【連載】『令和6年度卒業記念特集』第9回 松本信歩/競泳

卒業記念特集記事2025

さらなる世界の高みへ

 200メートル個人メドレーでパリ五輪に出場した松本信歩(スポ4=東京学芸大付)。世代のトップで活躍してきた松本だが、「自分はまだまだ」だとひたむきに練習を続ける。早大でチームとして戦う経験は松本を大きく成長させた。さらなる高みを目指す松本の4年間に迫る。

水泳を始めたのは5歳の時。幼稚園に水泳教室に通っている子が多かったことから、自分も通いたいと親に頼んだという。両親は積極的に練習に連れて行ってくれて、泳ぎを習得してからタイムを縮めていくまでにあまり苦労はしなかった。順調にタイムが縮んでいったため、水泳に熱中していった。入会したスイミングクラブは個人メドレーを重視しており、選手クラスに入ってからの昇級は個人メドレーのタイムが基準だった。そのため小さいころから200メートル個人メドレーを専門としている。小学校のころから全国大会に出場し、気が付いたら日本のトップを目指すレベルまで続けていた。スイミングクラブに入会し通っていた延長に今の松本がある。中学時代には初めて全国優勝を果たし、高校ではジュニアの世界大会の代表に初めて選出された。この時は直前のけがもあり、目標としていたメダル獲得には届かず4位と悔しい思いをしたが、もっと良いタイムで泳ぎたいと思わせてくれる経験となった。

ジャパンオープンで個人メドレーを泳ぐ松本

高校時代までも世代トップスイマーとして活躍していた松本が早大を選んだのは、勉強も水泳も高いレベルで続けられる環境に惹かれたから。同じクラブにいる早大の先輩から、授業と練習を両立できる環境があると聞き、進学を決めたという。松本は簿記や宅建の資格を取得しており、学業も高いレベルで修めている。1年生のときはオンライン授業で自由な時間が多かったことから資格の勉強をするようになり、そこから勉強でも目標を見つけてそれを達成する楽しさがわかった。そこから勉強が習慣化し、隙間時間を見つけては勉強に励んだことで、ハイレベルな文武両道を実現させていった。

順調に水泳の実力を上げていった松本だが、大学に入ってからパリ五輪まではシニアの世界大会の代表に入ることができなかった。国内の大会で2位までに入らなければ代表入りできないが、松本はわずかな差で3位や4位と、あと一歩で代表に届かない悔しさを何度も味わってきた。あとわずか0.4秒届かず代表を逃したときは、本当に悔しくてつらかったと語る。それでも小さいころからの夢だった五輪を目指して、ただひたむきに練習を続けてきた。そしてついに本命である200メートル個人メドレーで、パリ五輪代表入りを決める。初となる五輪に向けて調整を重ね、しっかりと調子を上げてきていたが、五輪はやはり厳しい舞台だった。決勝進出という目標には届かず、世界のトップスイマーとの実力差を痛感した。日本のトップレベルだけでなく、世界で戦えるレベルを目指さなければいけないと実感し、「まだまだこれではだめだと思った」大会だった。一方で海外選手とのふれあいや選手村での生活は新鮮で、世界が広がった良い経験だったと語る。

五輪代表を決めたレース後、喜びをあらわにする松本

五輪を終え、早大のエースとして臨んだ最後の日本学生選手権(インカレ)。五輪に出た種目で、持ちタイム的にも「絶対に優勝しないといけない種目」だった200メートル個人メドレーでは、見事4連覇を達成。自己ベスト更新はならなかったが、早大に大きく貢献した。普段はクラブで練習している松本だが、インカレはやはり特別感があるという。1年生から3年生まで、インカレでしか自己ベストを更新していないというほど、松本にとってインカレは集中して良い結果を残せる大会だった。周りの雰囲気や応援、他の選手のインカレ委欠ける思いが、松本をいつも奮い立たせる。「毎年インカレでは実力以上のタイムが出る」。特にリレーは特別だという。1年生のときのインカレの800メートルフリーリレーでは、事前にメダルを取れたらよいと話していたが、銀メダルを取ることができた。後続の選手が少しでも良い位置で泳げるように、自分が少しでも速くタッチしてつなごうという思いがタイムにつながった。3、4年生のときの800メートルフリーリレーは優勝を狙える位置にいたが、2年とも僅差で2位だった。それでも「2位は2位で楽しい思い出」だと語った。大学外で練習しているとチーム内のことは学内選手に任せてしまうことになる。チーム運営をしてくれた同期や、支えてくれたマネジャーやスタッフに感謝の気持ちを語った。後輩たちも競技レベルの高い選手が多く、より強い早稲田になってほしいと期待を込める。

インカレで200メートル個人メドレー4連覇を果たした松本

競泳の好きなところは、わかりやすさだという。コースロープで仕切られた誰にも邪魔されない空間で泳いで、先にタッチすれば勝ちというわかりやすいルール。だからこそタイムを出すのは自分との戦いだ。パリ五輪選考会では、100メートルバタフライでの代表入りも狙っていたが、わずか0.01秒及ばず代表を逃した。0.01秒というほんの一瞬がどれだけ大きいかを感じた。タイムを出す難しさも痛感したが、タイムはうそをつかないからこそ自分の努力も目に見えてわかる。それがここまで松本が競泳を続けてきた理由の一つだ。パリ五輪を経験して、自分よりも体格の大きい世界の選手たちと戦うためにはどうすればよいのか考えるようになった。自分より3秒も4秒も速い選手と間近で泳いだことで、まだ自分は戦えないと思った一方で「伸びしろもある」と思えた。目指すのは「いろんな種目で優勝できる」選手。200メートル個人メドレーで世界で勝負するには、100メートルの各種目で日本選手権の決勝で戦えるレベルにならなくてはいけないという。今後の大きな目標は、次の五輪の200メートル個人メドレー決勝で戦える選手になること。そのために国際大会で自己ベストを毎年更新することを目指す。これからも世界のさらなる高みを目指し、松本は日本の競泳を代表する存在として活躍していくことだろう。

(記事 神田夏希、写真 大村谷芳、神田夏希)