「応援される、とにかく頑張れるチーム」を目指して
「何が正解かを追い求めながら、試行錯誤の連続だった」。エースとして、主将として、早大水球部を牽引してきた中村大智(スポ4=埼玉・秀明英光)。思い通りの結果が出ないことへの焦りや主将としての葛藤、そしてチームに対する思いと共に、早大での4年間を振り返る。
中村の水球との出会いは、小学4年生の時。当時通っていたスイミングスクールで泳ぐだけでは物足りなさを感じ、地元近くの千葉水球クラブへ入会。中村の水球人生が幕を開けた。高校は、地元を離れ、強豪校として知られる埼玉・秀明英光高へ進学。高校1年時には、インターハイ準優勝、高校2年時の茨城国体でも準優勝など順風満帆な水球生活を送っていた。しかし、主将も務めた高校3年時には、新型コロナウイルス感染症が流行。公式戦の多くが中止となり、消化不良でラストシーズンを終えることとなった。進路で悩む時期もあったが、「少数精鋭型の早大で、実力を試したい」と早大への進学を決めた。
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日本学生選手権(インカレ)でシュートを放つ中村
入学当初は、高校までとはパワーや技術が格段に違う大学水球に馴染めず、苦しんだという。早大の実力ある先輩たちがいるにも関わらず、なかなか結果が出ない現実に戸惑うことも多かった。しかし、中村の武器とするスピードや一対一のプレーは、1年次からルーキーとして攻守ともにチームの要となる。しかし、2年時の日本学生選手権(インカレ)では、まさかの初戦敗退。「自分の力のなさ、無力さを痛感する大会でした」と当時を振り返る。谷健太郎(令5スポ卒)をはじめ、「お世話になった4年生に恩返しができなかった」と不甲斐なさを感じていた。学年が上がるにつれ、結果へのこだわりも増していく中、大学3年時の関東学生リーグ戦(学生リーグ)は、6位。そして、インカレでは、またしても初戦敗退。「4年生のために」臨んだ中村にとって、この敗戦は、あまりに悔しい結果だった。「勝てないけど良いチームだった」と言われることが繰り返されていた早大水球部。しかし、中村は、思い通りの結果が残せていないことにもどかしさを感じていた。
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インカレでディフェンスをする中村
主将として挑んだラストイヤー。「応援される、とにかく頑張れるチームをつくりたい」。中村には、理想とするチーム像があった一方、結果を追い求める中で、焦りがあったという。自分自身やチーム全体を成長させたいという強い思いがある一方で、メンバーの気持ちやモチベーションを大切にしないといけないという葛藤があった。今季のリーグ戦では、昨年度からひとつ順位を上げ、第5位。インカレでは、ベスト8と、徐々に勝てるチームへと成長していく。しかし、中村は、更に上を目指し「チームに対して自分に何ができるのかを常に考える日々」が続いていた。
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日本選手権最終予選会、専修大戦での中村
中村の大学最終戦は、昨年10月に行われた日本選手権最終予選会となった。初戦を無事突破すると次に待ち受けていたのは、専修大。中村が4年間で一度も勝ったことのない相手だった。結果は、専修大に10ー12の2点ビハインドで敗北。日本選手権へ駒を進めることはできなかった。しかし、中村の個人得点は、チーム最多の5点。チームのために貪欲に勝利を求めるエースたる姿だった。「やれるだけの事はやったと思います」。中村は、この1年を満足したキャプテン生活だったと振り返る。
卒業後は、地元で会社員を軸としながらブルボンウォーターポロクラブ柏崎(ブルボン)でプレーを続けることが決まっている。中村にとってブルボンは、小学生の時からの「スーパースターしかいない憧れのチーム」だ。「今しかできないことを大切に」新境地での挑戦が始まる。
(記事 指出華歩、写真 指出華歩、中村凜々子)