【連載】『令和6年度卒業記念特集』第29回 小林亮生/米式蹴球

卒業記念特集記事2025

かけがけのない4年間

 「辛いこともあったが、楽しかったのが一番」。2024年度の早大米式蹴球部BIG BEARSの主将・小林亮生(先理4=埼玉・早大本庄)は主将を務めた1年間を振り返った。大学からアメリカンフットボールを始めたものの、強烈なリーダーシップで4年次には主将としてチームを引っ張った。そんな彼の4年間を振り返る。

 小林がアメフトに出会ったのは高校3年生の10月頃。YouTubeで偶然見つけたBIG BEARSの動画がきっかけだった。「すごくかっこいいな」。それまで野球一筋だったものの、大学では野球を続ける気のなかった小林にとって、アメフトは非常に魅力的に見えた。大学に入学し、BIG BEARSの練習の見学に行くと、部の雰囲気に圧倒される。「全員が本気で勝つことを目指してやっているのがひしひしと伝わってきた」と衝撃を受け、入部の決意が固まった。

主将として立命大戦に挑んだ小林

 オフェンスライン(OL)の先輩にOLの良さを教えてもらい、OLとしてアメフト人生をスタートした小林は、「その日その日の練習に頑張ってくらいついていた」と1年目を振り返る。1年生の新人戦ではゲームキャプテンを任されたものの、実戦形式の練習には参加することもできなかった。「あまり面白くないな」と感じながらも、先輩や同期の助けを借りながら試行錯誤し、経験者との差を埋めるために地道に練習を積んでいった。

 2年目を迎えると、OLの先輩が複数人ケガをしたこともあり、秋季リーグ戦に1試合ながら出場を果たす。「チャレンジしたプレーができた」と手ごたえを感じた。3年生になると、これまで以上に試合に出たいという気持ちが強くなる。秋季リーグ戦序盤はスタメンとして数試合に出場するも、途中からスタメン落ちを経験。「スナップの部分に不安があり、思い切ったプレーができなかった」と悔しさをにじませる。

 最上級生になると、主将に立候補する。すべてはBIG BEARS史上初の日本一を達成するため。2年生の時にサイドラインから見ていた甲子園ボウルでの敗戦が、小林の心に強く残っていた。「強くて偉大な先輩方でも届かないのか」。主将に就任した小林は、「一度決めたことをやりきる」ことを徹底した。そのために、主将として常に周りに気を配ること、自分の甘さを見せないことを意識した。BIG BEARSは200名弱も在籍する大きな組織である。その大所帯をまとめるために、一人で全部をやろうとするには限界がある。そこで、副将の4人を中心とした仲間に頼りながら、みんなで協力してチームを引っ張っていった。また、部員との積極的なコミュニケーションを心がけ、周囲に隙を見せないことで、確かなリーダーシップを発揮していった。

 さらに、前年の反省点であった「オフェンス陣とディフェンス陣の距離」にも着手。オフェンスとディフェンスがお互いを高め合っていけるように、各ポジションのリーダーとの話し合いの回数も増やした。夏合宿以降はオフェンスの連携を高めるために、全体練習前にクォーターバック(QB)、ランニングバック(RB)とともに連携の練習も行うようになった。これを取り組んでからは、練習の質も向上し、全員のボールに対する意識も上がっていったという。

リーグ戦2位の表彰を受ける小林(写真中央)

 秋季リーグ戦では、堅いディフェンス陣と、着実に得点を奪うオフェンス陣がかみ合い、勝利を積み重ねる。法大戦に敗れ2年ぶりのリーグ優勝は逃したものの、2位で全日本大学選手権への出場権を得る。全日本大学選手権の初戦・関大戦では、オフェンスが爆発し、勝利を飾る。「自分、チームの成長を感じられる一戦だった」と振り返った。そして迎えたのは、勝てば甲子園ボウル出場となる準決勝・立命大戦。しかし、日本一への道のりは遠かった。「本当に力の差を痛感した」と語り、試合後は涙が止まらなかった。悲願達成は後輩たちに託すこととなった。

 BIG BEARSでの4年間を「長いようで一瞬で終わってしまった。本当に大学4年間のすべてだった。」と語る小林。大学卒業をもってアメフトに区切りをつけ、大学院へ進む。かけがえのない仲間と作り上げた経験を糧に、小林の次なる挑戦が始まる。

(記事 沼澤泰平、写真 髙田凛太郎、沼澤泰平)