲は馬渕が主将を務めると予想していた。馬渕自身もそう感じていたが、「自分には無理」と浅野翼(スポ=宮城・東北)に主将に就いてもらうことにした。バレーも上手くいかない、さらには主将という立場から逃げたという罪悪感から、馬渕の心は蝕まれていった。
監督とも相談し、一度選手を辞め、復帰を目指しながら部活に顔を出すようにしたものの、夏合宿中に再び限界が訪れる。四六時中バレーに身を置く環境から負荷がかかり、ついに4年生に「部を辞めたい」と伝えた。馬渕の意思を尊重する意見もあった中、引き留めたのは伊藤吏玖(令6スポ卒=現東京グレートベアーズ)だった。「俺は辞めてほしくない」、その言葉にも後押しされ、休養期間を経て落ち着いたのちに心を決める。お世話になった先輩に恩返しがしたい、バレー部としては異例の学生コーチに転身することにした。選手経験を生かしたサポートでチームを支え、全カレ優勝のあの歓喜の瞬間を皆と同じ場所で迎えた。
全カレ優勝時、4年生と喜びを分かち合った
迎えたラストイヤー。大学でバレーを辞めると決めていた馬渕は、最後にもう一度選手に復帰することにした。本来ならば最上級生としてチームを引っ張る立場だが、昨年の経験もあり、「もうチームに迷惑はかけられない」と当初は自身の心配が上回っていた。浅野が離脱した5月頃からチームについて考えることが増えていく。その間、馬渕が4年生の代表として活動しており、浅野の復帰後も浅野、馬渕、前田の3人でチームを引っ張る構図であったため、夏以降は前田を主将に、浅野と馬渕を副将に据えることとなった。昨年は主将の立場から目を背け、今年はプレーヤーに戻るとわがままを言った自分なんかが副将をやってもいいのかと思う反面、これまで迷惑をかけた分、役割を果たして貢献したいと意を決する。
黒鷲旗で仲間に声掛けをする馬渕
体制が変わりチームが同じ方向を向くようになると、秋リーグでその成果が現れる。劣勢時でも以前のように雰囲気が沈むことはなく、全勝優勝を果たし、勢いに乗った早大の全カレ優勝へのロードマップは順調に描かれているかのように見えた。しかし、それは完成には至らなかった。準決勝で日体大にフルセットの末に敗れ、3位での幕引きとなる。決して慢心していたわけではないが、練習で詰め切れない場面もあった。コートに立てない以上、日々の練習で雰囲気を正すのが4年生の役目であったにもかかわらず、それを果たせなかった。この結果を馬渕は「4年生の責任」と評価する。「前田を日本一のキャプテンにし、胴上げしたかった」、集大成は悔いの残る結果となった。
3位決定戦に勝利し、戦った後輩をたたえた
それでもこの4年間は馬渕にとって紛れもなく人生で最も大きな4年間であり、今後もそれは変わらないだろう。「先輩、後輩、同期の支えで苦しいことも乗り越えられた。乗り越えさせてもらった」と口にしたように、早大で感じた人の温かさは、馬渕の今後へとつながっていく。
卒業後はフィールドを変え、デベロッパー業界に就職する。いつかスポーツアリーナを作り、スポーツに貢献したいと語る。「これまでたくさんに人に支えられてきた分、今度は自分が人を支え、笑顔にしたい」。苦しみながらもこの4年間を全うした馬渕なら、それができるに違いない。
(記事 町田知穂、写真 井口瞳、町田知穂)