迷い、葛藤の中で突き進んだ空手道
「競技を続けるか悩んだことも何度もあった」。それでも、支えてくれる人の言葉に背中を押され、空手と向き合い続けた池田倖紀(スポ4=北海道・恵庭南)。空手部を主将として牽引(けんいん)し、感謝の気持ちの大切さをチームに伝え続けてきた池田の長きにわたる空手人生を振り返る。
池田が空手を始めたのは6歳の時。兄が通っていた道場を見学したことがきっかけだった。「空手のセンスがあったみたいです(笑)」。はにかみながらそう振り返る池田は、空手を始めてからわずか半年で全国大会にも出場。自らも可能性を感じ、空手の道を極めていった。形と組手の2種目がある中で、池田にとって楽しく、結果を残せるのは組手だった。自然と組手を中心に取り組み、高校では全国総体の団体組手ではベスト16入りを果たす。
池田は全国総体常連の強豪、北海道・恵庭南高校出身。しかし、高校進学の際には、空手を続けることにも迷いがあったと振り返る。中学までにさまざまな経験をし、燃え尽きを感じたことに加え、新しいスポーツを始めたいという強い好奇心もあった。そんな池田が高校でも空手を続けるきっかけになったのは、道場の先輩やコーチの言葉だった。「絶対に強くなれる」。その一言に背中を押され、出願締め切り直前で進学を決意。入学後は毎朝5時に起床し弁当を作り、授業を受け、練習を終えて帰宅するのは夜22時過ぎ――寮生活ではなく自宅から片道1時間かけて通学し、過酷な3年間を過ごした。中でも印象に残っている大会として挙げたのは、高校2年時の全国総体。団体組手で香川・高松中央と対戦し、2-3の惜敗でベスト16に終わったが、結果的に優勝校となる相手と接戦を繰り広げたことが自信になったと話す。しかし、3年時はコロナ禍で全国総体が中止。悔しさも抱える中で、早大空手部OBからの誘いがあり、「空手を続けるなら早稲田一択」と、文武両道を実現できる環境を求めて早大への進学を決めた。

大学4年時の東日本選手権で上段突きを決める池田
大学入学後は池田の期待通り、空手だけでなく、勉学やプライベートも充実させた毎日を送る。しかし、全てが順調に運んだわけではない。転機となったのは、3年時の六大学戦。調子が上がらないまま試合に臨み、成績も振るわなかったその大会。「何をやっても無駄ではないか」と投げ出したくなるほどの苦しさを味わった。それでも試合後、失意の中にいた自分に対して、周りの人からかけられた多くの言葉が、池田を救った。「考え方がガラッと変わった。そこからは負けても深く考えすぎず、心を安定させられるようになりました」。多くの人に言葉を胸に、どん底から立ち直った池田は、大会での成績も少しずつ伸ばしていった。

大学4年時の全日本大学選手権、最後の公式戦に出場する池田
様々な経験を経て、4年時に主将に就任した池田は、「感謝の気持ちを忘れずに」という言葉を部員に掲げた。3年間の経験を通じて、「部活動は多くの人々の支えの上に成り立っている」という思いを強くし、それを後輩にも伝えたいと考えたからだ。また、夏のアメリカ遠征では、早大空手道部の伝統を肌で感じる機会を得た。空手の試合制度を作った早大の先輩やその弟子の方々と対面し、「こんなにも空手を愛する人々がアメリカにいるのか」と衝撃を受ける。そして、「自分はこんなにも歴史のある部の一員なのか」と実感し、主将としての覚悟を新たにした。
しかしその一方で、空手部の「自主性を重んじる文化」の中で部を率いる難しさにも直面する。「部活は自主性だけでは成り立たない。どこまでを個人に委ねるか、そのバランスに悩みました」。仲間を信じながらも、全体としての方向性を示すことに苦心した池田が目指したのは、「誰一人として取り残さない」チーム。その結果、15人近くが入部した今年度、誰一人として辞めることなく1年間を終えた。「部の居心地の良さはもちろん、一人一人が部への愛を持ってくれたからこそ達成できたこと」。そう振り返る池田の背中を見てきた後輩たちは、周囲への感謝の気持ちを大切に、これからも伝統を紡いでいくだろう。
中学、高校、大学進学。人生の節目の度に競技を続けるか悩みながらも、気がつけば6歳から15年以上、空手とともに歩んできた。そして迎えた12月の早慶戦。現役最後の試合で見事勝利を収め、ついに引退の時を迎えた。「正直、実感は湧いていないです。人生の1つの大きな区切りだと思っていたんですけど、なんだかんだ空手の動画を見てしまうんですよね(笑)」。そう言って笑う池田の表情には、積み重ねてきた年月が感じられた。
インタビューに応じる池田
「人生において、物事への考え方、取り組み方の全てを空手を通して学び、どれだけ自分が周りに支えられていたのか、どれだけ見返りを求めない愛をもらっていたのかに気づきました。だからこそ、自分も自分を支えてくれた人たちのように、優しく、温かい人間になりたい」。
将来について話す池田の目に、もう迷いの色はない。長きにわたる競技生活、そして早大空手部での4年間を胸に、新たな舞台でも感謝の心を忘れず、歩みを進めていく。
(記事、写真 濵嶋彩加)