【連載】『令和6年度卒業記念特集』第12回 池田海/競走

卒業記念特集記事2025

幸せな時間

 世界で戦うことを夢見て早大に入学した池田海主将(スポ4=愛媛・松山北)の大学陸上は、決して順風満帆ではなかった。3年時の関東学生対校選手権(関東インカレ)で優勝したものの、その後はケガに苦しみ、思い描いた結果を残せなかった。それでも、競走部で過ごした4年間は、「幸せな時間」だったという。この発言の真意に迫るべく、池田が歩んだ4年間の軌跡をたどる。

 全国高校陸上110メートル障害7位入賞の実績をひっさげ、早大に入学した池田。そんな期待の新星は1年時の関東インカレで5位、2年時の同大会では3位で表彰台に上がるなど、前評判に違わぬ結果を残し続けた。しかし、池田は入学してからの2年間を「チャンスをつかめなかった時間」と総括する。シーズン前半は順調に過ごせたものの、ケガや不調に苦しみ、1年間の集大成である日本学生対校選手権(全カレ)では、両年とも入賞には至らなかった。それは、目先の大会の結果に執着したあげく、一貫性のある練習をすることができなかったからだという。「自分を信じられていない」。そうした反省を胸に、競走部での4年間を折り返した。

 迎えた3年時の関東インカレでは優勝。自身初のタイトルを獲得し、順調に階段を駆け上がっていくことが期待された。しかし、このレースで池田はあるケガを発症していた。『恥骨結合炎』。脚を高く蹴り上げるハードル選手やサッカー選手に多く見られるこのケガは、原因が複雑で完治が困難だった。復帰できそうになっても、またぶり返し、池田は結局1年間以上レースに出場することはできなかった。スタンドから応援することになった全カレでは、110メートル障害の後輩である西徹朗(スポ3=愛知・名古屋)が3位に入った姿を見ながら、「自分は何をしているんだろう」と情けなさでいっぱいになった。

 池田がケガで苦しむ中、新主将を決める時期になった。以前から競走部を日本一のチームにしたい、そしてチームをそこに導く存在でありたいと考えていた池田。しかし、ケガで復帰のめどが立たない自分が主将にふさわしいのかという不安にさいなまれた。競走部の主将は圧倒的な強さを持っていた選手が歴任してきた、いわばチームの象徴である。実際に池田がお世話になった3人の主将は皆、全カレの個人種目またはリレー種目で優勝を経験していた。それでも、「ずっとやりたいと思ってきたことを、一時の不安で覆したくない」と主将に立候補し、就任することとなった。

 「自分の掲げた目標に対して自分のやるべきことをひたすらに、そして愚直に」。ケガをしていて、全体練習に入れない中でも、池田はリハビリや動きの改善に徹底的に取り組んだ。さらに、大会に出場できない池田は率先してチームのサポートに徹した。対校戦の集団応援では先頭に立ち声を枯らすと、関東インカレでは早朝からスタッフとともに会場入り。主将自ら、陣地取りを行った。そうした池田の姿勢を見た部員が奮起しないわけはなかった。4月の六大学対校陸上は男女が初のアベック総合優勝、5月の関東インカレでは入賞種目多数、男子がトラック優勝を果たすなどエンジが躍動した。そして翌月、スタンドではなく、日本選手権のスタートラインに立つ池田の姿があった。結果は予選敗退に終わったが、ゴール後一番にこみあげてきたものは、約1年ぶりにレースに出場できた喜び。「もう一段上がることができる」と感じ、全カレ優勝に向けてひたすらに練習を積んでいった。「目標達成に向かって計画を立てたことをやっていけば、必ず目標達成できる」。一見すると、理想論のように捉えられるこの言葉を池田は信じて疑わなかった。そして繰り返し発信することで、池田の信念は競走部全体に伝播(でんぱ)していった。

 「優勝することしか考えていなかった」と強い決意で臨んだ全カレ。予選は難なく突破したものの、迎えた準決勝でスタートから出遅れると後半も伸びきらず。決勝に進むことはできなかった。準決勝のレース後、池田は頭が真っ白になったという。そして襲ってきたのは自分が説いてきたことを証明できなかった申し訳なさ、悔しさ、ふがいなさだった。そんな失意の池田の目に飛び込んできたのは、チームメートの活躍だった。ケガを押して出場しながら個人種目やリレーで躍動する眞々田洸大副将(スポ4=千葉・成田)や鷺麻耶子女子主将(スポ4=東京・八王子東)。その他にもたくさんの部員が池田が説いてきたことを体現する活躍を見せた。「自分が信じてやってきたことを僕は証明できなかった。それでもチームの皆が代わりに証明してくれた」とうれしそうに語ってくれた池田。個人としては悔いが残る終わり方だったが、チームメートに恵まれ、「幸せな時間だった」と競走部での4年間を笑顔で振り返った。

 池田は大学卒業後も、スパイクを履き続ける道を選んだ。フルタイムで働きながら、平日は近所の競技場で、土日は慣れ親しんだ所沢の地で練習を積むという。そんな池田が掲げる目標は、2028年のロサンゼルス五輪でのメダル獲得。「目標達成に向かって計画を立てたことをやっていけば、必ず目標達成できる」。この信念を己の走りでは、大学陸上で体現することができなかった。3年後ロサンゼルスの地で、自らの信念の答え合わせに臨むためにーーー。池田は、今日も明日も、やるべきことをひたすらに積み上げていく。

(記事 飯田諒、写真 堀内まさみ氏、飯田諒)