【連載】『令和6年度卒業記念特集』第1回 印出太一/野球

卒業記念特集記事2025

印出のキャプテンシーがつくった「優勝する資格のあるチーム」

 2024年、9年ぶりの春秋連覇を達成した早大野球部の中心に、印出太一(スポ4=愛知・中京大中京)はいた。第114代主将として歴史の重みを背負いながら、チームの要である4番と捕手まで堂々と務め上げた。プレッシャーをものともせずチームに結果をもたらしたその姿は、まさに主将そのもの。ラストイヤーに快挙を達成した大学4年間を、印出のキャプテンシーのルーツとともに振り返る。

 印出が早大を志すことになったのは、中京大中京高在学時代、明治神宮大会に出場した時のことだった。主将として2年秋の東海大会を制し、学生野球の聖地・神宮球場に乗り込むと、勢いそのままに勝ち進んで秋の日本一の称号を手にする。チームの目標を達成し喜びに浸っていた新主将に、早大・小宮山悟監督(平2教卒=千葉・芝浦工大柏)と稲門俱楽部(早大野球部OB会)会長(当時)で同校OBの望月博氏(昭47社卒)が声をかけた。語られたのは、印出の高校卒業後4年間のビジョン。熱烈な勧誘の末、「早稲田で4年間、小宮山監督の元で戦いたい」と入学を決意した。

 「これが六大学で100年近くやってきた大学の姿なんだな」。入部後の印出は、早大野球部の雰囲気に圧倒された。殺気立ったグラウンドで一球、ワンプレーにこだわる部員の姿が印象的で、それまで大学野球に抱いていた「少し自由な」イメージは完全に覆された。厳しい環境に身を置いたことを実感しながらも、同郷で高校時代から切磋琢磨してきた吉納翼(スポ4=愛知・東邦)ら同期にも恵まれ、印出の大学野球は幕を開けた。

 印出の入部当時、早大の扇の要には岩本久重(令4スポ卒=現Honda)がどっしりと座っていた。強肩強打の正捕手の前には、期待のルーキーとはいえどもまずは下積みの期間が続く。しかし、印出の入学前から小宮山監督には考えがあった。「1年間、岩本からいろいろ学んで修行して、2年生からレギュラーで六大学を代表するような選手になれるように頑張れ」。期待を一身に背負った印出はその後、監督が描いた青写真通りの成長を遂げていくことになる。

2年時、春季開幕カード・早法1回戦で初スタメンとなった印出

 2年春から正捕手として起用されると、いきなり打率3割4分9厘と見事な打棒を発揮。3年になると「4番・捕手」の地位を確立し、チームに欠かせない存在となった。「打てるキャッチャー」。周囲からはそんな評価も聞かれるようになったが、印出にとっては満足のいくものではなかった。「何か変えないといけないというか。あと1勝、あと1球というところで敗れて優勝を逃すことが続いていた3年間でした」。入学してから一度も優勝できていないことは、チームを勝たせる捕手の立場として何よりも苦しいことだった。

 一度も頂点を見ることなく迎えた最終学年、印出は小宮山監督に指名され早大野球部主将に就任した。実は、高校2年時の印出は既に「キャプテンを任せられるだけの選手になってほしい」と期待を寄せられていた。順調に実績を重ね、任された大役だ。小宮山監督は、新チームが立ち上がってすぐに一つの言葉をかけた。「優勝する資格のあるチームになれ」。そのために、印出は「自分が後ろ指を指されないこと」を大事にした。自分が練習や私生活の態度を一番に正し、自分の言葉に説得力を持たせる。チームとしても、グラウンド内の全力疾走や掛け声に対するアンサーにこだわる。初歩的なことを全員でやっていくことで、組織力を高めることをテーマに掲げた。さらに、練習量の確保にも取り組んだ。学生コーチと相談して練習効率を見直し、メニューの組み方が改善した。とにかく勝つために、主将に就任してからというもの、印出は常に監督の言葉を追い続けた。

 そうして始まったラストシーズンは、まさに早大の快進撃だった。春には自身にとって初となる優勝を完全優勝で成し遂げると、全日本大学選手権では決勝にて惜しくも敗れたが準優勝。夏の鍛錬を経た秋には、明大との優勝決定戦までもつれた激闘を制し、9年ぶりとなる春秋連覇を達成した。負けられない試合でもしっかりと勝ち切ることができ、印出は過去の3年間に越えられなかった壁をついに越えた感覚を覚えた。明治神宮大会後、小宮山監督は印出を監督室に呼び出しこう伝えた。「これを超えるほど素晴らしいチームは今までつくれたことがない」。いろいろなものを背負って戦った1年間を終えて、印出がつくり上げてきたチームは間違いなく「優勝する資格のあるチーム」であった。

4年時、明大との優勝決定戦でホームインした印出

 印出の光るキャプテンシーは、選手として大きな魅力だ。プレッシャーは「あまり感じないタイプ」と言い切ったように、主将と捕手でいてこそ真価を発揮すると言っても過言ではない。小学3年生の時に、体が大きかったこともありなんとなく始めた捕手は「きついし、痛いし、暑い」過酷な務めだった。それでも、「今では一番楽しいポジション」とやりがいを感じている。主将には中学生の時に初めて任命された。「中学時代の総監督には、キャプテンとしての心構えやキャプテンに求められることなど中学生にはあまりしていただけないような指導までしていただけたので、本当に感謝しています」。今の印出のキャプテンシーの土台は、ここにあった。

 そして昨年9月、印出はプロ志望届を提出した。中京大中京高時代のチームメイトである髙橋宏斗(中日)の活躍にも刺激を受けながら、大学に入ってからずっとプロ野球の世界を目指してきた。しかし運命の日、ドラフト会議で同期の吉納と山縣秀(商4=東京・早大学院)が指名を受ける中、ついに印出の名前が呼ばれることはなかった。「それが現在地というか。絶対的な力があれば指名を受ける世界なので、その力が足りなかった。ただそれだけだと思っています」。悔しいながらも前を向き、嬉しい思いも苦しい思いもしてきた大学4年間に終止符が打たれた。

 来年度からは、社会人野球の強豪・三菱重工Eastに加入し2年後のドラフトでのリベンジを目指す。今後について伺うと、「まずは1日でも長く現役でプレーし続ける」ことを大きな目標とした上で、こう語った。「社会人にしてもプロにしても、自分の現役が終わった時に何か野球界に残すことができるように。新しいステージでもチームのことを任せていただけるだけの存在になれるように、自分をしっかりと鍛え直したいと思います」。どこまでも、周りのことを考えられる印出らしい言葉だ。「主将・印出」は、どんな場所でも光り輝くに違いない。

(記事 西村侑也、写真 臼井恭香氏、西本和宏)