【連載】ヴァンフォーレ甲府の敏腕スカウト・森淳に聞く『スカウト論』中編 〜獲得選手の日本代表選出への思い〜

ア式蹴球特集

 早稲田大学ア式蹴球部で監督を務める外池大亮(平9社卒=東京・早実)を、当時所属していた湘南ベルマーレへと導いたほか、畑尾大翔(平25スポ卒=現ザスパクサツ群馬)をヴァンフォーレ甲府へと導くなど、早大との関わりの深い森淳スカウト。未来の代表選手を発掘する『敏腕スカウト』の抱く、かつて獲得に携わった選手の日本代表選出への思いとは。

※この取材は4月23日に行われたものです。

右肩上がりで良くなっていく姿にワクワク


今季法大から加入した長谷川はすでに3ゴールを挙げている(5/30時点)

――森さんは原石を連れてくる、と一般的に考えられているところがあるかと思います。それは原石を連れてこようという感覚でやっていらっしゃるのですか。それとも甲府だからこそという面もあるのですか

 それは甲府だからこそという面もあります。僕はそもそもベルマーレ時代、中田英寿(元湘南ベルマーレ)と松田直樹(元横浜F・マリノス)を獲ってこいと言われて。中田は獲得できましたが、ビッククラブと同様のやり方をしてもお金を持っているチームと同様のやり方をする訳で、翌年には狙っていた選手を獲得することはできませんでした。
 それからは、石原選手(石原直樹、現湘南ベルマーレ)であったり、次の年であったら中町選手(中町公祐、現ザンビア・ZESCO United FC)であったり。自分でそれなりのものを感じて獲得した時に、スター選手ではなくともまだまだできる選手はいるじゃないかと。U16、17、18代表に選ばれていた選手でも、結果的に試合に出られていない選手はいっぱいいますから。中田の頃とは全く正反対のことをするようになったんです。

――原石にも着目をするようになったのにはきっかけがあったのですね

 中町や石原を見つけたときには、誰も他のチームからは(スカウトに)来ていない。自分は試合を見て、毎回右肩上がりで良くなっていく姿にワクワクドキドキして。こんなに楽しい事はないと、快感なわけです。もちろん有名な選手をリストアップすることもありますが、そうじゃない選手もこの子たちは成長するという自信がありました。こういうやり方の方がスカウトのやりがいを感じます。

  また、よく言っているのですが、鳴り物入りで有名クラブに入団した選手でも、新人ではなかなか試合に出られない。年間5試合。一方でそうでない選手、試合出場に対してハードルが低いチームの新人の場合、年間20試合出れば、1年目でも15試合も多く出ているわけで、うんと差がつきます。有名クラブに入団した選手が2年目に10試合前後、一方で(後者は)確実に20試合以上出場出来る。2年で40試合以上の差がつきます。(前者が)鳴り物入りで大学リーグのMVPであろうが、(後者が)大学の2番手3番手の選手であろうが、サッカー界の中ではこちら(後者)の価値が高いわけです。そうすれば有名クラブは(後者の選手が)欲しくなるわけです。

 同級生で入ったときには(後者が)ずっと下(の位置づけ)だったのに、3年後には(後者の)年俸の方が高くなる。ましてポジションまで用意される。さらに、もしもこの選手(後者の選手)が(ビッククラブで)失敗しても、大きなクラブに行ったという経歴がありますから、ダメでもどこかのチームに行けるでしょう。もうワンチャンスある、そうすると、生涯獲得金額は有名クラブから始まったのと、甲府から始まったのと、どちらが高いですかと言ったら甲府が勝つわけです。それが理屈ですね。(大卒の)22歳で(有名クラブで)勝負したいという選手もいますが、24か25で勝負しませんかと。我々のチームなら試合に出してあなたの価値を高める事が出来ると。それはJ1でもJ2でも一緒ですね。

――という事は、甲府がJ1であろうとJ2であろうと、口説き文句としては変わらないという事ですか

 変わらないですね。逆にJ2だと気合が入りますね。J1の時は一応J1でしたから、(チームに)入ってくれやすかったかな。

――J1時代の方が多少なりとも選手の獲得しやすさはあったのですか。どちらかといえば

 J1だ、という見方はしてくれていましたね。そこには大きなハードルがあるんでしょうね。でも、わかりやすいのはJ2だということの考え方ですかね。成り上がるというのはどういうことか、ということをよく話します。ビッククラブに入団して、最高の施設でプレーする。選手はいい施設でやるべきだという考えがありますから。でも、いい施設とは、綺麗でいっぱいトレーナーがいて、最高の機械があって、という居心地のいい施設なのでしょうか。ボクシング映画のロッキーで例えてみます。世界で最高のトレーニングをするような、何億もかけて最高の施設を準備して練習をしたヘビー級ボクサーと、アメリカの山の中にこもって練習をしたボクサーのロッキーが試合をする。そしてこっち(後者)が勝つ。成り上がるというのはそういうものです。

嗚呼と物悲しい感じ


昨季法大で主将を務めた関口はここまで全試合に出場している

――森さんにとっての選手獲得の成果は、どのような部分に現れるのでしょうか

 結果はその年の結果ではなく、2、3年後に現れると常に考えています。僕が獲得した選手は大卒が即戦力なんて事はあり得ないです。たまたま長谷川や関口とすごい選手が来ちゃったものですから。でも基本的には1年後をイメージしています。野澤陸が普通です。太田もそうですし、荒木もそうでした。

――では、伊東、稲垣、佐々木選手のお話を少し聞かせてください。率直に選出に関してはどのような思いがありましたか。

 1番思うのは、確かに嬉しいです。良かったなと。クラブのためにというよりも本人と人間としてお会いした中で嬉しいなと思います。それが素直な意見です。ただ偏屈な言い方をしてしまうと、ワー!というよりも嗚呼と物悲しい感じというか。

――はい

 後からそういった感情が出てきたというか。すぐそういった思いになってしまったのは、何故J2から代表を選んでくれないのだろうと。

――J2から代表選手が選ばれることはほとんどありませんね

 そうすると、J1に来たから成長をしたという言い方にみんな変わってしまうわけです。じゃあ、J1だった監督がJ2に来てやったら、その指導をしたらそうなっていたのでしょうか。と思うわけです。

 J2から代表に選出されたらマスコミは取り上げてくれるでしょ。今、僕の元には甲府から始まった選手が3人も選ばれて凄いね、となっているけどそうではなくて、俺らの甲府の時に選んでよ!という気持ちがあります。もちろんタイミングもありますが。基本的に移籍してからだと物悲しいなと。甲府に籍を置いている以上、あの人口の少ない街をなんとかしたい、と思って僕も仕事をしているんです。せっかくやっている以上はここが楽しい場所でありたいから。

――どうしても選手が移籍していってしまいますよね

 でも、ニーズがあることはいいことじゃないかな。別にサッカー選手じゃなくたってそうでしょう。ヘッドハンティング受けた方は嬉しいわけで。認められたということだから。人間は認められると嬉しいものです。僕は(甲府で)認められたから自分の自由にやらせてもらっている。それが一番いい環境で、誰かにこうやれって言われているとグラウンドにも行きたくなくなってしまいます。こういう風にやらせてもらっている事はありがたいことなのかなと思っています。

 (大切なのは)どこで(選手が)自分を輝かせるのかということです。J2だってありますし、もしかしたら大学を選ぶのもそうかもしれません。例えば中大なんかは渡辺剛(FC東京)であったり、古橋(亨梧、ヴィッセル神戸)だったり翁長(聖、大宮アルディージャ)だったり。あの辺はみんな2部の選手だったから。そのようにカテゴリーは違っても、いい選手はいい選手でいるわけですから。ただ、少しでも良いように…というか、選手が移籍した時に、あそこ良かったよと言ってくれるだけでもいい。それでいいのかなとも思いますね。早稲田の選手にも甲府はいいクラブだと伝えておいてください(笑)。そのいいクラブというのは、自分にとって居場所の良いクラブではなくて、辛いけど行って良かったな、のクラブ。そうなるように僕らはしなきゃいけないですね。

〜後編に続く〜

(取材、編集 橋口遼太郎 写真 スポーツ法政新聞会)

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◆森淳(もり・あつし)

1964(昭39)年4月5日生まれ。現役時代にはフジタ工業サッカー部(現湘南ベルマーレ)でプレー。引退後にはスカウトの道へと進み、2010年よりヴァンフォーレ甲府のスカウトを担当。湘南ベルマーレでは中田英寿や外池大亮の獲得に携わったほか、ヴァンフォーレ甲府でも佐々木翔(現サンフレッチェ広島)や伊東純也(現KRCヘンク)などを獲得している。