第二回にはこれまで早大柔道部を先頭で引っ張ってきた4人が登場。主将・飯田健介(社4=福岡・南筑)と副将・中野智博(スポ4=神奈川・桐蔭学園)、主務・工藤大輝(法4=福岡・小倉)とトレーナー・森聡美(スポ4=千葉・佐倉)。これまで柔道部を支えてきた4年生たちに、柔道からプライベートまでさまざまな話を伺いました!
他己紹介をしてください!
――他己紹介をお願いします
飯田 副将の中野さんは、高校は桐蔭学園という柔道が強い高校からやってきまして、早稲田にやってきました。1年生からレギュラーとしてチームを引っ張ってきて、その裏にはやっぱ練習後に1人でトレーニングしたりといった努力をしていて、いつも人が見てないところで努力のできる感じの男です。そしてプライベートでは優しくて怒ることはないですね。
――これを聞いていかがですか
中野 泣きそうですね。
――中野さんからはどうですか
中野 飯田さんは話せば長くはなりますが、最初会った時は僕が4歳ぐらいの時で、道場で初めて会って、その時から今の通りスポーツ万能と言いますか、もう会った時からリーダーシップがある人間でしたね。小学校の時から強くて、いろんな悩み事とかで沈んだ時期もあったんですけど、それを糧に見事大学で東京都学生優勝だったりとか、あと行動会のベスト8だったりとか輝かしい成績を残していて。さっき僕のことを「うぉとこ」とか言ってくれたんですけど、僕からすれば彼の方が「漢」ですね、彼に勝てる存在は僕の中では未だに会ったことがないと思います。
飯田 ともひろは小学校の時はめっちゃサボリ魔で有名な話があって、勉強しすぎてお腹痛いっていうキラーワード使って練習休んでたぐらい。
中野 でも今はそんなこと絶対言わないんで。そこは印象変わってます。
中野 僕が逆に覚えてるのは、小学校6年生の時に道場のキャプテンだったんですね。滅多に風邪とか引かないんですけど、熱出しちゃって、で、練習確かいたのかな。練習いて途中まで、もう準備運動までやって。そうしたらお父さんに呼び出されて、めちゃくちゃ怒られてた。こっちからすれば、キャプテンがいないんで、 その時も確かもう1人と副キャプテンやっていて、ちょっと号令変わったりとかしてて、「あれ、なんでいなくなったんだ」みたいな。後から聞いたら風邪で、風邪だけどやるみたいな言ってて。そしたら、お父さんがみんなに迷惑かけるようなことするなみたいな感じだった気がするんだけど。
飯田 いや、めっちゃ覚えてる。中途半端するなって。
中野 そんな感じだから、彼からすれば、風邪でもやるって感じだけど、やっぱお父さんは他の人に迷惑かけんなみたいな感じで、ビンタされてるのがすごく印象的で今でも。だから変わんないですね。他人のために行動ができる人です。自分がきつくても、他人のためなら他人のために行動ができる人だと思います。
工藤 我らが頼れる森トレーナーです。大学で初めて会って、柔道経験者じゃない同級生唯一なんですけど、柔道部を選んで飛び込んできてくれました。今では部内で1番頼られる存在で、トレーナーとしてはもちろんなんですけど、いろんな人からすごい相談事をたくさん受けたりとか、そういう話をよく聞くので頼れる女房みたいな存在なのかなと思っています。
――プライベートでは
飯田 プライベートはなんかすごいいつも充実してる。
工藤 なんかスイーツ食べに行ったりとか。あとはバイトもすごいがんばってたり、走ってたり、いろんなとこ行ってたり、すごい充実してる感じはあります。
――森トレーナーが最近毒舌になってると聞きましたが、その変化を感じましたか
工藤 いや、元からじゃないですか。
森 大学で初めて会って、柔道のことはちょっとあんまよくわかんないんで、選手として主務の工藤さんです。選手としてのことはちょっとあんまりよくわかんないんですけど、なんだかんだ全学出たり、毎年尼崎出てるし、ラッキーな人だなって。(笑)
工藤 それは自分でも思ってます。
森 でも、ヒロキが主務になってスタッフとして関わることが多くなった時に、こっちから無理なお願いをしても、「全然いいよ」って言ってすぐ動いてくれたりとか、あとは全然頑張ってなさそうに見えて、めちゃくちゃ頑張ってる人だなっていうのを思っていて。なんか主務やりながら、選手もやりながら勉強頑張ってたりとか、そういったところですごいなって思ってます。
中野 彼は弁護士の卵ですから。
森 でも筋トレは全然やらないので。夏にしかやらないんだよね。あと朝練も来ないので許しがたいところではありますけど(笑)
――飯田キャプテンはどんなキャプテンでしたか
工藤 若干やっぱり厳しくなったかな。同級生に対しても厳しくできるようになったとは感じます。
飯田 俺にとっては誉め言葉です。
森 私がトレーナーとして関わった4年間で1番こうしたいっていうのがあるキャプテンだなって思っていて。やっぱりトレーニングのこと話すにしても、「こうしたいからこうしてほしい」っていうのをしっかり伝えてくれるだし、それもちゃんとチームのためを持って意見してくれるキャプテンかなって 4年間通して思いました。
中野 キャプテンじゃない姿が想像できない。ちょっと昔からの話になっちゃうんですけど、ずっと上の立場っていうか、人の前に立つ立場だった人間だったから、ちゃんと口に出せるし、行動もできるし、あとちゃんとそれに対しての意図があって、それをちゃんと説明もできるし。いいキャプテンというか、僕にはなれないキャプテンの姿で、すごい尊敬してました。
――これを聞いて
飯田 ちょっと涙腺が。
「いろんな価値観が早稲田にはある(飯田)」
――1年間率いてきてどんなチームでしたか
飯田 大変でしたね。早稲田のいいとこでもあるんですけど、いろんな価値観を持った人が集まる組織において、やっぱり柔道においても勉強においても、どっちを重きを置くかみたいなところも、一人一人違う中で、そういった人たちを1つの方向に持っていくのっていうのは、言動一つ一つにしても強く言い過ぎないようにとか考えたり、逆にここは強く言った方がいいのかなみたいなのを考えながらしてきて、いろんなタイプの、いろんな価値観を持った人がいたんで、そこは大変でした。
――昨年のチームとの違いは
工藤 去年のキャプテンはどちらかというと放任主義というか、自分背中で語るっていうのはあったんですけど、そんなに言わないタイプで。逆に更に前のキャプテンさんはもうガンガン厳しいみたいな。それのどちらかというと、いいとこ取りをしたような主将でしたね。自分でもめっちゃ練習を頑張る姿を見せるし、休む人を置いていかないような存在だったのかなと思います。
中野 前にもいるし、後ろにもいるし。まるで飯田が2人いるかのようにして、先に行きすぎた人を1人ぼっちにせずにちゃんと追いつくし、後ろで取りこぼれた人もちゃんと後ろからこう寄り添って、しっかりなんかフォローができるというか、そんな感じですね。
飯田 持久走で言うとめっちゃうざいやつ(笑)
――ここからは個人についてお聞きします。森トレーナーはどのような存在でしょうか
中野 工藤くんの言うとおり、みんなの拠り所的な存在だと思っています。僕が最初に森トレーナーを見た時、僕からすれば、柔道部に柔道を知らない人がいる状態が初めてだったんですよ。なので、どう接したらいいのかって思って。柔道を知っている人なら柔道を話題にできるんですけど、知らない人とどう話せばいいのかがわからなかったですね。
――その状態から、どのように親しくなったのでしょうか
中野 やっぱり優しいから。話したらちゃんと話してくれるし…。
工藤 聞き上手なんだよね。こっちが何かを話した時に、つけ加えてくれるというか。またこっちが話したくなるような。
中野 さとみん(森トレーナー)のおかげで、「あ、俺って柔道以外の話もできるんじゃね?」みたいな。自信がついたような感じです。
一同 (笑)。
中野 そのくらい聞き上手なので、気づいたら話すようになってましたね。目に見えないかたちの頑張り屋さんだと思います。
飯田 僕はすごいと思うところが2つあって、一つ目はトレーナー自体が初めてという学ぶことばかりの中で、選手を本気で知ろうとしてくれたところです。部員同士の関係というか、コミュニケーションの上ですごく大事だったと思います。選手を知ろうとしてくれた陰の努力と、もう一つは自分の仕事をしっかりやるところですね。練習の最後に体幹トレーニングをやるんですけど、選手側からしたら、きつい練習の後に体幹ってなると「あぁ…」って思うんですよ。でも、さとみんは「それが仕事だから」と割り切っていて。葛藤もあったとは思うんですけど、意志を強く持ってやりきってくれたので、そこは主将としてすごくありがたかったです。
和気あいあいと対談に臨んでくれた
――ここからは森トレーナーにお伺いします。中高ではバスケ部に所属されていた中で、なぜ大学から柔道部を選択されたのでしょうか
森 大学でトレーナーをしたいとは思っていたんですが、何部に入ろうかなと迷っていました。もちろんバスケ部も考えたんですけど、柔道部に見学に来た時のアットホーム感が、今までにないものだったというか。距離感が近くて、柔道も何も知らない私にすごく優しく話しかけてくれて、温かいなと感じたのが一つです。あとは何を学べるかなと考えた時に、柔道ほど怪我をする競技はないかなと思いました。減量も学べるし、男女ともに選手を見られるし、社会人のトレーナーの方もいるし。学べることが多そうだなと思って、柔道部に決めました。
――柔道に詳しくない状態で入部し、悩んだことはありましたか
森 特に最初は、話についていけなかったですね。怪我をするメカニズムというか、選手は「この技に入ってこう怪我をしたんだよね」って言うんですけど、私はその技を全く知らなくて。何もできないなと思っていました。減量など、選手が柔道ならではの悩みを抱えていても、相談相手になることすらできないなと感じていて。悩みに対して「そうだよね」と言っても、自分に経験がないから軽い言葉になってしまうし、大学で4年間スポーツをやろうと思った人に対して失礼なのではというところで、葛藤はあったかなと思います。
――トレーナーとして感じるやりがいを教えてください
森 1年生と今では全然違うかなと思います。最初はトレーナーとして経験を積みたい気持ちが大きかったんですが、学年が上がるにつれて、選手を好きになっていきました。トレーナーとしてというより、チームに勝ってほしいと思うようになりましたね。試合を見ていても、早稲田が負けたチームには腹が立つし、喜んでいるところ見たくないし(笑)。愛着が湧いたし、選手が最後にスッキリして後悔なく終われるようにしたいと思ったのが、今年の一番のやりがいだったかなと思います。
――森トレーナーが一番お世話をしたと感じる選手はどなたでしょうか
森 お世話できたかはわからないんですけど(笑)、智博か瑞貴(中島瑞貴副将、スポ4=福岡・西日本短大付)かな。二人とも自分の体についてよく知っていて、それを相談してくれることが多かったです。智博に関しては、最後の一年くらいしかちゃんとケアすることはできなかったけど、怪我に苦しんだ時期が長かったので、一番気にかけていたというか、頑張っている姿も陰ながら見ていたので、その二人ですかね。
――早大に入って良かったと思う部分を教えてください
森 同期と同じ代で柔道部に関われたことかなと思います。先輩も後輩もみんな優しいし、それだけで楽しかったとは思うんですけど、一番気持ちが強い人たちが多い印象です。自分が大学でスポーツに関わるなんて思っていなかった中で、4年間ですごく熱くなれたというか、こんな嬉しさや楽しさを感じる機会を貰えた点が良かったかなと思います。
――次に飯田主将にお聞きします。これまで都学(東京都体重別選手権)の優勝など数々の成績を残されましたが、大学入学時にここまでできると考えていましたか
中野 (うなずく)
一同 (笑)。
飯田 いや、ちょっと待って…。あ、正直に言うと、高校の時は思ってましたね。「日本一獲れる」って。でも、大学入ってから「あ、これ無理だ」と思いました。
――入学後に「いい成績を残せるかも」と感じたことはなかったのでしょうか
飯田 2年生の時に全日本ジュニア(全日本ジュニア体重別選手権)に出たんですけど、予選から強い選手と当たって。でも、その中でいい成績を残せた時に「意外と俺っていけるんだ」とか「もっと頑張ろう」と思いました。
――好成績につながった良い意味での予想外、想像以上に伸びたものは何だと感じますか
飯田 同期の存在が大きいですね。同期で結果を残している人の練習を見ていると、自分もやらないといけないと思います。柔道は個人だけでなく団体戦もあるので、チームのことを考える必要があると考えていました。勉強を一生懸命頑張る人もいて、それを見ると「自分も一生懸命何かをやらないとな」と思うんですよね。僕の場合は、それが柔道だったって感じです。
――早大に入って良かったと思うことは
飯田 一生の友情を培えたことですね。それが本当に、ここに入って良かったと思うところです。何でも話せて、気まずさもなく、はっちゃける時ははっちゃけられる同期だし、言葉にしなくても心で通じ合えている感を俺は感じていて、それがよかったなと思います。
「このチームで戦えたことが誇りだった(工藤)」
――次に、工藤選手にお伺いします。柔道を始めた年齢ときっかけを教えてください
工藤 あ、僕ですか?それ知りたいですか(笑)?
飯田・中野 『それ知りたいですか』(笑)?どういう意味??
工藤 いや、聞かれると思っていなくて(笑)。僕は10歳のときに、地元の道場で始めました。兄が一人と姉が二人いるんですけど、その三人が先に始めて、自分もやらざるを得ない状況になって始めましたね。
――これまで、柔道を本気で辞めたいなと思った時期はありましたか
工藤 中学のときは厳しい環境で柔道をやっていて、その時は辞めたいなと思ったときがありました。高校では自分が好きなようにさせてくれる先生のもとで柔道ができたので、おかげで大学でも柔道をやりたいと思えるようになって、今も続けています。中学は本当にキツくて、辞めたいなと思っていました。
――早大に入って良かったと思うことは
工藤 仲の良い同期に出会えたこともそうなんですが、僕としては福岡ですごく憧れていた健介や智博、瑞貴とかと同じ環境で4年間練習できたり、主務として目の前で全国大会の試合を見れたり、最後の尼崎(全日本体重別団体優勝大会)では同じチームで戦えたりしたことをすごく誇りだと感じています。いろんな経験をさせてくれた柔道部に感謝ですね。
中野 深いなぁ…。
飯田 そんな風に思ってくれてたんだ、初めて知った(笑)。
――飯田主将と中野副将は有名人なのでしょうか
工藤 福岡県で柔道をやっている人なら、知らない人はいないと思います。この中野&飯田は福岡の英雄ですね。
――それはすごいですね
中野 まあね。
一同 (笑)。
――最後に中野副将にお伺いします。大学での4年間を振り返って、悔しい思いとやりきった思いはどちらが強いのでしょうか
中野 悔しいですね。ただただ悔しいです。
――その悔しさとは
中野 悔しいのは試合というより、怪我に対してですね。自分はめちゃくちゃ練習したいのに、痛すぎて練習ができない。やれることもすごく限られていて、どうしようもないみたいな感じでした。このまま柔道を辞めるんじゃないかと悩んでいた時期もあって、好きなことができなかった悔しさがあります。試合で負けたことよりも、朝起きてすごく痛い時の気持ちのほうが悔しかったですね。
――怪我を負っていた中でも、結果を残されていたと感じますが
中野 怪我をしていても試合は続いていたので、一応出てはいました。そこで結果が出ることもあるんですけど、練習もできない中で結果だけが先走ってしまっていて。自分の実力はもっと下なのに、成績だけが上にいってしまって過大評価されていたように思います。
――逆に4年間で伸びたと感じる部分は何でしょうか
中野 柔道はめちゃくちゃ強くなったと思います。強いというか、上手くなったかなと。前は体に無理をさせるくらいに力任せな柔道をやっていたなと感じるので、最初に比べれば、体の使い方が上手くなったと思います。
――試合前には頭の中でどのようなことを考えているのでしょうか
中野 基本的に「負けたらどうしよう」しか考えてないですね。気持ちが弱いんですよ。さっき言ったように、成績だけが上にいってしまっていて。尼崎の時も「やばい、笠井(笠井雄太、スポ3=愛知・桜丘)がポイント獲ってきた、どうしよう」みたいな。実は結構不安な気持ちになっています。意外と柔道のことはあんまり考えていないですね。
――飯田主将と工藤選手はいかがでしょうか
飯田 僕は智博と真逆で、自分が勝つ姿を想像しています。いいイメージを持って。まあ、それだけだと負けるんですけど(笑)。僕は技や戦い方まで考えて、試合に臨んでいます。
――想定した技が上手く決まらなかった時、焦ることはないのでしょうか
飯田 決まらなくても、引き出しがいくつかあって、そこから臨機応変に対応する感じですね。
中野 天才ですね。
一同 (笑)。
工藤 僕は二人みたいに評価のある選手じゃないので、「勝てたらいいな」くらいの軽い気持ちですね。団体戦は緊張するんですけど、個人戦は勝っても負けても実力なので、平常心でやろうかなみたいな。
――工藤選手は尼崎で2年連続、追いかける展開の中で大将戦に臨まれました。その時はどのようなことを考えていましたか
工藤 今年は「自分が何とかしたいな」って思いがありましたね。とれなかった時は申し訳なく思いましたし、「自分がとれたらチームが勝てる」と強気な自分もいたのかなと思います。気持ちが少し強くなったのかなというところが、尼崎での成長なのかなと思います。
――再び中野副将にお聞きします。早大に入って良かったと感じることは
中野 みんなと同じで、同期に恵まれたことは本当に嬉しいです。個人の話としては、人間的に成長させてもらったなとすごく感じます。いろんな人がいて、自分が今まで見ていた世界が狭いんだなと感じました。価値観の違いですれ違ったこともあったんですけど、視野を広げれば面白いなと。最近は人と話すことが楽しくて。
――以前は楽しくなかったのでしょうか
中野 そういう時期もあったかもね!
一同 (笑)。
中野 今は人と話すことが楽しいなと思っています。
飯田 いろんな経験を乗り越えてね。
中野 そうだね。柔道が強いところに行っていたら、こんな経験はできなかったのかもと思うと、いい4年間でした。
「強い早稲田を見せつける(飯田)」
――早慶戦で先頭を切って戦う下級生にエールをお願いします
森 早慶戦はみんな毎年あんまやる気なさそうに見えて、当日楽しいイメージがあるので、とにかく怪我せずに最後思いっきり楽しんでくれたらいいですね。あわよくば4年生やってるとこ見たい(笑)とにかく怪我はしないでくださいっていうのが1つです。
中野 盛り上げる側として、後ろは任せろという感じで僕は挑みます。1年の集大成ってなる試合なので、自分の1年間培ってきた努力だったりとか頑張りを見せてほしいなって思います。
――大学柔道生活最後の試合となりますがいかがですか
工藤 僕は肩の荷が下りる感っていうのが大きいです。早慶戦開催っていうのが主務としての最後の役目として大きいので無事に終わることが今も不安ですし、無事終われたらすごいほっとするのかなって思いで、その後に寂しさが来るのかなって思います。
森 私も同じような感じです。今やってることが終わるので、私も肩の荷が降りるような気持ちにあるけど絶対寂しいだろうなっていう。みんなと話す時間がすごく好きで、 絶対寂しくなるんだろうなっていう気持ちが半々ぐらいです。
――最後に、早慶戦について意気込みをお願いします
飯田 強い早稲田を見せつけてほしいです。去年と比べたら戦力は落ちてるんですけど、1人1人の思いは強くなってるなと感じています。その気持ちを前面に出して強い早稲田を見せつけていきます!
――ありがとうございました!
(取材・編集 今村奎太、湊紗希)
4年間の軌跡を振り返った4選手
◆飯田健介(いいだ・けんすけ)(※写真左上)
2002(平14)年6月8日生まれ。180センチ。福岡・南筑高出身。主将。社会科学部4年。絶大な信頼を得つつも、後輩から「掴みどころがない」「テンションが謎」など、キャラが濃い人として名前が挙がる飯田主将。いよいよ最後の早慶戦、頼れる変わり者(?)としてチームを勝利に導きます!
◆中野智博(なかの・ともひろ)(※写真右上)
2003(平15)1月26日生まれ。170センチ・神奈川・桐蔭学園高出身。副将。スポーツ科学部4年。飯田主将とともに「福岡の英雄」と評された中野副将(工藤選手談)。怪我による悔しさが強く残るものの、「柔道が上手くなった」と成長を感じる部分もあるようです。迎える学生最後の一戦、5人抜きを成し遂げた2022年同様に、慶大を圧倒する姿に期待しましょう!
◆森聡実(もり・さとみ)(※写真左下)
2003(平15)年2月22日生まれ。163センチ。千葉・佐倉高出身。スポーツ科学部4年。柔道に無縁の状態から、心身ともに部員をサポートしてきた森トレーナー。どの選手に伺っても「優しい」「努力家」など、褒め言葉ばかりが聞こえてきました。早慶戦でも宿敵打破へ向かう選手たちにとって、森トレーナーの支えが欠かせません!
◆工藤大輝(くどう・ひろき)(※写真右下)
2002年(平14)年9月23日生まれ。160センチ。福岡・小倉高出身。法学部4年。主務かつ選手として柔道部を支えてきた工藤選手。弊会との連絡係も務めていただき、大変お世話になりました。主務の仕事で早慶戦では大忙しですが、チームへの感謝を胸に、選手としても躍動する工藤選手に注目です!