挑戦することが大切、データで支えた4年間
「バレーボールは全くの未経験だった」。そう語るのは、アナリストの横山颯大(教4=東京・早実)。全日本大学選手権(全日本インカレ)を制した早大男子バレーボール部の戦略の要を担っていた。野球一筋だった少年が、ささいなきっかけからバレーボール部に入部する。同期はもちろん、後輩からも慕われる気さくな性格で、プライベートでも輪の中心としてチームを支えた彼の今までに迫る。

常にデータと向き合い、勝つために戦ってきた
幼稚園の時、野球をやっていた父の影響で参加したジャイアンツアカデミー。母が抽選を引き当て運良くその門を叩いた横山は、高校時代まで野球に打ち込んだ。また、小学校に上がると、早大の系属校である早稲田実業初等部に入学し、片道1時間半かけて通学した。小学生から私立校に通い、地元の友達もいなかったため、学校にいる時に友達とよく話していたという。「人と話すことが好き」な彼の原点はそこにあった。
そんな彼の転機は高校1年生の終盤だった。コロナウイルスの爆発的流行が重なり、それ以降部活動も思うようにできない日々が続いた。「野球部だけどみんな野球が嫌い(笑)」と冗談めかして語ったが、その空白の時間に様々なスポーツを見るうちに、画面越しに見たバレーボールの奥深さが、彼の運命を変えた。
大学入学時に高校時代の友人に誘われ、軽く見学に行ったつもりがいつの間にか早大バレーボール部へ入部が決まっていた。入部当初の1年生の期間は未経験にも関わらず、他の選手と同じように練習に参加した。周りには高校時代に全国で活躍していたビッグネームばかり。そんな中でも人一倍必死に練習に励んだ。部の中での自分の役割を考えた時、プレイヤーとしての道は現実的ではない中、「チームに貢献できるのはアナリストしかない」と1年生からアナリスト見習いとして、2年生からは本格的にアナリストとしてチームを支える側へと回った。

お互いに支え合ってきた同期
「思ってるより早稲田のアナリストはすごくない、けれど出しているデータの数は他のチームよりも多い」。膨大な量のデータを扱い、多くの時間をアナリストとしての業務に費やしたが、「辛かったけど楽しかったし、面白い4年間だった」とにこやかに語る。「自分たちがいなくても勝てるんじゃないか」と深夜3時に、試合当日に配る資料を印刷するプリンターの音を聞きながら「辞めたい」と思ったこともあるという。しかし、高校までのプレイヤー時代とは違い、裏方に回ることで、スタッフや支えてくれる人の気持ちもわかるようになった。「助かったよ」。監督や選手からのその一言が、彼にとって何より輝ける場所になった。
現役最後の試合となった天皇杯ファイナルラウンドまで走りきった後、気がついたことは、全日本インカレでのデータの大切さだった。自分たちがいたから勝てた試合とは思わないけれど、「ハマっていた」感覚があった。この4年間の努力が報われた瞬間だったはずだ。

優勝後、胴上げされる横山
早大バレーボール部の4年間で学んだことは「挑戦することの大切さ」。これから部を背負っていく後輩には「結果に囚われずに挑戦してほしい」という。当たり前のことを当たり前に積み上げ、同期と共に悩みながらも結果を残してきた彼だからこそ伝えられる言葉だろう。
卒業後は社会を下支えするインフラ業界の会社へ就職する。「早稲田での16年」の経験を糧に、自分なりの輝き方で社会に貢献していくだろう。
(記事 井口瞳、写真 井口そら、井口瞳)