【特集】秋季リーグ戦開幕前スタッフ特集 第4弾 柴垣敬太朗主務×緑川悠希副務

野球特集

 スタッフ特集最終回に登場するのは、マネジャーとして裏方からチームを支える柴垣敬太朗主務と緑川悠希副務だ。チーム運営がコロナ以前の状態に戻り、難しいこともあったという二人。そんな二人に普段の仕事や4年間の思い出など、さまざまな話を伺った。

「マネジャーとしてどうあるべきかっていう主語で」(緑川)

――他己紹介をお願いします

柴垣 好きなものへの熱中度合いが一番すごいと思っていて、野球部のことに関しても、趣味のことに関してもやっぱりそこはすごいなと思うのと、よくしゃべります(笑)。

――ちなみに趣味は

緑川 野球見るのが好きでロッテファンなので、ロッテの試合見るっていうのもそうですし、アマチュア野球、社会人野球を見たりっていうのもありますし、結構ライブ行ったりとかそういうのも好きなので、休日をうまく使ったりとか、そういうのが多いのかなと思います。

――緑川さんから柴垣さんの紹介をお願いします

緑川 今主務をしてくれていてチームをすごい円滑に回してくれているっていうところがある中で、やっぱり人一倍責任感というか、自分に何が求められているのかっていうことを見る能力が高くて、そこに妥協しないっていう点がすごいところだと思いますし尊敬しているポイントでもあります。主務としてやってくれているところもそうですし、やっぱり今言った点なんですけど、妥協しないっていうところで、後輩にもきちんと求めるところは求めますし、そんな中でも厳しいだけにになりすぎないというか、関西人なので笑いを混ぜるのがうまいところがあるので、そういうところで上手く雰囲気をつくりながらマネジャー陣とチームを引っ張ってくれているのかなと思います。

――オフの時間はどういったことをされていますか

柴垣 正直最近はオフないんですけど、オフの時は下級生の時はしょうもないことで言うと勉強とかしているんですけど、あまりおもんない人間みたいなところがあるので(笑)。ケーキとかめっちゃ好きで、モンブランとシュークリームめっちゃ好きなんですよ。一番おいしいモンブランとシュークリーム探しに食べに出てます。

緑川 何をしているって言われると難しいんですけど、基本月曜日が休みなんですけど月曜日にあんまりプロ野球の試合がないので、ある時はプロ野球の試合を見に行ったり、月曜じゃないときに休みがあったら、それこそ夏は夏フェスに行っってみたりとか、そういうこともありました。基本的には朝がそんなに得意じゃないので、午後くらいから夜にかけて何かしらその時にやらなきゃいけないことがあったらやったり、その辺にある面白いこととかネットで見たりしたら足運んでみたりとか、そういうことがすごい多いかなと思います。

――プライベートでの交流はありますか

緑川 今はない…

柴垣 選手の時は他に仲がいい選手たちがいたので、どこか行ったりとかはしたんですけど、あんまり今は時間軸が合わないというか、っていうのがあるので。

緑川 2年生の時とかはほぼ同じ時間軸だったので一緒にいることも多かったんですけど、3,4年になると授業がお互い違ったり、あとそもそも毎日顔合わせるので、っていうところもあってそんなにプライベートで交流することはなくなりましたね。喧嘩したとかではなく、自然となくなったなと思っています(笑)。

――普段仲のいい同期は

柴垣 本当に最近あんまり休日に同期と過ごすっていうか、外に出ていったりとかしているので、あんまり同期と過ごす時間はないんですけど、スタッフ陣とかはやっぱり仲がいいですかね。

緑川 僕もあんまり休日に同期と遊びに行ったりっていうのがほぼないんですけど、今(柴垣が)言ったことと同じなんですけど、スタッフ陣とは予定合わせてどうとかはないですけど、たまたま一緒になったらとかはあります。4年生になったらなくなったんですけど、同級生に学院出身の八卷(八卷泰介、商4=東京・早大学院)っていうのがいて、たまに会ったりっていう感じですね。あんまり休日まで同期といるっていうのは少ないかもしれないです。

――ここから真面目なお話になりますが、マネジャーの仕事を教えてください

柴垣 自分は主務っていう役割と、一応二人の中では(自分が)会計と(緑川が)広報なので会計をしているんですけど、その会計の処理というか、基本的には下級生がやったものを確認したりとか、主務としてはお世話になっている方々に合いに行ったりとか、今年は自分は一番そこを大事にしているんですよね。コロナでずっと会えていなかった人にお会いしに行って、「お願いします」って一言いいに行くみたいな。

緑川 今話があった通り、僕は副務っていう役職なんですけど、副務ってこう主務と違って連盟の仕事とかそういうものがあるわけではないので、分担の4年生としての仕事を柴垣と分けてやっていたりします。一応広報の最高学年なので、下の子たちが「こういう企画をやりたい」とか「こういうSNSの投稿したい」みたいな話はすごく持ってきてくれるので、それを見守るというか、基本的には意欲のままにやってもらうのが一番いいと思ってはいるのでやりたいことをやってもらうのがベストなんですけど、違う方向にいってしまったりとか、やっぱりそこはマネジャー陣が個性を出す広報チームではなくて早稲田大学野球部としての広報なので、そこを外れないようにというか、そういうところで注文を付けたりっていう仕事がメインかなと思います。あとは最近までの夏のキャンプは僕が担当していたので、夏のキャンプが終わって残りの広報と引継ぎっていうところかなと思います。

――仕事の中で意識していることは

柴垣 自分はさっき言ったみたいに、コロナの時にできなかったフェイストゥフェイスっていうのを大事にはしていて、それ以外の事務的なことで言うと、妥協しないっていうところです。

緑川 僕はさっき広報の話をしたんですけど、マネジャーになった時から主語が自分じゃなくて、チームとしてというかマネジャーとしてどうあるべきかっていう主語にしながら物事を考えようっていうことはずっと大事にしています。広報チームになってやってみたいこととかこういう企画をやってみたいっていうのはいろいろ思いついたりはするんですけど、それが早稲田大学野球部のマネジャーとして活動から外れてしまうことは基本的に良くないと思っているので、広報以外のそれこそ雑務でも、主語が自分になりすぎないというか、今ここで自分がマネジャーをしているので、自分にしかできないことを考えて実行するっていうのはもちろん大事ではあると思うんですけど、あくまで伝統をつないでいっている代の一つなので、求められているものから離れすぎないようにっていうのは常に意識するようにはしています。

――コロナ前の状態にに戻ってきましたが、その中で大変なことはありますか

柴垣 時間がないというか、やっぱりいろいろな人に会いに行く移動時間とかもあるので。あと、コロナ前はどうしていたのかっていうのをちゃんと考えるっていうか、コロナ前を知っている人がやっぱりいるので、その感覚にいかに近づけるかっていうのはちょっと大変だったかなと思います。

緑川 まずは知らないことが多いのが一番ではあって、引継ぎはが本来毎年毎年されていくものなので、どこかしらで引継ぎされているはずのことが知らないっていうことも全然ありますし、やっぱりノウハウがない文字だけの資料の中で勧めていくっていうのはちょっと難しい部分があります。コロナの数年間で「無駄なことをそぎ落としていこう」っていう風潮になってたと思うんですけど、合理的に物事を進めるだけじゃない部分っていうのがうちの野球部ではすごく多いですし、そういうところを大事にしてきた部なので、合理的になりすぎないというか、これなくなっているけど本当は必要だよねっていうか、そういうことを考え直すのも必要ですし、そこを「コロナでなくなったからそのままなくしちゃえって」いうふうにならないようにしなきゃいけないっていうのを考えるのは大変というか、ちょっと苦労した点だったのかなとは思います。

――多くの遠征が戻ってきた一年間だったと思いますが、その運営の部分ではいかがですか

柴垣 遠征の運営は大変でした。なんかそれ以上でもそれ以下でもなくて、結構探り探りやったというか、結構非効率なことも多かったと思うんですけど、それを後輩たちが見て来年いい遠征をしてくれればいいかなと思います。今年は終わったので、いいかたちでブラッシュアップしてもらって、実際にやった経験って一番大事だと思うので、その経験を生かしてもらえたらなと思います。

緑川 僕はメインは夏のキャンプの担当で、沖縄は荷物の準備と弁当の手配ぐらいしか春のキャンプは関わっていないです。夏は去年行って今年っていう2回目のキャンプっていうところで、同じ環境でやったので環境もわかっていますし、向こうの方とも顔なじみっていう点で、オール早稲田(全早稲田戦)をプラスしてやってみたりとか、ちょっと去年よりいいキャンプにできるようにっていうことを意識していました。1年前のことをすごい細かく覚えてるわけではなかったので、何やってたかなっていうのをまず整理するっていうところだったり、キャンプに行ったマネジャーが自分含めて4人いたんですけど、初めて女マネを2人連れて行ったっていうのもありましたし、キャンプを知らない下級生3人と自分で行くっていうことだったので、そこまでいろいろ気を回しながらというか、ここまでは見てわかっておいてくれたら来年以降大丈夫だろうなっていうくらいまでは伝えなきゃっていうテーマを持って臨んだキャンプではあったので、そこはちょっと苦労したというか。去年とはまた違うベクトルの考えなきゃいけないことと労力があったのかなと思います。

――遠征の中で楽しかったことや思い出はありますか

緑川 沖縄とロスの方が絶対楽しいじゃん。

柴垣 ロサンゼルスめちゃくちゃ雨だったんですよ。それで、雨男の擦り付け合いで、結局自分か監督(小宮山悟監督、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)なんですよ(笑)。まだはっきりはしてないんですけど、リーグ戦の日に「自分(柴垣)がこの寮を出た瞬間にめっちゃ雨降った」って後輩たちに言われて、今自分になってるんですけど納得いってなくて、雨男は監督だと思っています(笑)。めっちゃ関係ない話です(笑)。あとロサンゼルス行って沖縄行って関西行ったんですけど、関西が地元で関西に変えれたのがやっぱり楽しかったですね。

緑川 雨男の話で言うと、南魚沼キャンプ去年めっちゃ雨だったんですよ。今年本当に雨が降らなくて、ずっとクソ暑かったんですよ。こっち(南魚沼)に監督いたので、(柴垣が雨男)っていう可能性もありつつ(笑)。

柴垣 こっち(東京)雨降りました(笑)。

緑川 ずっと天気が良かったので、ホテルで何もできないとかバタバタしてみたいな時間がなくて、晴れていれば星もきれいでしたし、そういうところはすごく楽しかったですね。あと、オフの日の昼にバーベキューができたんですね。去年の南魚沼キャンプは休養日がなかったので、ずっと練習とか試合って感じだったんですけど、今年は息抜きで合宿の思い出作り的なこともできて、そこで結構な人数が残っている時に、ホテルの売店にサーティーワンのカップのアイスが売ってるんですけど、それを負けたやつが買おうっていうじゃんけんが始まってて、それに急遽監督が混ざって、選手が負けたんですけど結局監督に払っていただいてアイスを食べさせていただくっていうのが、エピソードの一つだったかなと思います。

柴垣 1個いいですか(笑)。沖縄の時に自分1日オフあったんですけど、金森さん(金森栄治助監督、昭54教卒)とソーキそば食べに行きました。めっちゃ楽しかったです。

「ベンチで先陣を切って声を出していけるように」(緑川)

質問に答える緑川

――幹部となって初のリーグ戦となった春のリーグ戦を振り返っていかがですか

柴垣 チーム運営的にはやれることはやったかなと思って臨んだ春だったのですが、結果はああいう形で良くなくて、マネージャーとしてというかスタッフとして、どうすればいいのだろうと思ったのが春終わりでした。春は初めは良かったです。自分たち言うのなんですけど、雰囲気も良くて、それが音を立てて崩れていくみたいで、それが精神的にもきつかったですね。自分たちである程度納得いった感じで(開幕を)迎えられたのに、成績がついてこなかったというのが。

緑川 チームの運営の話で言うと、今柴垣からあった通り、結構スタッフ陣の中では「行けるぞ」 いう、スタッフがそういうこと思ったらから負けたっていう可能性もあるかもしれないのですが、シーズンを迎えるにあたっては納得できて迎えられたというか、「いい準備ができたな、この手応えだったらリーグ戦に行けるかもな」と思って始まったシーズンでした。前半2つ(1週目東大と2週目の立大)ポンポンと勝てて、いけるかもしれないって思ってしまった部分がやっぱり正直あります。今までの早稲田の春は初めからあんまりよくなくて、 それが問題点だよねということはずっとスタッフで話してもいたので、 変えられたかもしれないという手応えを感じた面もありました。後半からはガタガタといってしまって。早慶戦も負けてうまくいかなかったなというところもありますし。自分の気持ち的な目で言うと、目の前で優勝されてるので。ベンチに入った時に目の前で明治の優勝のあの姿(マウンドに集まる姿)を見て、 自分たちでも手が届いたかもしれないという手応えがあった中で、こんなに差があるのだと思ったところはやっぱり正直ありました。もちろん試合で頑張るのは選手たちなので、選手たちの方が違うしんどさはもちろんあったと思うのですが、じゃあそれにチームとして、スタッフとして協力していくという中で「さあどうしたもんかな」という気持ちを抱えながら、リーグ戦が終わって、夏を迎えてというところだったのかなとは思います。リーグの運営の話で言うと、春のシーズンは3年生にいろんな仕事を教えていく時期なのですが、(緑川自身は)割と後輩たちとも結構仲良くしている方なんだろうなという感じはあったので、新しく連盟室に入ってくる1年生、2年生にとってはやっぱ上の学年は話しかけづらいというのがありますし、それでも話しかけて仕事を覚えないといけないっていうところで、すごい難しい感覚があるというのが(緑川自身が)入った時の初めにあったなということは自分の感覚、経験でわかっていました。自分が2年生で初めて連盟入った時は法政大にいた桑原さん(桑原柚奈氏)という方がいらっしゃったりとか、1個上の先輩は皆さんすごいよくしてくれたのですが、法政の宮本さん(宮本ことみ氏)だったり、立教の大河原さん(大河原すみれ氏)といった方々にすごい助けてもらって、親身に話聞いてもらえたというのが、 今考えるとすごいプラスだったなと思ったので、そういう存在になれるようにというのは意識していました。主務とはもうちょっと違うポジションに僕は立つことにはなるので、そういう中で後輩に積極的に話しかけたりとか、普段雑談みたいな感じでハードルを下げる仕事ができたらなということは意識していました。

柴垣 1個思い出したのですがいいですか?チケット販売で今回の早慶戦はいっぱい人が戻ったのですが、応援席もできて…。なんかあんまり喋ることないですね(笑)。

緑川 (自分から)話し出したのに!?(笑)怖いね(笑)。

柴垣 今までやってなかったこともあって、(コロナ禍以前の)2019年からもちょっと変わっていて。学生を戻したいという連盟の意向とかもあったので、そういったことを汲みながらというのが大変でしたね。

緑川 学内でのやることがすごい増えたシーズンで、今まで学内で(集客の)活動というのは、そんなにマネージャーにはなかった中で、応援部にもすごい盛り上げてもらって、一緒に六大学野球、早慶戦を盛り上げていこうというところがすごい活発化したシーズンだったので、 そこはリーグ戦の運営として、六大を盛り上げようということで頑張れたかなとは思います。

――リーグ戦中はお二人ともベンチに入れる機会もあったと思うのですが、その際は選手にどのような声かけをされていましたか

柴垣 自分は特に何もしていないですね。何もしないですが、今回、金森さん(金森栄治助監督、昭54教卒=大阪・PL学園)が初めて(ベンチに)入られたので、できる限り金森さんの近くにいて、金森さんの発する言葉を復唱とかしていました。それがちゃんとより多くの選手とかに伝わるように。自分はやっぱり(野球の)実力からしたら、リーグ戦のベンチに入ってるメンバーとかとは肩を並べられるぐらいじゃないので、スピーカーみたいな、(金森助監督が)言ったことを大きな声で言うみたいなことをしていました。

緑川 僕も野球のアドバイスとかそういう話はできないので。マネージャーですし。普段から頑張っている選手たちの感覚というのは、ちょっと違う部分がやっぱりあるので。 自分は基本的に2日目の試合に入っていて、前日のデータというのも一応あるので「こいつ昨日こんな打ち方してたな」とか「調子悪そうだな」「ちょっとこの土日引っ張り強いかもな」とかそういうことを考えて、データを紙に留めていって、それをベンチに持ち込んで、それに関する話をしていました。この2人(柴垣、緑川)で全然(ベンチでの)スタイルが違って、(柴垣は)金森さんの近くにいて、結構ベンチの後ろの方にいたのですが、僕は常に前に立ってて、声を出していて。 森田(森田朝陽主将、社4=富山・高岡商)がベンチにいる時は森田と一緒に声出したりとか、新人監督の肥田(肥田尚弥、スポ4=大阪・早稲田摂陵)と一緒に声を出したりしていまきた。チャンスをつぶしてしまった時だとか、チームが下がってしまう苦しい時間帯にやっぱ1人でも声出てることで、ベンチ(の空気)が死んでいないことで(流れが)変わってくると思ういますし、自分で貢献できるところはまあそんなもんだろうなと思っているので、そういう時に先陣を切って声を出していけるようにというところはマネージャーですけど意識して、ちょっとでもベンチ盛り上げてやろうという気持ちではありました。

「こういう人たちのためだったらやれるなっていう存在がいる」(柴垣)

質問に答える柴垣

――お二人の経歴に関する質問に移らせていただきます。まずは柴垣さんにお伺いします。柴垣さんは一般入試で早大へ入学されていますが、早大を目指したきっかけを教えてください

柴垣 早稲田を目指したきっかけはやっぱり早稲田の野球部でプレーしたかったということです。祖母に(柴垣が)小さい頃から「あんたは早稲田に行くんや」と結構刷り込まれていて(笑)。それで「早稲田ってやっぱすごいところなんや」みたいな。小さい時に早慶戦を見たことがあるとかでは全然ないのですが、漠然と「早稲田ってかっこいいな」とその時から思ってきました。自分は兄が2人いるのですが、2人とも早稲田受けてて、落ちているんですよ。リベンジとかそんな感じでもないですが、(柴垣家)3人目(の挑戦)で受かったという感じです。

――続いて緑川さんにお伺いします。緑川さんは早大学院高出身ですが、早大野球部でのプレーを見据えて早大学院に入学したのでしょうか

緑川 僕は自己推薦で学院に入ったのですが、受験プランを考える時から六大学ということをすごく大事に考えていました。父が法政の野球部出身というのがあって、野球やってる中でなのかもしれないですけど、どっちかというと甲子園よりは神宮球場というものに憧れをずっと抱いていました。中学受験もしていて、入学した学校には高校がなかったので、もう1回高校受験しなきゃいけないという時に、中学受験の時は(中高)一貫校を受けたのですが、そこは落ちて、もう1回チャレンジできるっていうチャンスが与えられたという風に考えた時に、これはもう高校から六大学の付属に入って、野球を7年間やってということなんだろうなと前向きに捉えて、早稲田か慶応かというところで考えていました。学校を見に行った時に僕は早稲田の雰囲気の方が合ってるなと思いましたし、(大学の)キャンパスまで実際に足を運んだのですが、それをしても「やっぱり早稲田だな」と思ったので、 早稲田を第一志望にしました。中学校の内申点など自己推薦を受けられる条件を満たしていたので、学院から早稲田大学の野球部で頑張ることを目標に入学して、そのまま上がって大学の野球部にも入ってという感じです。

――今の4年生は入学時にコロナによる活動停止があった代かと思われますが、そんな1年生時の思い出や印象的なできごとがありましたら教えてください

柴垣 1年生の思い出で1番印象的なのは、やっぱりマネジャーになった時ですね。(マネジャーになる時は)マネジャーミーティングという、(新チームから)マネジャー(に転身する選手)を学年の中で選出するものがあって、そこで選ばれました。プレーできると思って(大学に)入ってきて、コロナで(プレーが)できなくて。結構補助の期間が長くて、 あんまり(1年生は)練習の時間がありませんでした。春(のリーグ戦)が夏になった、夏のリーグ戦の後ぐらいから(1年生も)練習させてもらえるようになって、 練習できることが本当に嬉しくて。しかも三国丘高校ってめっちゃショボいグラウンドなんですよ(笑)。もうライトが65(m)とかしかなくて、自分がちょっとおっつけただけで、ライト(側の場外に)入るんですよ(笑)。それで平日、特に月曜日とかは、そのライト65、レフト100ぐらいのグラウンドを4つの部活が使うんですよ。 だから満足に練習ができなくて(笑)。そんな高校時代を送っていたので、この環境で野球ができることがめっちゃ嬉しかったです。やっぱり(安部球場は)いいグラウンドじゃないですか。だから(プレー)できなくなるというのはやっぱりちょっと嫌でした。それはスタッフになった人たちはみんな一緒だと思うのですが、やりたいことと自分がやるべきことというか、求められてることをどう考えるかということに苦しんだ1年でした。

緑川 柴垣も言っていたのですが、1年生の1年間の中で1番大きなエピソードはマネージャーになったことではあります。マネージャーミーティングが夏以降始まっていく時に、(自分は)イップスで全然投げられませんでした。野球を続けていくということにすごく悩んでた時期でした。 ずっと野球やってきてて、投げられないというのはだいぶストレスなので、これからの野球生活4年間を考えた時に、チームの戦力に自分がなれるかなというビジョンを考え続けた期間でもありました。 その時に明確な転換点があったわけではないのですが、自分が選手として神宮球場でプレーして活躍しているよりも、マネージャーになってチームに貢献した方がチームにとってはプラスなのではないかという風に切り替わったタイミングが自分の中でありました。もちろん選手として活躍したくて(早大の野球部に)入っていましたし、高校に入った時から7年間というのを考えてはいたので、全然すぐ整理がついたわけではありませんでした。でも、気持ちが切り替わったタイミングの時点で、マネジャーはやりたいからやれるわけでもなくて、学年で「お前に任せて大丈夫だよ」という意見が学年でならないと(マネジャーには)なれないので、マネジャーミーティング通してマネジャーになってということに、自分の中ですごい前向きになれました。これからマネージャーとしてチームにやっと貢献できるという気持ちがあった反面、自分が10何年続けてきた野球を終わらせることを自分で選んだ後悔というか、もしかしたら2年後にイップスが治ってメンバーに入れたかもしれないと考えた時、自分で可能性の芽を潰して馬鹿みたいという気持ちもありました。そういった葛藤を抱えながらの1年間だったのかなと思います。楽しかったことは正直そんなにないです(笑)。練習できるようになったタイミングはやっぱり嬉しかったですが、僕の中では終わりの見えた練習だったので、楽しみきれない部分もありました。楽しかったというよりは本当に苦労を重ねてのシーズンだったかなと思います。その中でも優勝を経験できたというのはすごい良かった点だと思っています。4年間で優勝を経験できないという可能性はもちろん六大学なのでざらにある中で、1年生の時に 自分たちが一生懸命補助してた先輩方が活躍して、優勝というものを味わわせてもらって、優勝の瞬間を神宮球場で見られたというのはすごい楽しかったですし、感動しました。蛭間さん(蛭間拓哉、令5スポ卒=現西武)の逆転ホームランは今でも覚えてますし、それはすごく嬉しかった話です。

――マネジャーミーティングにてお二人はマネジャーに指名されたとのことですが、お二人はどのような点を支持されてマネジャーに指名されたのでしょうか

緑川 柴垣は練習の補助の時からリーダーシップを執ってくれていたというのもありますし「チームのためにこれをやらなきゃいけないよね」というところを自分にもしっかり他人にも求めることができていたので、そういうところはやっぱり見られていたのだろうなと思いますし、 本人も言ってますが、妥協しない点が彼のすごくいいところなので、そういうところをもちろんみんな見ていたので、頼りにもしてましたし、 そういうところでマネジャーになったのだろうなとは思います。

柴垣 そういうことらしいです(笑)。まあでも、真面目じゃなかったらマネジャー選ばれないと思ってるので、(緑川は)真面目なところ評価されたとでも思いつつ……。

緑川 雑だなあ(笑)。

柴垣 ちょっと(編集で)広げといてください(笑) 。

緑川 無理だと思う(笑)。

柴垣 今感じてるかもしれないですが、(緑川は)結構喋れるじゃないですか。発信できるんですよね。なのでそういうところじゃないですかね。ちょっと広がりましたね。これで3行分ぐらいは(笑)。

一同 (笑)。

――マネジャーとして辛いことや大変なことも多かったと思います。そこで支えになっていたものはありますか

柴垣 A(チーム)の人たち、プロに行った人たちとか、そういう人たちが一番頑張るんですよね。パーティーみたいな感じのことを食堂で、そんなにはしゃいだものじゃないんですけど、そういうものをやった後とかに、もう5秒ぐらい経ったらトレーニングルームにいるとか。そういうのを見ていると、やらないと馬鹿らしくなるというか、こういう立場で選んでもらった責任感みたいなものはありますけど、こういう人たちのためだったらやれるなっていう存在がいるっていうのはやっぱりでかいですね。

緑川 やらないって選択肢を持っていないので僕たちは。そもそもマネジャーになって選ばれた時点で、何かをしんどいからやらないとか、やりたくないからやらないっていう選択肢をそもそも持たされていません。逃げたいとか思っても絶対逃げれるわけでもないですし、その中ですごく自然に退路が絶たれている状況ではあるので。そうやって考えると、 これを支えに頑張ろうとか自分の中で思えていた部分ではなくて、やるしかないのでやるっていうすごく単純な考え方でここまでやってきたのかなっていうのは思います。選手だったら練習してヒット打って結果が出たっていうリターンがあるかもしれないですけど、僕たちにリターンがあるかと言われるとあんまりない、明確なかたちで返ってくるリターンっていうのはないので、どうしてもモチベーションというか、「あ、やってらんない」って思うこともあるんですけど、だからといってやらない選択肢がなかったっていうところがここまで続けてこられた理由なのかなと僕は思っています。

――マネジャーだからこそ経験できたことや学べたことはありますか

柴垣 やらせてもらえてよかったなって思っていて。普通の人は会えないというか、選手では会えない方とも会ったり、他の大学の監督さんに顔を覚えていただいたりとか、普通ではない経験ができます。この間も大学ジャパンと高校ジャパン(侍ジャパンU18壮行試合 高校日本代表 対 大学日本代表)の運営に参加させてもらったんですけど、そんなことはできないと思うので、そういう経験をさせてもらえるとかですね。今ここで取材を受けさせてもらえているとか(笑)、自分が選手を続けていたらできなかっただろうなって思うことができることですかね。

緑川 柴垣が言ったことももちろん僕もそうです。役職が違うので会っている人とかは違うんですけど、僕は取材対応とかをさせてもらっていて、選手だったら聞けなかっただろうなって話を聞けたりだとか。自分の社会人になってからの進路の中に影響する部分っていうのは僕はたくさんあって、今の自分の進路を決めたというところももちろんそうでした。あと自分が今後担えないだろうなってくらいの責任を担う立場にいられたことっていうのがまず1個プラスだと思っていて。「立場が人を作る」って言葉あるじゃないですか。あれってどっちかっていうと「責任が人を作る」ことだと思っているので、普通に大学生してたら絶対に担えない責任っていうものを担って、そのプレッシャーの中で、重たい伝統の中でやらせてもらえたっていう経験は、社会に出ても経験できるか分からないところではあります。大学生って大人のようで全然未熟な年代だと思うので、その中でどうにか頑張んなきゃってあがけた経験っていうのもすごいプラスだったなと思っています。あと横のつながりが選手よりできやすかったのかな。できやすいは嘘かもしれないですけど、ちょっと独特な関係性だったのかなって。選手は他大の選手と友達だったかもしれないですけど、僕たちって他の大学のマネジャーとは仕事仲間であって、友達であって、一緒に運営をするチームの仲間であってっていうすごい独特な立場の人間関係っていうのを作れますし、それが上の代にも下の代にもあるので。 今後社会人になってからのことなのでまだ全然分からないですけど、横のつながりがいっぱいできて、頼れる仲間ができたっていうところは良かったかなっていう点の1つではあります。

「最後笑って終われるようにもっと苦しもうって声かけたい」(柴垣)

取材に応じる二人

――ここからは秋季リーグ戦に向けてお聞きします。お二人から見た現在のチームの状態を教えてください

柴垣 正直まだそこまで上がりきってはないかなって思います。それぞれがもうちょっとできるんじゃないかっていうメンタルになるというか、向上心みたいな。別に持ってないとかでは全然ないです。めっちゃ頑張っていますし、 やることはやっていると思うんですけど、もう1個レベルが上がれば、もう一つチームが団結するんじゃないかなと。それぞれがあと一歩頑張るみたいなことがまだ必要なんじゃないかなと思います。

緑川 チームの成績面で言うと、やっぱりここ最近のオープン戦で負けが込んだりっていうのもありましたし、今の時期なのでもちろん当然なんですけど、やっぱり課題の方が目につく時期ではあって。春ほどの手応えが今あまりないというか、もちろん春に全員が感じていた「これでいける」って感覚は駄目で夏を迎えているので、簡単に満足することができないっていうのは選手たちももちろんそうですし、どうしてもやっぱり明治っていう高い壁を見て臨むシーズンになると思うので、そこにあと2週間とかで食らいついていかないとっていうふうに考えていくと、まだちょっとみんなあがいている段階なのかなっていうふうには思っていて。これがあと4試合オープン戦もある中で上がっていけるのか、それとも直前の練習でここまでやり切ったからって言って割り切って上がっていくのかっていうところは、やっぱり経験していってみないと分からないですし、選手たちの気持ちがどう変わるかっていうのは分からないので、そういうところはまだもっといける、もっといけるって思っているっていうところが正直なところではあります。

――秋季リーグ戦の注目選手を教えてください

緑川 僕は4年の齋藤正貴(商4=千葉・佐倉)です。春もすごくよく投げてくれていて、やっぱり先発が立っていて後ろっていうのがすごい大事になったシーズン、投手力が課題っていうのは分かったシーズンの中で春もすごい頑張ってくれていたんですけど、法政の内海(内海貴斗)に逆転ツーランを打たれて、あの試合で崩れてしまったっていうところがあると思っていて。それまでずっと投げていましたし、法政戦ほぼ全部投げているので、疲れとかがあったっていうのはもちろんそうなんですけれども、僕は本当にもっとできる、もっとできるって齋藤正貴には思っています。今もオープン戦で投げても、のらりくらり気付いたらベンチに帰ってきているようないいピッチャーなんですけど、4年生で今まで加藤(孝太郎、人4=茨城・下妻一)と並んでずっとリーグ戦を経験してきたピッチャーとして、グッとチームを持ち上げるような、ただ締めて帰ってくるっていうだけじゃなくて、チームが上がっていく投球をしてくれるとプラスにすごい働くかなと思っているので、 そこは同級生、やっぱり最終シーズンの4年生に期待したいっていうところもちろんあるんですけど、そこは僕はすごい頑張ってほしいなと思っています。

柴垣 自分は熊田任洋(スポ4=愛知・東邦)です。やっぱり誰よりも頑張っているんですよね。結局一番頑張っていて、チームのこともやってくれるというか。自分なんかが期待とか言わなくても本人が一番いろいろ分かっていると思うんですけど、一番頑張っているかなって自分の中で思うので、名前を挙げさせて欲しいかなって思います。

――秋季リーグ戦はお二人にとって4年間の集大成となります。4年間一緒に過ごしてきた同期に伝えたいことはありますか

柴垣 それぞれの学年に学年カラーってあると思うんですけど、自分はこの学年で良かったなって思います。それがどういうところかって言われると言語化できないんですけど、野球に対して取り組む姿勢が一番熱があるかなって思っているんですね。今もうちょっとできるって思っているのが特に4年生に向けて、結局4年生がどう頑張るかっていうところが、もちろん2、3年生、1年生の力も必要ですし、4年生よりもちろん実力があったり、そういう人もいっぱいいるので1、2、3年生の力がどうとかっていうわけでもないんですけど、やっぱりチームの雰囲気を作るのは4年生なので、4年生の意識というか、レベルが上がってほしいなって思います。もっとできるって自分は思っているので、最後笑って終われるようにもっと苦しもうって声かけたいですね。

緑川 僕は今言われてしまったんですけど、本当に最後笑って終わりたいっていうこの1点につきます。事務的に考えたら来年以降引き継がなきゃいけないことや今季の課題点とか、僕はやりたかったけどやれなかったことっていうのを伝えるっていう仕事はもちろんあると思うんですけど、やっぱり同期って考えると、2年生の秋にフレッシュ(東京六大学秋季フレッシュトーナメント)で優勝しているんですね。大学生活の折り返しの秋で優勝できて、みんなが本当に笑顔でしたし、その時までの2年間の努力がすごい報われたなって思う瞬間だったというか、「こうやって優勝したら笑って終われるんだ」っていうのを経験している代のはずなので僕たちは。あれが折り返し地点で、次が一応リーグ戦としてはゴールになるっていうところで、あれをもう一回味わいたいなっていうのはやっぱり心の底から思いますし、本当に同期みんな笑っていたので。 ここまで苦しんできて、たとえ優勝できなかったとしても、この4年間は本当に一生の財産になると思いますし、「やり切ったな」って笑顔になれる、いつか笑顔になれるって部分はあると思うんですけれども、やっぱり終わった時に笑顔でグラウンドに立っていられることがベストだと思います。本当に勝つしかないので、本当に最後神宮で笑って終わるには。最後笑って終わるためにあとちょっと歯を食いしばって頑張りたいなと。同期もそうですし、僕自身も最後までしっかり苦しみたいなと思います。

――最後に、秋季リーグ戦に向けて意気込みをお願いします

柴垣 天皇杯取ります。

緑川 ちょっと長めにしゃべっておきますね(笑)。

一同 (笑)。

緑川 春にあれだけ悔しい思いをして迎える最後のシーズンです。沈めば沈むほど跳ね返ってくるのは大きいと思うので、自分たちが4年間ここで過ごしてきて学んできた早稲田の野球っていうものでてっぺん取って、笑って終わりたいなというふうに思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 田中駿祐、星野有哉、矢彦沢壮真)

二人のベンチでの様子にも注目です!

◆緑川悠希(みどりかわ・ゆうき)(※写真左)

2001(平13)年9月30日生まれ。178センチ、68キロ。東京・早大学院高出身。 教育学部4年。副務。

◆柴垣敬太朗(しばがき・けいたろう)

2001(平13)年6月21日生まれ。175センチ、74キロ。大阪・三国丘高出身。 法学部4年。主務。