【連載】ヴァンフォーレ甲府の敏腕スカウト・森淳に聞く『スカウト論』前編 〜選手獲得に至るまで〜

ア式蹴球特集

 早稲田大学ア式蹴球部で監督を務める外池大亮(平9社卒=東京・早実)を、当時所属していた湘南ベルマーレへと導いたほか、畑尾大翔(平25スポ卒=現ザスパクサツ群馬)をヴァンフォーレ甲府へと導くなど、早大との関わりの深い森淳スカウト。未来の代表選手を発掘する『敏腕スカウト』に、選手獲得の流れから、畑尾の獲得に至った理由までをお聞きした。

※この取材は4月23日に行われたものです。

初めて練習生に対して本気で怒った


笑顔で獲得に携わった中山陸(ヴァンフォーレ甲府)のユニフォームを掲げる森スカウト

――はじめに、現職の甲府にはどのようにしていらしたのですか

 仙台を離れることが決まった際に、何チームかから話はいただきました。甲府に決めたのは、仙台の時に一緒だった、内田さん(内田一夫、現ヴァンフォーレ甲府U18監督)の存在があります。内田さんは、珈琲を飲んでいても3時間、4時間と頭の中でサッカーのイメージのキャッチボールができるんです。だからこうで、だからこうなるんだよね、と。内田さんがいたからというのが1番大きいかなぁ。

 内田さんが凄いのは、GKを外したとしても、10人の動きと相手の10人の動きとが、こうだからこうなって、だからこことここが空くよねと(頭の中で)パーっと出てくるところです。僕なんかはまだ人数がそこまでいかないです。だからここを斜めに走ればあそこのスペースとここのスペースが空くからこうでしょう、と頭の中で出来る。手でこうやってる(身振り手振り)だけで内田さんとは話ができるので楽しいんです。内田さんは僕の理解者ですね。

――ちょうど内田さんが甲府に来たのもその時期でしたね

 僕の1年か2年前かな。はい。

――その縁もあったということですね

 内田さんが1番大きいです。知らないところに飛び込むより、知っている内田さんが近くにいてくれたら楽しいだろうなと。

――選手の獲得までにはどのような流れがあるのですか。例えば試合の後に選手とお話をなさっているスカウトの方を関東リーグの会場でもよく目にします

 僕はあまり(試合後に)選手と話したくないですね。他クラブのスカウトは声をかけていますが、僕は選手時代に試合が終わった後、特に試合に負けた後には何も話したくなかったですから。声をかけてあげることが大切というスカウトもいますけどね。みんなそれぞれやり方がありますね。

――獲得のプロセスとしてはどのような過程をたどるのでしょうか

 獲るプロセスとしては、僕が気に入った選手がいた時にはまず(所属大学の)監督に話して、そして甲府の練習に来てくれるということになると、選手調査票というものを書いてもらう為に直接会いにいきます。そして、練習参加をする際は車で(東京から)甲府まで乗せて行きます。そしたら2時間半くらい車内で色々なことを話す。そういう場にしてるんです(笑)。

――なるほど、そこが打ち解ける場なのですね

 というのも…例えば、曽根田(曽根田穣、現京都サンガFC)は関西の学生でしたから会いに行くことができなくて、新横浜で会ったのが初めてでした。そこから乗せていったら曽根田は(緊張で)カチカチなんです(笑)。曽根田に与えられた日にちは、スケジュール上3日間しかなかったんです。だから、緊張しても意味ないし、上手にプレーしようとせず、ミスしたって良いんだ、と。そこを見ているのではない。僕は君のゴリゴリゴリゴリとペナルティエリアの中にドリブルで入っていくプレーが好きだから、誰かがボールをよこせと言っても、いいから行けと。
そう言ったにもかかわらず、ミスしないようにプレーするんです(笑)。2日目、初めて練習生に対して本気で怒りました。他の子には怒った事はないですが(笑)。3日間しかなくて明日でおしまいなんだよ。それをやれないのであれば他の選手でもいいと言ったんです。でも最後の3日目はリーグ戦の調整が入っちゃって練習メニューが少なくて(笑)。帰りの車では曽根田は半ベソでした(笑)。困ったなぁと思いましたが、曽根田はゴリ押しで獲得した経緯がありますよ(笑)。

――昨年からは大学リーグなどでも映像が配信されるようになりましたが、これはスカウト活動においては大きな手助けとなりますか?

 映像は興味を持った選手を確認するくらいですね。やはり実際に見に行かないと、という感じです。見ないと信じられないですね。ただ、今嬉しいのは、この状況だから学生たちも自分たちでプレー集をYouTubeに載せていますよね。僕はこんな選手です、みたいな。その中にもちょっと注目してみてみようと思うものはありました。ただ、どうしても編集が上手だなと思わせられることも多いですけどね(笑)。

他のチームと同じことをやっていてもダメ


明大では主将を務めた須貝。早期の戦線復帰が待たれる

――大学生の獲得にも早い組と遅い組があると、他紙のインタビューで拝見しました。こちらをもう少し詳しく教えてください

 早い組遅い組というよりも…他のチームと同じことをやっていてもダメだということなんです。どんどん進路が決まるのが早くなっていて、今年の大学4年生なんかは顕著だと思います。早大の3年生(鈴木俊也、商3=東京・早実)も大宮が決まりましたよね。西堂くん(久俊、スポ3=千葉・市船橋)も注目選手の1人じゃないでしょうか。だから、同じように自分がいいなと思った選手に対しては早くから動かなくてはなりません。

 しかし、デメリットもあります。たしか江坂選手(任、柏レイソル)や古橋選手(亨梧、ヴィッセル神戸)はそんなに早く決まっていなかったはずです。まだまだ成長をする子がいて、先に多くの選手の獲得を決めてしまうと、今度は大学生活の終盤に良くなって来ていても枠が満杯で取れなくなってしまうんです。

 江坂選手の場合は、1年生から出場していたのでスカウトのみんながいい選手だと知っているわけです。しかし、彼は4年時のリーグ戦では出場が少なく、それではなかなか声をかけられないですよね。試合に出ていない選手を大きなクラブは尚更獲れない。しかし彼の場合、大学4年で最後のインカレですごいシュートをバンバン決めましたが、もうどのチームも選手が決まっていて獲得の枠がない。そこへ草津が現れて獲得をしたわけです。

 今津に関してもそうです。出場はしていたのですが怪我もありパフォーマンスが良くなかった。でも最後のインカレで活躍をしました。その時に、ちょうどウチは新里選手(新里亮、現V・ファーレン長崎)と早大出身の畑尾(畑尾大翔、平25スポ卒=現ザスパクサツ群馬)の移籍があった事で獲得に至ったんです。(不測の移籍があった際に)後から組じゃないですけど、こんな獲得の経緯もあります。

 今年加入した芳樹(鳥海芳樹、ヴァンフォーレ甲府)は1年生の頃からコツコツと80試合くらい出場しています。橘田選手(健人、川崎フロンターレ)と一緒にです。大学リーグで80試合も出るなんて考えられない。ただ彼も、どこのチームもポジションが埋まっていて去就がはっきりしていなかった。一方でウチは太田(修介、現FC町田ゼルビア)に声がかかった。そしたら鳥海獲りましょうよ、と提案をするわけなんです。(大学生の市場が)早くなりすぎると問題があって、こいつ抑えなきゃ!と早くから抑える事で最終的に良い選手が残ってしまうこともあるんです。

――では須貝選手と関口選手は早い段階で獲得に向けて動いていたのですね

 須貝は決して大学3年の時に常に試合に出ていたわけではありませんでした。サブに控えてはいましたが。ただ、出るたびに、あの身長で大きい選手と戦えて、ぶつかり合いが好きで、なおかつ1試合で14キロくらい走るらしいんです。関口もすごく走りますが、実は学生時代には距離的には関口よりも走っていたくらいなんです。あの2人がいたらこんなに面白い事はないと。そして中盤の選手がこんなに楽な事はないと。ダメだったら外にポンと出せば走ってくれているわけですから。見えなくても、たいていあの辺にいるだろうと思って蹴れば行ってくれるわけです。そんなイメージもあり、4年生になってすぐにキャンプに呼んでみました。

――推進力がありますよね

 はい。あの元気さが僕にとっては楽しくて。もちろん須貝は山梨県出身ということもありましたが。須貝は怪我があって残念です。復帰すれば、今元気の良い荒木(翔、ヴァンフォーレ甲府)を中盤で起用することもできるようになります。その3人の運動量は半端じゃないはずですから。

――自分の前任の早稲田スポーツのサッカー担当は、荒木選手は大学リーグの時には本当に凄かったと語っていました

 そうでしたか。当時の荒木は守備が苦手で、国士舘大の監督からは「大変だよ」と言われたりもしました。しかし、何が大変なのかはわからないままですね(笑)。凄く成長しています。

――中塩(大貴、現横浜FC)選手はいかがでしたか

 守備は得意ではない子でしたが、攻撃のセンスがものすごく他の選手よりあるんです。配球のセンスですね。

――その点では今季野澤陸(ヴァンフォーレ甲府)選手も加入しました。キック力が高いと評判です。

 彼には高さがあり、キック力があるから獲得をしたので、高さとキック力をもっと見せて欲しいですね。伸びしろはとてもあります。

サッカーをやらせてあげたいと思った


早大で主将を務めた畑尾

――今回私は早稲田スポーツの取材でお邪魔していますので、畑尾選手の話をもう少し聞かせてください

 畑尾は病気もありました。ただ、ちょうどあの年もセンターバックの青山くん(青山直晃、元ヴァンフォーレ甲府)と佐々木選手(佐々木翔、現サンフレチェ広島)が移籍した年で、DFを獲得する必要がありました。当時は大学を卒業し早稲田クラブか何かで練習をしていたのですかね。何度か彼を見に行って獲得を決めました。畑尾はFC東京のユースでサッカーに関してある程度の技量があり、読みもできました。フィジカル的な強さは必要だと思いましたが、高さはあるし頭のいいプレーをしてくれる選手でした。人間的にもしっかりとしているし。そして何よりも…、病気になってサッカーをやりたいという話を、畑尾の家の近くの喫茶店で雪が降っている日に聞いた時にはサッカーをやらせてあげたいと思いました。

――畑尾選手の思いに懸けた、と言うこともできますよね

 そうですね…。情が入ってはいけませんが僕も人間ですから。

〜中編に続く〜

(取材、編集 橋口遼太郎 写真 明大スポーツ、早稲田大学ア式蹴球部)

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◆森淳(もり・あつし)

1964(昭39)年4月5日生まれ。現役時代にはフジタ工業サッカー部(現湘南ベルマーレ)でプレー。引退後にはスカウトの道へと進み、2010年よりヴァンフォーレ甲府のスカウトを担当。湘南ベルマーレでは中田英寿や外池大亮の獲得に携わったほか、ヴァンフォーレ甲府でも佐々木翔(現サンフレッチェ広島)や伊東純也(現KRCヘンク)などを獲得している。