「4年間の証明は世界で」
「智規さんを胴上げしたい」。後輩たちのその言葉は、駅伝主将として走り抜けた1年間を象徴していた。2年時から3年連続で東京箱根間往復大学駅伝(箱根)にて「花の2区」を任され、4年時には日本学生対校選手権(日本インカレ)において日本人初となる1500メートルと5000メートルの2冠という偉業を成し遂げた山口智規駅伝主将(スポ4=福島・学法石川)。1500メートルから駅伝まで、どんな距離でも結果を残しチームへ頼もしい背中を見せてきた。そんな山口智が、早大競走部で重圧と闘いながらもチームの大黒柱へと成長した4年間の足跡を辿る。

1年時の日本インカレにて5000メートルのレースを走る山口智
強豪・学法石川高から期待のルーキーとして早大に進学した山口智。入学する直前、早大は悔しい箱根駅伝シード落ちを経験していた。そして、新駅伝監督として花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)を迎え入れた年でもあった。チーム激動の転換期と言える時期に入学したが、1年目からその実力は認められ重要な試合に起用されることが多かった。しかし、「年間通してうまくいかなかったイメージ」と語るように、思うように結果を残せない時期もあった。特に、箱根駅伝予選会では過呼吸を起こしてしまいチーム内最下位の289位。箱根本戦にはエントリーされていたものの、胃腸炎の影響で出走することは叶わなかった。だが、そんな苦い思いをした1年目の経験を糧に、2年目では大きく飛躍することとなる。
2年時からは、いよいよチームの主軸として主要大会に出場し結果を残すように。トラックシーズンでは5000メートルで13分34秒95と自己記録を更新。上尾シティハーフマラソン(上尾ハーフ)では61分16秒の好記録で優勝を果たした。強い選手としての条件をそろえつつある中、山口智の転機となったのが第100回という記念大会であった箱根駅伝だ。各校のエースが集う激戦区の「花の2区」。下級生ながらこの重責を託された山口智は、並み居る強豪たちに一歩も引かない走りを見せ、区間4位の快走でチームの順位を大きく押し上げた。前年の借りを返し、世界へのステップを踏み出した瞬間でもあったのではないだろうか。箱根の「良い結果」を味わって大学生活を折り返した。

2年時の上尾ハーフにてレースを走る山口智
だが、やはり箱根駅伝は良い部分だけではない。3年時の箱根は準備を重ね挑んだが跳ね返された経験だったと言う。この年も、年間を通してうまくいかなかった印象があるそうだ。2024年2月に開催された日本選手権クロスカントリーで優勝を果たし、日本選手権1万メートルへの出場権を獲得。しかしその後のトラックシーズンでは思うような結果が出せないレースが続き、もがいていた。

3年時の日本選手権1万メートルにてレースを走る山口智
駅伝でも、初陣である出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)で1区12位とまさかの出遅れ。復調が見られたのは全日本大学駅伝対校選手権(全日本)の時だった。18位で回ってきたタスキを5位まで押し上げる13人抜きの快走を見せチームのシード獲得に大きく貢献。箱根駅伝への準備は整ったように見えた。できることは全てやった。あとは箱根で結果を残すのみ。しかし、山口智に待っていたのは試練だった。任された「花の2区」、前半は良いペースで前の選手たちに追いつくも、想定以上に後ろが追いついてくるのも早かった。そこからは苦しいレースになり区間12位に沈んだ。「これだけやって発揮できなかったことが1番悔しい」。そう感じた箱根駅伝だった。

3年時の全日本で2区を走る山口智
迎えた4年目、山口智は「箱根駅伝優勝」という目標を掲げた早大の駅伝主将に就任した。「とても貴重な経験をさせてもらった」と語ったが、最後の1年間で山口智は再び大きく成長することとなる。まず、行動と意識が変わった。「チーム」という存在を今までよりさらに自分事として捉えるように。海外遠征が多い中でも、調子の悪い選手がいたら気にかけていたり、遠征先からミーティングを開催しチームを鼓舞したりもした。「チームがなかなかうまくいかない時期があると、自分の走り以上にもどかしい。」プレッシャーや責任がかかる駅伝主将という役職の中で意識は大きく変わり、それが競技の結果にもつながっている。
山口智が4年間のベストレースとしてあげた日本インカレ。早大は今年度、「日本インカレ総合優勝」という目標を掲げていた。井上直紀主将(スポ4=群馬・高崎)など、世界を目指す同期の短距離選手からも刺激を受け、山口智はチームに最大限の貢献をしようと考えた。その結果が、日本人初となる1500メートルと5000メートルの2冠。16点を早大に持ち帰るというこれ以上ない貢献をした。早大は総合優勝には至らず悔しさもあったが、思いが結果としてかたちになった瞬間だった。その後も日本選手権の1500メートルでは自己記録を更新し準優勝を果たすなど、輝かしい戦績を残す。駅伝シーズンに入っても快進撃は続いた。出雲駅伝ではエンジのタスキをトップに押し上げる9人抜きの快走を見せ自身初の学生3大駅伝区間賞を獲得。チームとしては14年ぶりの表彰台となる2位でのフィニッシュとなった。

4年時の日本インカレ1500メートルにてトップでゴールする山口智
チームのために、何ができるのか。それを模索する1年間を過ごした。「智規さんを胴上げしたいです」。箱根駅伝前、後輩たちは口をそろえてそう言った。「主将として何をしたらいいかわからないままだったが、その言葉を聞いてこの1年が報われた」と山口智は語る。「箱根駅伝で優勝したい」という思いはチーム全体へと伝播(でんぱ)し、一体感をつくり上げていた。主将としての行動が実ったと言えるような出来事だった。そして迎えた箱根駅伝、3年連続となる2区に出走した山口智は、65分47秒で日本人トップの区間4位という素晴らしい結果で箱根駅伝ラストランを終えた。だがしかし、他大の猛追もあり早大は総合4位に。悔しい、悔しい4位。それでも、やりきった。この先の景色は、後輩へと託された。

4年時の箱根で2区を走る山口智
花田駅伝監督が就任して4年目を迎えた今年。1からつくり上げてきたチームが完成し、4年間花田駅伝監督の元で競技を続けてきた選手が卒業する年でもある。山口智は「大学生活の中で花田駅伝監督と共に成長してきた」と言う。1年目などはうまくいかないことや納得がいかないことがあると、思うようにコミュニケーションが取れないこともあった。それがだんだん早大で競技を続ける中でなんでも言えるような関係性へと変化していった。チームとしても成熟する中で、1人の選手、1人の監督としてお互いに試行錯誤を重ね今の姿があるのだろう。

4年時の箱根駅伝直前公開取材にて撮影に応じる花田駅伝監督と山口智(写真右)
「これから結果を残すことが、この4年間の証明になる。」エンジのユニホームに別れを告げ、卒業後はSGホールディングスへと進む。卒業してから結果を残すことこそが早大で過ごしてきた4年間の成果となると山口智は言う。世界を目指していく中で、まずは2028年のロサンゼルスオリンピック出場、そしてその中で勝負することを目標に掲げる。ワセダから世界へ。その言葉を体現する選手の一員へ、山口智の挑戦は続く。
(記事 會川実佑、写真 加藤志保氏、近藤翔太、飯田諒、髙杉菜々子、植村皓大、田中瑠花、會川実佑)