主将、そして整備から選手へと挑んだ4年間
「整備をやりたい気持ちが多かった。」今年度の自動車部主将を務めた平石大智(基幹4=群馬・太田)が、入部当初に思っていたことだ。しかしその後平石は主将となり、自動車部の種目の全てとなるジムカーナ、フィギュア、ダートトライアルにも出走するようになる。2年振りのシーズン優勝となる全日本総合杯奪還を目指し、自動車部を率いた平石の4年間を振り返る。
平石が自動車に興味を持ったのは小学生の頃。多くの自動車好きに愛される「頭文字D」シリーズがきっかけだった。その後、中高時代はバドミントン部に所属し、主将も務める。大学に入学後、いくつかのスポーツサークルを見学する中で自動車部を見つけ、入部した。当時は運転よりも”車イジり”の方に興味があり、スピード競技への出場よりも車両整備に関心があった。当時の主将は、主将でありながら整備にも熟知しており、憧れたという。
フィギュアに出場する平石
2年生になると車両補佐として活躍するようになった。車両補佐とは平石の同期の2名を含めた3名が任命され、試合で使う車両の整備や部品の手配、予算の管理など幅広い業務を行う役職だ。1年生頃から関心のあった整備に取り組むようになり、部活への意欲も増していった。また1年生が入ったことで、後輩に教えられるように部活に詳しくなりたいと思うようになり、より一層部活に励んだという。この年の早大自動車部は多くの大会で快進撃を見せ、全日本総合杯で3連覇を達成した。特に圧倒的な勝利を飾った全日本学生ダートトライアル選手権の場に、平石もおり、楽しい思い出だったと話す。
2年生が終わり、平石は「フィギュアの選手になりたい」という想いを持っていた。もともと整備に関心を持ち、先輩から譲られた車をプライベートでも所有していた平石はその車の整備にも取り組んでいた。そのため同期と比べてプライベートでのジムカーナの練習時間も少なく、速度の出るジムカーナやダートトライアルよりもフィギュアを目指したいと感じるようになった。迎えた3年生では全関東学生自動車運転競技選手権にシーズン優勝には関わらない新人の枠で出場。しかし初の正式な選手としての大会出場はフィギュアではなくダートトライアルとなった。この歩みの裏には主将補佐への任命、そしてジムカーナとダートトライアルへの挑戦があった。
主将として自動車部を率いた平石
3年生では平石は次期主将にあたる主将補佐を務めることになる。平石としては全日本総合杯を目指すという想いがあり、このために強い部活を作る必要があると感じていた。そこで出された答えがジムカーナとダートトライアルへの挑戦であった。これらの競技は部内での選考会を通して、選手が決定される。1人でも多くの選手が選考会を目指し競争が苛烈になることで、もっと強い部活を実現していった。このような経緯で3年の全日本学生ダートトライアル選手権では平石は補欠選手に選ばれ、初の公式戦出場となった。車両係として車両の調整も兼務していた平石だったが、当日は同じ車両係のメンバーや後輩達に笑いながら「パドックには来るな」と言われ、初めての出走に集中できる環境を作ってくれたという。
主将となった平石の目標は1つ。全日本総合杯の獲得だ。この背景には2年生の時の全日本ダートトライアルがあったという。その時のチームの盛り上がりや喜びを、経験したことのない後輩達にも味わってほしいという想いがあった。同期にも競技も運営を含めて支えられながら、1年間自動車部を率いた。また競技面では初のジムカーナ出場も果たし、チームの勝利にも貢献した。
しかし、全日本総合杯には惜しくも手が届かなかった。今年度の早大は強かったが、最終戦のフィギュアで惜しくも慶大に打ち勝つことが出来なかった。平石は自身が主将を務めた1年間を振り返り、後悔は多いと話す。特に個人としては「競技をもっと早く始めていれば」と話した。一方で競技生活を通して「考えることの大切さ」を学んだという。中高時代に励んだバドミントンでも考える場面は多かったが、この自動車部ではより多くの場面で考え、競技を行いチームを率い、平石自身も成長していった。4年間の成長を糧に平石は次の1歩を踏み出す。
(記事・写真 大西由雅)