【連載】『令和6年度卒業記念特集』第39回 小林裕仁郎/軟式庭球

卒業記念特集記事2025

あの日の僕へ

 憧れの船水颯人(平30スポ卒=現水原市庁)と同じ環境でプレーすることを夢見て、早大に入学した小林裕仁郎(スポ4=福井・敦賀)。しかし、足を踏み入れたその場所はレベルの高い環境だったからこそ、レギュラー争いは熾烈(しれつ)だった。「人一倍、練習をやっているのに、結果が出ない」。目標と現実の狭間で思い悩んだ日々。それでも、「やりきった4年間だった」と小林は語る。誰もが認める努力の先で、小林が見た景色とはーー。小林の歩んだ早大での4年間、そして、ソフトテニスに捧げてきた16年間の軌跡をたどる。

 ソフトテニスを始めたのは小学校1年生の頃。コーチである父親と、競技をやっている4人の兄姉のもとで育った小林にとって、それは「必然」だった。同じクラブ出身の石森崇大(スポ4=福井・敦賀)曰く、小学生時代は父親に怒られ、よく泣いていたそうだ。そんな厳しくも愛にあふれた指導のおかげで、目覚ましく上達した小林は、地元・福井県で優勝するほどに成長。小学校高学年になると、北信越大会で優勝するなど、活躍の幅をさらに広げた。「全国で勝てる選手になりたい」。「泣き虫」だった少年に、そんな思いが芽生え始めた。

 しかし、中学校に上がった当初は福井県で優勝することさえ困難を極めた。自身が思い悩む一方で、小学生の頃、北信越の大会で対戦していた端山羅行(社4=石川・能登)が少しずつ全国のトップへの階段を駆け上がるのを目の当たりにし、苦渋を味わった。転機となったのは、中学校2年時の全国大会。団体戦でベスト8入りを果たし、全国に存在感を知らしめると、翌年には14歳以下の日本代表に選抜された。矢野颯人(社4=奈良・高田商)をはじめ、様々な人からテニスの技術を学んだ中学校時代。「ありがたい経験をさせてもらった」と、小林は当時を振り返る。

 高校は地元の敦賀高校に進学。1年時のインターハイ北信越予選では、団体で1回戦敗退を喫したものの、個人でベスト16へ進出し、まずまずの結果でスタートを切った。もう一歩上のステージへ進みたい2年目。願いとは裏腹に、大スタンプが小林を襲った。インターハイの権利を得るのも精一杯。勝てない大会が続き、「テニスをするのが嫌になった」。しかし、程なくして出場したハイスクールジャパンカップでは突如全国3位に。インターハイ本戦に向けて、周囲の期待は高まったが、インターハイは個人・団体ともに不完全燃焼に終わった。優勝を狙った秋の大会は3位。「準備を万全にして臨んだのに、勝てない」。トラウマが頭に根付いた。そして、高校2年の冬に新型コロナウイルスが流行。高3の春にはその年1年間の大会の中止が確定した。意外にも、「すごくショックを受けた記憶はない」という。大会がなくなった悲しみを感じつつも、プレッシャーから解放され、心のどこかで安心した自分がいたのだ。頑張る理由は早くも大学へと変わっていった。

 当時からソフトテニス界を席巻し、若きソフトテニスプレーヤーの憧れの的となっていたのは船水颯人。小林も船水に憧れた一人だった。「同じ環境で自分もやってみたい」。早大軟式庭球部のOBであった顧問の勧めがその思いを後押しし、小林は早大の門を叩いた。入学当初に掲げた目標は「ナショナルチームに入る」こと。だが、そんな希望を胸に踏み込んだ世界はそう甘くはなかった。「レギュラー争い」ーー。全体のレベルが高いがゆえに、経験したことのない壁が立ちはだかった。1年秋の関東学生秋季リーグ戦(秋リーグ)の代替大会では、同期の吉岡藍(社4=群馬・健大高崎)に番手争いで負け、最後の1枠をつかめず。ルーキーながら5戦中3勝と、「自分だったら出せなかった」結果でチームに貢献する吉岡を見て、「吉岡とそんなに変わらないと思っていた自分」を情けなく感じた。

 2年生の春リーグでも出番は回って来ず。「もしかしたら4年間このまま出れずに終わるかもしれない」。焦りを感じるとともに、「練習は人一倍やっている自信があった」からこそ、正解が分からなくなった。それでも、波のように押し寄せる試合。そんな小林に、大学2年の夏、「大きな転機」が訪れた。腑に落ちないまま出場した東日本インカレで、個人でベスト16まで勝ち上がったのだ。「意外と力を抜いてやることも大事だと気づいた」。モチベーションがなかったことで、いい意味で肩の力が抜け、脱力したプレーができたという。「それがきっかけで秋リーグに出してもらえたり、少しずついろいろな大会に出してもらえるようになった」。暗闇に光が差し込み、小林は4年間を折り返した。

 3年時の春リーグでは大躍進のフル出場。1学年後輩の松本翔太(スポ3=香川・尽誠学園)と初めてペアを組み、5戦5勝で全勝賞を獲得した。自信を取り戻して臨んだ東日本インカレでは、団体で優勝。「インカレまでそのまま行けたら」。団体のメンバー入りを目指し、さらなる練習を積むも、コートに立つ小林の姿はなかった。「間違いなく練習はずっとしているのに、なぜ勝てないのだろうか」。改めて悩み始めた時期だったという。そのまま、世代は交代し、自分たちの代がやってきた。秋リーグでは優勝を果たしたものの、助けられてばかりの自分。「まだ成長できていない」。嬉しいはずなのに、心の底から笑うことができなかった。間もなくやってきた六大学では、秋リーグで負けた法大の相手に勝つことができた。「船水さんからいただいてるアドバイスを参考に、石森と2人で作戦を立ててうまくできた初めての試合だった」と小林はその一戦を振り返る。「試合の組み立て方」を見つめ直し、成長の足がかりを得た。

 大学生活もあっという間に3年が過ぎ、ついに最終学年を迎えた。春の六大学では、4勝1敗とチームに貢献し、団体で優勝。個人戦ではベスト4入りを果たした。小林にとって、大学生になって初めて個人戦で賞状をもらえた大会だった。「少し頑張りが報われた」と、幸先の良いスタートで輝かしいラストイヤーが期待された。しかし、5月の春リーグでは国学院大学に白星を1つ挙げた後、自らのミスで流れを断ち切り、明大に敗戦。その後の2試合では、2回連続5番勝負を託されるも、勝つことはできず。目標にしていた大学王座への出場権が目の前で消え去っていくのが見え、申し訳なさと悔しさでいっぱいになった。個人としても、インカレ個人戦の自力枠を2回逃し、校内枠に。調子の良し悪しとは関係なく、勝てなかった期間だったという。

 そして迎えたインカレ。「最後の大会」だと理解しつつも、「いつも通りに」。平常心を持って臨んだという。最初に行われたのは個人戦ダブルス。大体大、西日本工大、関西大のペアを余裕の見えるカウントで下し、5回戦へと順調に勝ち上がった。5回戦では明大の間庭・木内組にファイナルで勝利。6回戦でも立命館大の小黒・丸尾組相手に再びファイナルゲームとなった。最終ゲーム序盤、2点のリードをつけられるも挽回し、ポイントカウントは3-3。しかし、アウトとネットミスで再び2点差をつけられる。1点を返したものの、そのまま連続得点を許し、小林の夏は終わった。試合後、小林の目には大粒の涙があふれていた。練習で自分がどのような打ち方をしているかを動画に残し、自分の中での最高のプレーを研究してきた4年間。「それを発揮する場所がもうないんだ」と実感し、寂しさが込み上げてきたという。決して「悔し涙」ではない。「やれることは全部出し切った」と小林は充実感をにじませ、明るく振り返った。

 大会開始から4日目には団体戦が開幕した。後衛からは矢野、吉田樹(法4=東京・早実)、浅見竣一郎(スポ1=宮城・東北)、髙田淳貴(政経2=東京・早実)、吉岡の5人が登録され、そこに小林の名はなかった。「正直悔しいという気持ちもあった」という。しかし、同時に、小林の心にあったのは1年生の時に感じた嫉妬のような感情ではなく、チームメートへの信頼だった。「その5人ならやってくれるだろう」。自身は仲間の応援と精神面でのサポートに徹した。その結果、チームは2019年以来、5年ぶりとなる団体日本一を達成。小林にとって初めての日本一だった。「優勝した時のあの景色はもう忘れることはない」。「この同期に囲まれながら、このチームで取れて良かった」と小林は話す。今度は心の底から笑って、喜びをかみしめて。

「自分に胸を張って見せられるようなプレーをできるように」。

 これは小林が試合に出る際、心がけていたことだ。泣き虫だった自分。プレッシャーに打ちのめされた自分。情けなさでたまらなくなった自分。校内戦で負けて苦しい思いを抱えながら帰った自分。あの日の自分に、「胸を張って見せれるようなプレーをできるように」、誰よりも早く練習を始め、誰よりも多く球を打った。いろいろな人に学び、試行錯誤した。レギュラーに入るようになっても、それは変わらなかった。勝って驕らず、負けて腐らず。辛かった時期も、嬉しかった瞬間も、そのすべてが今の『小林裕仁郎』につながっている。小林は、4年間を振り返り、大学に入った頃に、思い描いていた4年間とは「全然違う4年間だった」と言う。しかし、何度も打ちひしがれて、負けじと何度も立ち上がったその先で、気付いた。描いてた未来以上の、かけがえのない時間だったとーー。「たくさん負けた分、余計勝つことの難しさや勝った時の喜びを味わえた。負けは負けでもいい負けだった」という小林の言葉にすべてが現れている。そして、小林は言う。あの日の自分に、胸を張って、「やりきった」と。

 卒業後は16年間続けてきたソフトテニスの第一線からは旅立ち、一般就職の道へと進む。戦う舞台は変われど、心にあるものはいつも同じ。「自分に胸を張れる自分でいること」。「同期のみんなとまた会える時に、恥のないような人間でありたい、自慢できるような人生を送りたい」。小林は新たな道での目標をそう語った。小林は過去の自分に、そして未来の自分に胸を張れるよう、これからも歩いて行く。振り向かず、ただ前へ。

(記事・写真 佐藤結)