【連載】『令和6年度卒業記念特集』第30回 八木義仁/米式蹴球

卒業記念特集記事2025

日本一のクォーターバックを目指して

 「日本一を絶対に取りたい」。エースクォーターバック(QB)の八木義仁(政経=東京・早大学院)はこの思いで大学4年間を過ごした。小学校1年生からフットボールを始め、ワセダの看板を背負い続けてきた男のこれまでに迫る。

 BIG BEARS出身で社会人までプレーをし、現在はBIG BEARSの助監督も務める父を持つ八木にとって、フットボールはとても身近なもので、自然とプレーする環境があった。小学一年生でフラッグフットボールを始め、スポーツは他にもサッカーやテニス、水泳などさまざま経験していたが、最終的にはアメリカンフットボールをやりたいとその頃から思っていたという。アメフトの強豪・早大学院高に進学すると、日本一を目指して練習に励む。高校3年次は日本一を取れる自信があったものの、コロナ禍の影響で、思うように練習ができなかった。結局日本一を達成できず引退し、「大学ではエースQBとして絶対日本一になりたい」と、大学での活躍を誓った。

秋季リーグ・中大戦でパスを投げる八木

 BIG BEARSに入部した1年目は、大学のアメフトのレベルに圧倒された。プレー、そして選手一人一人のスピードの速さについていくことができなかった。「高校までの貯金だけではなく、それまで以上に工夫して練習に取り組まなければいけないんだと感じた」と振り返る。2年目は、「とにかく自分の出場チャンスを獲得しよう」と、外部のクラブにも通い、実力向上に努め、秋季リーグ戦では数試合に出場する。しかし、点差が開いた場面でのみの起用で、もどかしい気持ちの中でプレーしていたという。3年生になると、各ポジションのリーダーが集まって行う話し合いにも特別に参加するなど、オフェンス全体に気を配ることを意識するようになる。秋季リーグ戦でも、スタメンとしてオフェンスを引っ張っていく立場になったが、力不足だったと反省した。

 迎えた最終学年では「組織としてまとまりのある、クレバーなチームにしていきたい」と、副将に就く。3年次では遠慮がちだったところを改め、部員みんなを巻き込んで練習を愚直にやろうとリーダーシップを執った。効果は現れ、「口先だけではなく、本当に頑張ればこの先日本一があるかもしれない」と思える充実のシーズン前半を過ごした。そして臨んだ秋季リーグ戦では、エースQBとしてチームを引っ張り開幕から勝利を重ねる。しかし、2年ぶりのリーグ優勝を向けた大一番、法大戦では前半の無得点が響き、惜しくも敗れてしまう。ただ、この試合が八木にとってターニングポイントになった。「不用意に相手のDLから逃げ回ろうという意識を持ってしまい、それで通すべきパスを通せなかった」と分析し、続く立大戦では、仲間を信じ、腹をくくったプレーでオフェンスをけん引。そのシーズンの最多得点である37得点に貢献し、「QBが変われば、オフェンス全体も変わる」と、確かな手応えを得た。

立命大戦で指示を出す八木

 秋季リーグ戦を2位で終え、日本一を目指した全日本大学選手権の初戦・関大戦。この試合でも複数のロングパスを決めるなど、3タッチダウン(TD)パスの活躍で勝利を収め、準決勝・立命大戦に挑む。この試合でも2つのTDパスを決めるなど八木は持ち味を発揮したが、チームは敗れ、小学生の頃からの憧れの舞台であった甲子園でプレーをすることは叶わなかった。

 八木には理想のQBがいた。NFLのレジェンドであるトム・ブレイディだ。どのような点差で負けていても冷静さを欠かずに逆転していく姿に憧れを抱いていた。「理想の姿にほんのちょっとは近づけたんじゃないかな」と、笑みを浮かべ、大学4年間を振り返った。八木は卒業後、社会人アメリカンフットボールリーグであるXリーグに進み、競技を続ける。慣れ親しんだエンジのユニホームを脱ぎ、また一つ上のステージへ上る。社会人でも「冷静にプレーして、パスを次々に決めていく」と意気込んだ。BIG BEARSの「誇り」を胸に、高校、大学で果たせなかった日本一に向けて、八木のフットボール人生は続いていく。

(記事 沼澤泰平、写真 富澤奈央、沼澤泰平)