【連載】『令和7年度卒業記念特集』第32回 大蔵こころ/自転車

卒業記念特集記事2026/ニュース/自転車

挫折を超えてーー16年間の競技生活に感謝

「決して順風満帆とは言えないがそれでももがきながら、必死に自分にとって自転車競技とは何かを考え続け、全力を尽くした4年間だった」・・・
大仲凜功(スポ4=愛媛・松山学院)と同じく、多くの大会で好成績を残し、4年時には早稲田大学自転車競技部女子主将としてチームを引っ張った大蔵こころ。大学卒業を機に16年間の自転車競技生活に一度終止符を打つことを決めた。そんな大蔵が自身の競技人生、早稲田大学での4年間を振り返るーー。

地元・長野に小中学生を対象とした自転車クラブチームがあり、小学校入学のタイミングで先に競技を始めていた友人に誘われたことがきっかけだった。また、父が趣味で自転車競技をしていた影響もあり、いつの間にか大蔵の競技人生が始まっていたという。小学生時代には父や弟とともに多くの遠征に出かけ、大会や合宿をっとして全国に友達ができる楽しさを感じていた。ほかにも習い事をしていたが、最も夢中になったのが自転車競技だった。

 そんな大蔵が自転車競技で世界と戦える選手を目指し、本格的に向き合い始めたのは高校生の頃だった。地元・長野を離れ、愛媛・松山学院の自転車競技部に女子一人目の部員として入部。無我夢中で自転車競技に打ち込んだという。大蔵が早稲田進学を決意するようになったのも高校生の頃だった。高校一年生で出場したインターハイで早稲田大学自転車競技部の監督から声をかけられたことに加え、地元が同じ先輩や女子選手として活躍していた先輩が早稲田大学自転車競技部に所属していたことから進学を決意。その後見事に早稲田大学に入学した。

 しかし、早稲田大学での競技生活は順調なスタートとはならなかった。大学1年時、ジュニアカテゴリーで早生まれの強化指定選手として活動していた大蔵に、コロナ禍が明けたことで世界大会派遣という大きなチャンスが巡ってきた。世界で戦える選手を目指していた大蔵にとって、またとない機会だった。しかし、大学入学後の環境の変化に上手く適応できず、思うように自分を追い込んだトレーニングができなくなり、実力を落としてしまったという。その結果チャンスをつかむことはできなかった。当時の心境について大蔵は、「日本代表に入り、自転車競技でオリンピックを目指せるところに行きたいという道を自分で閉ざしてしまった」と振り返る。しかし、この挫折が転機となった。これから何のために頑張り、何を目指していくのかを真剣に考えた末、「まずは目の前のことに全力で取り組む。日本一になるチャンスはまだ残っていると考え、インカレで優勝し、ウィニングランで母に感謝の姿を見せることを新たな目標にした」と語った。

 この経験は決して無駄ではなかった。一年次に臨んだ第77回全日本大学選手権(インカレ)のオムニアムでは2位という好成績を収めると、2年時には個人トラックで総合優勝を果たした。3年時に行われた第64回全日本選手権トラック自転車競技大会でも女子トラック総合優勝に大きく貢献した。

 そして4年時、女子主将として迎えたトラック総合優勝二連覇がかかる第65回全日本選手権トラック自転車競技大会。2日目に行われた女子チームスプリントでは大蔵、垣田真穂(スポ3・愛媛=松山学院)、池田瑞紀(スポ3・福岡=祐誠)の3人で出場。前回優勝したメンバーと同じ布陣で挑み、見事に2連覇を果たした。目標の一つであったウィニングランでの母とのハイタッチも達成。「忘れられない瞬間になった」と語る。女子主将としてチームを引っ張り、女子トラック2度目の総合優勝に大きく貢献した大蔵は、この2連覇について「自分の実力の足りなさに申し訳なさを感じることもあったが、頑張っている仲間の存在があったからこそ最後まで走ることができた」と仲間への感謝を語った。

4年時のインカレ、女子チームスプリント決勝で先頭を走る大蔵

 早稲田大学卒業を機に16年間の自転車競技人生に一度区切りをつけることを決めた大蔵。競技人生を振り返り最も伝えたいことは多くの人への感謝だという。

 「この16年間、自分一人の力では走り続けることはできませんでした。多くの方々に支えていただき、仲間と出会い、自転車競技を通して数えきれないほどの学びと経験を得ることができました。本当にありがとうございました」

 卒業後は社会人として新たな道を歩む予定だが、「また戻ってこられるタイミングが来た時には、もう一度自転車競技に挑戦したい」とも語る。16年間の競技人生で培った経験を胸に、大蔵の新たな挑戦が始まる。

                          (記事、写真 木山侑星)