【連載】『令和7年度卒業記念特集』第56回 松本翔太/軟式庭球

卒業記念特集記事2026

選び続けた道の先に

 中学、高校と各世代で「日本一」を手にしてきた松本翔太主将(スポ4=香川・尽誠学園)。大学でも1年時から主力として活躍し、3年時に日本一に輝いた。燦然(さんぜん)と輝く実績の裏側には、常に自らの意志で道を切り拓いてきた「選択」と、それを貫く「覚悟」があった。約15年に及ぶ競技人生に幕を下ろす今、栄光の歩みに秘められた物語を紐解く。

 ラケットを初めて握ったのは小学校2年生の頃。兄の背中を追うようにして、競技人生は幕を開けた。基礎技術を叩き込む中で芽生えたのは、「カッコいいのは前衛」という思い。ネット際で放つダイナミックなスマッシュやボレーに憧れ、「前衛」というポジションを志した。

 その情熱は、進路における強い意志へとつながっていく。「ソフトテニスが強い中学校に行きたい」。千葉出身の松本は、地元から離れた、東京の強豪・清明学園中への進学を決断した。当時、両親は反対の意を示したという。だからこそ、自ら選んだ道に妥協は許されない。自主性を重んじる環境下で心身を研鑽(けんさん)し、中学3年時には全国制覇を成し遂げた。

 さらなる高みを目指し、高校は香川の尽誠学園に進学。全国の精鋭が集う熾烈なレギュラー争い、そしてコロナ禍による大会中止という逆境。その中で監督の指導を自分なりに咀嚼(そしゃく)し、考え続ける姿勢を貫いた。その積み重ねが、最後の全国高等学校選手権(インターハイ)団体優勝、個人5位という結実をもたらした。

 早大への進学もまた、偶然ではない。小学生の頃に描いた「未来設計図」の通りだった。高校時代の全国大会の成績を武器に、自己推薦で合格を勝ち取った。幼き日の誓いを、自らの力で手繰り寄せたのである。

 幾度となく全日本学生選手権(インカレ)を制してきた早大で、「大学日本一」への挑戦の扉は開いた。1年時のインカレ団体戦では自身の出場機会はなかったものの、「早稲田はこういうチームなんだというのを見られた。入学してよかったと思えるインカレだった」と振り返る。2年時は個人戦で6回戦まで進出するも、団体戦は3位。チームを背負うプレッシャーや結果への焦りが空回りする時期でもあった。

 3年生になると、精神的な壁に直面する。「勝たなければいけない」「迷惑をかけてはいけない」。新たにペアを組んだ吉田樹(令7法卒)が最終学年ということもあり、責任感は一層強まった。関東学生春季リーグ戦(関東リーグ)や東日本学生選手権(東日本インカレ)では思うような結果が出ず、苦悩の日々が続いたが、「全力を尽くして、楽しく頑張ろう」と肩の力を抜き、3度目のインカレへ臨んだ。

 迎えた本番。個人戦でベスト16入りを果たし、団体戦での活躍が期待された。しかし、団体戦4回戦の同志社大戦では0―④のストレート負け。翌日の準決勝進出を懸けた関西学院大との一戦では、松本の姿はコートではなく応援席にあった。「とても悔しかった」。それでも、腐ることはなかった。いつ起用されてもいいよう準備を怠らず、ポケットには常にゼッケンを忍ばせていた。

 そして決勝。松本は1対戦目でコートに立った。「絶対に勝つ。これがチームのためのラストチャンス」。第1ゲームを落とすも、第4ゲームまでを連取。第5ゲームではポイント0―3の劣勢からデュースに持ち込んだ。アドバンテージを奪うと、ストレートコースへ飛び出し、渾身のボレーを叩き込んだ。チームに優勝を大きく引き寄せる1勝。残り2ペアも勝利し、「大学日本一」を達成した。「チーム全員で勝ち取った優勝の景色は、本当に最高だった」。

 最終学年では主将に就任。心がけたのは「弱みを見せないこと」だ。後輩が意見を言える場をつくるなど、チームづくりに力を注ぎ、「自分が頑張ることで、皆のモチベーションを高める」スタイルに行き着いた。一方で、エースとしては苦しいシーズンでもあった。関東リーグは2部降格。東日本インカレではベスト16にとどまった。

 しかし、最後のインカレでは意地を見せる。4回戦の関西外国語大戦では、三次戦で勝利し、準々決勝進出を決めた。続く明大戦では、後輩2ペアが敗れた後に登場。ファイナルゲームの接戦を制し、チームの望みをつないだ。二次戦で最終的に敗退したものの、チームをベスト8へ導いた。

 「僕が主将をしてくれてよかったと思ってもらえるような主将でありたい」。その言葉通り、実績ある部員が少ない状況を言い訳にせず、主将として、エースとして、最後まで悩み抜き、戦い抜いた。たった5人の同期の絆も、彼を支えた。スポーツ推薦で入学したのは松本ただ一人だったが、共に歩む仲間がいた。入学式で自ら勧誘し、最後は主務としてチームを支えた渡健博主務(スポ4=山口・徳山)。理系の勉強と練習を両立し、努力する姿で仲間を鼓舞した洲﨑一眞(創理4=新潟・長岡)。常に優しく競技に真摯に向き合い、腐らない強さを教えてくれた奥山航平(スポ4=東京・早大学院)。陰で練習や筋力トレーニングに励み、自己研鑽を積み重ね、チームに熱をもたらしてくれた小幡泰雅(スポ4=山口・宇部)。日本一には届かなかった。それでも、日本一を目指せる「チーム」をつくり上げたことは、間違いなく松本の功績である。

 卒業後は競技の第一線から離れ、15年間の軌跡は、ここで一つの終止符を打つ。「(ソフトテニスは)自分1人がうまくなるだけではなくて、周りのことも考えて行動しないといけない。チームで勝つために考えることが多いことは、社会に出る上でも糧になる」。自らの選択で道を切り拓いてきた松本。その歩みは、次なる舞台へと続く滑走路となる。この先に待つ長い旅路へ、松本は翔び立つ。誰よりも高く、どこまでも力強く。

(記事・写真 佐藤結)