【連載】『令和6年度卒業記念特集』第41回 中野大詞/自転車

卒業記念特集記事2025

試練の先に見えた光

「本当にあっという間だった」。中野大詞(スポ4=岩手・紫波総合)は大学生活をこう振り返る。大学入学当初から競技に真摯に向き合い、数々の大会に出場してきた。しかし、その道のりは決して順風満帆ではなかった。毎年のように怪我や病気に悩まされ、入院生活を余儀なくされることもあった。それでも、最後の全日本大学対抗選手権(インカレ)では表彰台に上がることができた。波瀾万丈の4年間を過ごした中野が、大学生活で得たものとはーー。

 中野が自転車競技を始めたのは兄の存在が大きかった。中学3年生の時に兄、中野慎司(令4スポ卒)がアジア選手権で金メダルを獲得。その姿にあこがれ、「自分も同じ世界で戦いたい」と決意した。進学先として早大を選んだのも、兄の影響が大きかった。一方で、スポーツ科学部の環境も大きな決め手となっていた。特に、最先端のトレーニングや身体の知識を学べることが、自転車競技を続ける上で大きなメリットになると考えたという。

 1、2年生では長距離を主戦場にしていたものの、その後は短距離に転向。長距離のレースで培った集団走行のスキルやバイクコントロール技術は短距離競技にも生かされた。「1・2年生の頃の経験が、最終的にインカレでの表彰台につながったのだと思います」と振り返る。

 4年生では主将を務め、チームをまとめる役割も担った。自転車競技は個人スポーツの側面が強く、選手それぞれの考えやスタイルが異なるため、チームとしての意識を統一することが課題だった。そこで、中野が大切にしたのは「コミュニケーション」だった。選手一人ひとりと対話を重ね、それぞれの状況を把握しながら、練習のオンとオフを明確にすることを意識した。「これまでの自転車部は少し緩い雰囲気もあったので、『体育会らしい厳しさ』を取り入れるようにしました」と語る。一方、最終学年は中野個人としては苦しい時間が続いた。腎臓の病気を患い、レースに出られない日々。それでも、「今やるべきことを冷静に考える」と焦らずに着実に復帰への道を歩んでいった。

 そして迎えた最後のインカレ。チームとして目標としていた男子3位、女子優勝を達成。さらに中野個人としてもケイリンで3位に入り、個人で初めてインカレの表彰台に上がった。病気からの復帰戦でもあり、自分の実力がどれほど通用するか分からない状態だったが、地道な努力の積み重ねが見事に結果として花開いた。

4年時のインカレ、ケイリン決勝のレースを走る中野

 中野は卒業後、競輪選手としての道を歩むことを決めた。一時は病気の影響もあり、就職活動も考えた。しかし、スポーツは若いうちにしか挑戦できない。だからこそ、後悔しないように限界まで挑戦したい。その強い意志が、中野を競輪の世界へと駆り立てた。「トップアスリートとして競輪の世界で活躍できるよう、全力を尽くしたい」決意を語る。

 中野は、自身にとっての自転車競技の存在を、「早稲田大学に入るきっかけをくれ、早稲田を大好きにさせてくれたもの」と語る。自転車競技とともに駆け抜けた早大での4年間。その集大成を胸に、新たなステージでの挑戦が始まる。

(記事、写真 植村皓大)