取り戻した青春
「このまま終わるわけにはいかない」高校時代、コロナ禍によって努力の成果を披露する舞台を奪われた野中。失われたのは、場所だけではない。仲間と高め合い、勝利に震え、敗北に涙する。本来、手にするはずだった感情の記憶もまた、空白の中に消えた。あの日下した早稲田でホッケーを続けるという決断は、その欠落した時間を取り戻し、自らの手で「正解」に変えるための挑戦だった。月日は瞬く間に流れ、4年が過ぎた。そこにあったのは、大怪我の恐怖や主将としての重圧に抗い、泥にまみれて手繰り寄せた鮮やかな青春の断片だ。日々の苦しさから逃げなかったからこそ、彼女の心にはかつて得られなかった濃密な感情が刻まれていった。4年間を終え、彼女の口から零れたのは「充実」という言葉。かつての空白を、かけがえのない記憶で塗り替えた野中の、妥協なき足跡を振り返る。
野中とホッケーの出会いは、高校時代にさかのぼる。中学まではバスケットボールに打ち込んでいた彼女だったが、宮崎県内のアスリート発掘プロジェクトに参加した際、関係者から声を掛けられた。「ホッケーをやってみないか」この言葉が野中を突き動かした。バスケに比べて競技人口が少なく、努力次第で全国大会への道が開けやすい点に魅力を感じた。
「高いレベルで勝負したい」
高校は、ホッケー部があるところに行くと決意したのも、この時だった。
入学後も、その情熱が冷めることはなかった。自宅にゴルフ用の人工芝を敷き詰め、来る日も来る日もドリブル練習に励んだ。こうした地道な積み重ねが、後に彼女の代名詞となる華麗なドリブルの基礎を形作っていった。
しかし、高校3年時にコロナ禍が襲う。目標としていた国体の中止が決定し、努力の成果を披露する場を奪われた彼女は、深い無力感に包まれた。「このまま競技人生を終わらせたくない」そう思った。その強い思いが、彼女を早稲田大学ホッケー部への入部へと突き動かした。
念願の門を叩いた野中は、大学レベルの壁に直面した。高校時代以上に激しい身体接触に当たり負けする場面が増え、フィジカルの差を痛感。追い打ちをかけるように、インカレで救急車が動員されるほどの大怪我を負ってしまう。復帰後も接触への恐怖心という精神的な後遺症に苦しんだ。
「何かを変えないと」
野中の真骨頂は、ここからの執念にあった。恐怖という正体のない敵に対し、彼女が突きつけたのは「徹底的な論理」だった。筋トレで肉体を改造し、イメージトレーニングを欠かさず行うことで、負の感情をひとつひとつポジティブなエネルギーへと塗り替えていった。

ドリブルで駆け上がる野中
野中の大学ホッケーデビューは華々しい幕開けとはならず、怪我という思わぬ試練とともに2年目を迎えることとなった。大学2、3年時は、彼女にとって「個のホッケー」から「組織のホッケー」への転換点となった。苦難の1年目を経て迎えた2年目の春季リーグ。復帰戦となった慶大戦で、野中は不安を吹き飛ばす2得点を成し遂げた。長いトンネルを抜けた瞬間だった。この成功体験が大きな自信となり、ストライカーとしての階段を確実に登り始めた。
さらに、当時の主将・山下の存在が彼女の視野を広げた。圧倒的な技術を持ちながらも、仲間の強みを引き出し「チームで勝つ」ことに徹する山下の背中に、野中は大きな影響を受ける。「いかに自分が点を取るか」という思考から、「いかにチームを勝たせるか」という思考へ。その変化は前線からの献身的なプレスという形となって現れ、強豪・山学大を相手に失点を1桁代で抑える原動力となった。3年秋には、創部初となる関東リーグ準優勝という歴史を刻んだ。
そして迎えた最終学年。主将に任命される。尊敬する偉大な先輩である、山下から受け継いだバトンだった。
「周りに感謝しながら悔いなくやり遂げよう」
野中が掲げたのは、同期や後輩、そして支えてくれるすべての人への「勝利による恩返し」、そして悔いのない幕引きだった。主将としての彼女を支えたのは、4年間継続してきた徹底的な自己研鑽だ。毎日の練習動画を細部まで見返し、課題を抽出してから翌日のピッチに立つ。この習慣が、戦術的な決まり事の多い早稲田のホッケーにおいて、彼女の理解力を誰よりも深いものにしていた。

相手を翻弄する野中
野中は、その解像度の高い戦術理解をチーム全員の共通言語にするため、ピッチ外でも奔走した。自ら戦術の動画を作成して共有し、練習後には後輩への個別指導を惜しまなかった。エリート集団ではないチームが勝つためには「全員の意識統一」が不可欠であるという、主将としての危機感と責任感が彼女を突き動かしていた。最大の試練は、主将として迎えた4年生の春の関東リーグだった。結果は5位。目標には遠く及ばず、突きつけられた現実に言葉を失う。「自分の代で、歴史を停滞させてしまった」。その責任の重さが、襲いくる無力感と共に野中の肩に重くのしかかる。しかし、どん底にいた彼女を救い出したのは、共に汗を流してきた仲間たちの存在だった。
「一人じゃない」そう思えた。
仲間たちに助けられ、なんとか前を向き、最後の秋季リーグに挑む。
あの日の悔しさを胸に刻みながら、磨き続けてきた「全員で愚直に戦う」というスタイル。その成果を示す最後の舞台が、秋だった。
3位決定戦の相手は、3年時に敗れた因縁の東農大。まさに運命の巡り合わせだった。試合はシュートアウト戦までもつれ込む激闘となる。これを制して掴み取った3位という座。それは単なる順位以上の価値を持つ、どん底から這い上がり、全員で戦い抜いた証であった。
そして迎えた、本当のラストゲーム。
伝統の早慶戦。
「泣いても笑っても、60分で終わり」
始まってからは、勝つことしか頭になかった。
慶大の勝利で試合が終わった。10年以上守り続けてきた歴史は、この日、途切れた。悔しさと申し訳なさが胸を締めつける。それでも、不思議と後悔はなかった。もし時間を巻き戻せたとしても、やれることはもうない。そう言い切れるだけの準備と覚悟を、この1年で積み重ねてきたからだ。勝利で終わることはできなかった。だが、やり切ったと言える終幕だった。
この4年間を彼女は「充実」という言葉で締め括った。スティックを握るのが億劫に感じる朝も、どれほど努力を重ねても勝利が届かず唇を噛んだ夜もある。だが、そのすべてに意味があったと、今の彼女は断言できる。素晴らしい仲間と分かち合った喜び、挫折の淵で励まし合いながら前に進んだ記憶。高校時代、コロナ禍によって奪われたはずの感情を、早稲田での泥臭い日々の中で取り戻していた。
思えば、かつての野中は岐路に立っていた。高校時代、ホッケーを続けるか、国際系の進路に進むか。葛藤の末に彼女はスティックを置かない道を選んだ。あの時、迷いながらもホッケーを続けると決断したからこそ、得られた景色がそこにはあった。
現在、野中は留学のため異国の地にいる。その手に握っていたスティックを置き、かつて選ばなかった「国際」という新たなフィールドへ踏み出した。ホッケーをやめ、新たな道を選んだ野中に迷いはない。勝負の世界で培った執念と、仲間と共に困難を乗り越えた経験は、これから進む未知の地でも彼女の背中を強く押し続けるだろう。妥協を許さないストライカーの挑戦は、舞台を世界へと変え、これからも続いていく。
(記事 本多鼓瑚)