追い求めた「理想のチーム」とソフトボールの楽しさ
「最高の仲間とソフトボールができた」。最後の試合を終えた畠山陸(スポ=高知西)は、主将として臨んだラストイヤーをこう振り返った。ソフトボール部の伝統・幹部選挙によって主将に選ばれた畠山は、苦難を重ねながらも理想のチームを作り上げた。野球経験者も多い環境で、ソフトボール一筋の畠山はどのようにチームを率いていったのか、振り返る。
小学生の頃からソフトボールを続けてきた畠山だが、主将になったのは初めてだ。元々人前で話すことが得意ではなく、学生主体のチームをまとめていく姿は想像できなかった。冬のトレーニング期間には下級生との部活への向き合い方へのずれを感じ、チームをまとめていくのに苦労したという。それでも、高杉聡コーチ(平10人卒=群馬・前橋育英)の「チームに必要なキャプテン像を演じろ」という言葉で吹っ切れ、厳しい声かけも率先して行うようになった。
冬を超え、迎えた春季リーグ戦だったが、畠山はベンチでチームを見守る時間が増えた。リーグ戦の直前にケガを負い、満足に試合に出場することができなかったのだ。チームは前半3連勝で全日本大学男子選手権(インカレ)出場を決めたが、最終日に日体大、国士舘大に大敗。チームの苦境を救う事ができない自分に不甲斐なさを感じた。

それでも、教育実習で得たことなどを還元しながら理想のチームを目指した畠山。9月に最後の大会であるインカレを迎えた。畠山は初戦でチームを勢いづける本塁打を放つと、大会を通じて出塁率8割を記録するなど、1番打者としてこの上ない活躍を見せた。しかし、大会について聞くと悔しさをにじませた。

1回戦、2回戦を順当に勝ち上がった早大は、準々決勝で日体大と相対する。春季リーグ戦、東日本大学選手権と連続で敗れている相手だが、当初の目標であった「インカレ優勝」のためには必ず超えなければならない壁だった。試合は接戦となり、同点で迎えた6回、2死一、三塁で打順は畠山に回った。ソフトボールは7回制のため、勝ち越せば勝利に大きく近づく場面だったが、畠山は三ゴロに倒れた。その後、勝ち越しを許した早大はベスト8で敗退。「プレーで引っ張ってなんぼの主将」と考える畠山の脳裏には、この凡退が強く焼き付いているようだ。

大会後、後輩から「ソフトボールの楽しさを味わえた」と言葉をかけられた。畠山自身も、下級生の頃はソフトボールを楽しむ事が信条だった。冬のトレーニングはつらく、楽しいものではなかったかもしれない。それでも、インカレを通じて後輩たちが競技の楽しさを知ってくれたことは、畠山にとって何よりの喜びだった。

畠山は高校生まで過ごした地元・高知県を「結構田舎で、ソフトボールしかないようなところ」とやや自虐的に語る。それでも、自分を育ててくれた地元やソフトボールにいつか恩返しがしたいと考えているという。早大での4年間を胸に、新たなステージへと踏み出す。
(記事 西本和宏 写真 田島凜星、西本和宏)