あきらめず着実に そして強いチームへ
昨季の早大水泳部競泳部門男子主将の長牛太佑(スポ4=京都外大西)。持ち前の明るさで部員たちを引っ張り、個人競技だが「チームとして勝てる」早大を作りあげた。早大水泳部主将としての思い、そして4年間の苦労とたゆまぬ努力に迫る。
保育園の友達がスイミングクラブに通いだすタイミングで、水泳を始めた。母が水泳をやっていた影響もあったという。競技として始めたのは小学生の時。地元である京都のクラブで、同い年だがどうしても勝てない子が一人いた。その子に勝つためにひたむきに練習し、いつしか水泳でほかの人に負けたくないと思うようになった。
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日本学生選手権(インカレ)の決勝で泳ぐ長牛
長牛が早大への進学を決めた理由の一つは、その環境の良さだった。早大水泳部は現役生でも五輪出場者を輩出する名門。プールの環境、指導者や少数精鋭の選手も、ほかのチームにはないレベルの高さだ。もう一つには、長牛の一つ上の先輩である、田丸敬也(令5スポ卒=大阪・太成学院)の存在があった。長牛と同じ個人メドレーを専門とする田丸と同じチームで泳ぎたいという思いもあり、早大の門をくぐった。早大に入り、その強さの秘密を見た。「特別なことは何もなく、ただ当たり前のことを当たり前にこなしていく」先輩たちの姿を見た。ほかのチームにない特別な練習をしているわけではなく、当たり前にやるべきことを、非常に高いレベルで行う選手たち。高校時代までとは違う、自分よりも高いレベルの選手たちがそろう環境に身を置き、彼らとともに練習し、寮生活を送る日々は長牛にとって貴重なものだった。
そんな早大に入って一番うれしかったこととして挙げたのは、大学3年生の時の日本学生選手権(インカレ)で泳いだ4×100メートルフリーリレーだ。それまで、長牛はスランプが長く続いていた。高校2年生のときの自己ベストを越せない時期が3,4年あったという。練習は毎日頑張っているのに、高校時代よりもタイムがうまく伸びず精神的にも苦しい時間が続いた。そんな中迎えたリレーの決勝。ラストインカレとなる4年生もメンバーに入る中、長牛はその4泳を任された。後続を大きく突き放し、早大はこの年、この種目で日本学生新記録を樹立して優勝した。チームで勝ち取ったこの経験は貴重で、苦しくてもあきらめずに続けた自分の努力は間違っていなかったと思えた。
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レース後、仲間の声援にこたえる長牛
部員や監督からの投票で、長牛は主将を任される。入学当初から、主将には強い憧れがあった。強い憧れと志をもって入学した早大水泳部の主将をできることは、長牛にとって光栄で誇れることだった。しかし2,3年と主将の先輩たちの姿を見て、自分には務まらないと感じたという。自分の競技に向き合いながら部員たちをまとめ上げる先輩のようになれるか、不安な気持ちも抱えていた。そんな責任ある立場になって、長牛は「水泳選手としても人間としても手本に」なることを心掛け、自分の行動、言葉には特に気をつけた。同期とのコミュニケーションも大切にした。自分がみていなくても、先輩として同期が見ていて気付くことも多くあり、それを同期間で共有した。主将としてみんなを引っ張ること、まとめることは容易ではなかった。部員それぞれの意志を尊重したいが、チームとしての方針がある以上すべてを認めていくことは難しい。そんなときも同期と相談を重ね、よいチーム運営をするために試行錯誤した。同期は「僕の足りないものをすべて補ってくれる」存在。同期なしでは乗り越えられなかった大学4年間だったと振り返る。
主将としてうれしかったことを聞くと、長牛が主将となって初めて臨んだチーム戦である、関東短水路選手権を挙げてくれた。第一回目の開催だったこの大会で、早大は男女総合優勝を果たし、新チームとして良い滑り出しができた。その後の冬季六大学対抗戦でも優勝、早慶戦優勝と勝利を重ね、夏の関東学生選手権でも各選手が好成績を残した。チーム戦で勝利を重ねることができた要因の一つとして、縦割り班が機能したと語ってくれた。縦の関係を強めるために取り入れている、部内で学年バラバラにランダムに分けられる班である。縦割り班でミーティングを行ったり、オフを過ごしたりすることで、先輩後輩関係なく、誰にでも何でも話せる、何でも言い合える関係を構築することができたという。それがチームとして勝つべきところで勝つ、早大の強さにつながり、長牛にとって最後となるインカレへの弾みとなった。チームとしては男女とも目標順位には届かなかったが、多くの選手が自己ベストを更新し尽力。個人として出場した200メートル自由形では、メダル争いに加わる積極的なレースができた。
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インカレのリレーの後、仲間に声をかける長牛
長牛にとって、競泳の魅力はよくも悪くもすべてがはっきり数字に出るところ。どれだけ頑張っても結果に表れないこともあるが、そのスランプを乗り越えて目標を達成した時に得られる感動は大きい。努力がタイムとして結果に表れるところ、そして支えてくれた人たちへの感謝を自分の泳ぎとタイムで伝えることができる。地元の京都で暮らす母は、大きな試合は都内であっても欠かさず足を運んでくれた。振るわない結果だったことも時にはあったが、最後は自分の納得のいく泳ぎを今まで応援してくれた母に見せることができた。後輩たちに対しては、水泳に真摯に取り組み好成績を残している選手が多く、早大の競技力は上がっていくだろうと期待を込める。しっかりと地に足をつけて、毎日やるべきことをこなし大きな目標を達成してほしいと語った。
18年間の競技生活は多くの人との出会いをもたらし、スランプも経験したが周りの人たちの支えと地道な努力でそれを乗り越えてきた。そんな彼の経験と人柄は多くの人を惹きつけ、信頼につながった。競技を離れた今は、アルバイトや趣味に時間を使い、残りわずかな学生生活を楽しんでいる。今後も水泳は趣味程度に続けていきたいという長牛。自分が選手として帰ってくることを望んでくれる人たちの声にこたえるためにも、完全には引退せず少しずつ水泳を続けていきたいと、さわやかな笑顔で語った。
(記事 神田夏希、写真 安藤香穂、土橋俊介)