【連載】『令和6年度卒業記念特集』第43回 園田稚/アーチェリー

卒業記念特集記事2025

4年間を糧に世界へ

「私がいることで、みんなが安心してアーチェリーをできる雰囲気に」。圧倒的な競技力で、早大アーチェリー部を支えてきた園田稚(スポ4=エリートアカデミー)。その活躍は国内にとどまらず、世界大会でもメダルを獲得するなど、今や日本のアーチェリー界の希望となった。早大の絶対的なエースである園田の4年間と今後への思いに迫る。

競技を始めたきっかけは、地元の中学校の近くにアーチェリー場があったからだった。中学校では吹奏楽部に所属していたが、あまり自分にはあっていないと感じていたこともあり、外部活動としてアーチェリーを始めた。最初は週に1、2回練習をする程度だったが、全国大会を目指そうと声をかけられたことで、自分でも全国を目指せるのだとわかりさらに熱中していった。全日本中学生選手権では「自分ができる最大限のことをできた」。そしてこの時に、国際大会で活躍する選手を輩出しているJOCエリートアカデミーから誘いを受け入校。園田の競技人生の基盤となるような、大きな大会だった。

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矢取りから戻る園田

大学入学前年のナショナルチーム選考会では、表彰台に登るまでに成長した。そんな園田は、知名度があり、地元の大分の先輩が通っていたことからあこがれを持った早大アーチェリー部へ。しかし早大の練習環境はこれまでとは全く違うものだった。練習場には屋根がなく、夏は暑く冬は寒い。自販機は遠く、休むスペースもない環境は、これまで良い環境で練習をしていた園田にとって辛いものであり、ストレスになっていた。しかしこの辛い環境は、園田の練習に対する姿勢を変化させる。高校時代まではとにかく練習量を増やし、体に慣れさせることを重要視していたが、練習が満足にできない環境では量をたくさんこなすことは体力的に難しい。その部分を練習の質でカバーできるという考えにシフトした。毎回の練習で目標本数や目標点を設定し、短時間に集中して射つ。そうすることで本数をたくさん射たなくても質を維持し、調子を戻していくことができた。また、早大のアーチェリー部は選手の自主性を大切にしており、平日の練習に監督やコーチが来ることはあまりない。園田のような中高時代からの経験者もいれば、大学から競技を始めた選手も多い。基本的には経験者が未経験者に教えながら部活を進めていくスタイルだ。そのため園田自身はほかの選手に教えつつ、自分の競技については自分で改善していく必要がある。意識するように言われたポイントに、指導者がいない中で試行錯誤しながらアプローチし、競技力を上げるにはどうすればよいのかを、より自分で考えるようになった。

大学に入ってうれしかったことは、今年の全本学生個人選手権(インカレ)で、アウトドア、インドア両方での初優勝。大学時代にしか得ることのできないタイトルをラストイヤーに手にできたことは、大学アーチェリーの良い締めくくりとなった。これまでは自分が優位な場面でも、プレッシャーや緊張感から焦って外してしまったり、そのミスが原因で自分を追い詰めてしまったりすることも多かったそうだ。しかし、今年のインカレインドアは、4年生として、またさまざまな試合を経験し得られた余裕をもって、落ち着いてプレーをすることができた。

 

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インカレで行射する園田

一方で最も悔しかったのは、パリ五輪出場にあとわずか届かなかったこと。東京五輪の日本代表2次選考会で敗退した経験をばねに、準備を重ねて臨んだ昨年3月の国内選考会では、見事1位通過。日本女子代表の一員となった。日本の強い選手に勝てたこと、一方で自身のプレースタイルの弱いところを学べたことは、園田にとって自信になった。そして日本女子団体の代表として昨年6月、パリ五輪の世界最終予選へ。4位以内に入ればパリ五輪出場権を獲得することができるが、日本は惜しくも5位。日本は代表権をとることができず、「期待に応えられなかった」と悔しさをにじませた。しかしその直後に行われたワールドカップ第3戦で、日本女子団体は銅メダル、園田は個人で銀メダルを獲得。しっかり実力を出せたと振り返る一方で、最終選考会からその力を出せていればという悔しさもある。次の五輪に向けて、最初から自分の実力を最大限発揮できるようにしなくてはいけないという学びにつながった。

早大アーチェリー部が毎年優勝を目標にして挑む王座決定戦(王座)は、大学対抗の団体戦で「お祭りみたい」に盛り上がる。1年生から3年生まで毎年大学の代表として出場したが、1年目は4位、2年目は2位、3年目は4位と王座制覇を成し遂げることはできなかった。早大は王座での優勝を経験したことがなく、先輩たちの王座制覇に懸ける思いを知っていたからこそ、自分の代でそれを達成できなかったことは悔しかった。最後となる4年目の王座は、パリ五輪選考との兼ね合いで出場が叶わず。早大は4人中2人が大学から始めた部員というメンバー構成で臨んだが、経験者の多い他大に引けを取らず見事準優勝を果たした。世界でも活躍する園田の存在は、間違いなくほかの部員に刺激を与え、早大アーチェリー部の実力の底上げにつながっただろう。「私がいることで、みんなが安心してアーチェリーできる雰囲気に」。試合では園田が必ず高得点を射ってくれるという信頼は、チームメイトがのびのびとプレーできる環境を作り出していたに違いない。そんな園田を支えたのは、いつも応援してくれる同期の存在。海外遠征のため、チーム運営を数少ない同期に任せることもあったが、いつも明るく送り出し応援してくれて、園田にとってそれは精神的な支えとなった。 

 

関東学生選手権で仲間に手を振る園田

アーチェリーは個人競技だからこそ自分の思い通りにできるスポーツだが、誰のせいにすることもできない、厳しい競技でもある。しかし自分の努力がすべて自分に返ってくるからこそ、頑張ろうと思うことができた。早大での4年間で得られたのは「自分でやる」ということ。大学では先輩やコーチに指示をされることは少なく、練習の回数や頻度は個人で自由に決められる。いつ練習をするかだけでなく、練習メニューや試合の進め方も自分で決めていた。高校時代は人に頼ることが多かったが、この4年間で自立し、競技により真摯に向き合えるようになった。アーチェリー部の後輩は、未経験者も多いが自主練を積極的にする人が多いという。協力して練習し、未経験でもしっかり結果を出している彼らに、「王座をとってほしい」と期待を込める。

今後も競技を続行する園田の大きな目標は、ロサンゼルス五輪でメダルを獲得すること。パリ五輪にわずかに届かなった悔しさを晴らせるか。園田は日本のアーチェリーを引っ張る存在として、さらに飛躍していくことだろう。

(記事・写真 神田夏希)