【男子バスケ】ルーキー松本36得点の奮闘届かず準優勝 57年ぶり日本一ならず 

男子バスケットボール

第77回全日本大学選手戦 12月14日 東京・大田区総合体育館

  前日の日本経大戦を制し、全日本大学選手権(インカレ)決勝の舞台へ駒を進めた早大。決戦の相手には、昨年のインカレで破れた相手である白鷗大を迎えた。試合はQごとに流れが移り変わる激しい展開。しかし第4Qに相手の3Pシュートが立て続けにヒットし、83-101で敗れた。大会結果は準優勝。関東大学リーグ戦(リーグ戦)から快進撃を続けた早大であったが、冬の頂点にはあと一歩届かなかった。

 試合は序盤からハイペースな点の取り合い。早大はF三浦健一(スポ3=京都・洛南)の積極的な仕掛けで得点を重ねる一方、白鷗大はモンガ・バンザ・ジョエル(4年)と境アリーム(3年)を中心にセカンドチャンスポイントを量産する。拮抗(きっこう)した展開が続く中、流れを変えたのはG堀田尚秀副将(スポ4=京都・東山)。第1Qから3本オフェンスリバウンドとスティールを記録するしぶとい働きを見せた。Q終盤には三浦とF松本秦(スポ1=京都・洛南)の連続3Pシュートが飛び出し、29-21で第1Qを終了。松本は12得点、三浦は10得点を記録した。

 しかし、第2Qは一気に白鷗大のペースとなった。早大のG下山瑛司(スポ3=愛知・中部第一)と三浦がファウルトラブルに陥ったところで、白鷗大がオフェンスリバウンドを量産。速攻を食らう場面も増え、一気にビハインドの展開となった。オフェンスでも停滞が続き、43-53で前半終了。白鷗大によるハイペースなオフェンスが早大のファウルトラブルを引き起こした。

レイアップシュートを放つ松本

 劣勢の第3Q、この時間の主役となったのは今大会で本格的なバスケ競技を引退するG高田和幸(商4=京都・洛南)だった。5点差を追う残り約4分、怒涛(どとう)の3連続3Pシュートを成功。一気に早大が逆転し、試合の流れをひっくり返した。それでも白鷗大はゴール下から得点を重ね、72-74の2点ビハインドで第3Qを終了。勝負の行方は最終第4Qにもつれた。

 今年の大学バスケを締めくくる最後の10分間。早大は下山の高速ペイントタッチから数々のチャンスを演出する。しかしこのチャンスを三浦やG岩屋頼主将(スポ4=京都・洛南)が決め切れず、もどかしい時間が続いた。すると、試合を動かしたのは白鷗大の小川瑛次郎(2年)。連続3Pシュートを沈め、早大は残り5分で12点のビハインドを背負った。ここまで少人数のローテーションで必死に戦ってきた早大であったが、必死の反撃はおよばず。最後まで白鷗大の強力なオフェンスリバウンドに苦しみ、83-101で敗戦した。

3Pシュートを放つ高田

 早大のディフェンスリバウンド19本に対し、白鷗大のオフェンスリバウンドは27本。倉石平HC(昭54教卒=東京・早実)は「あれだけゴール下を荒らされるとうちの良さは出ない」と冷静に振り返った。試合後は相手のサイズの大きさを嘆いた三浦に対して「それにどう勝てるかを考えてやるんだよ」と声をかけた倉石HC。早大バスケ部の挑戦はこれからも続いていく。

 試合後の表彰では松本が得点王と3P王と優秀選手賞、下山がアシスト王、三浦がMIP賞と優秀選手賞、岩屋主将が敢闘賞を獲得。試合後は涙を流した松本と三浦であったが、表彰では2人らしい笑顔を見せた。

表彰を受ける松本

 決して戦力に恵まれず、1部残留が現実的だった今シーズンの早大。新体制最初の大会では福岡第一高に敗戦あと一歩まで追い込まれ、関東大学選手権は明星大を相手に1回戦敗退寸前の危機に瀕した。それでも夏にチームは大きな変貌を遂げ、リーグ戦では超攻撃的バスケットで関東を席巻。早稲田旋風を巻き起こし、57年ぶりの優勝を成し遂げた。インカレこそ頂点には届かなかったが、準優勝も1974年以来の快挙。早稲田のバスケットは見るものを魅了し続け、大学バスケの歴史に新たな1ページを加えた。

(記事 石澤直幸 写真 石澤直幸、高津文音)

1Q2Q3Q4Q合計
早大2914291183
白鷗大21322127
101

早大 スターティングメンバー

Pos. # 選手名
下山瑛司(スポ3=愛知・中部第一)
三浦健一(スポ3=京都・洛南)
堀田尚秀(スポ4=京都・東山)
12 松本秦(スポ1=京都・洛南)
14 高田和幸(商4=京都・洛南)

コメント

岩屋頼主将(スポ4=京都・洛南)

ーーリーグ戦では白鷗大に2勝していたと思うのですが、決勝でやってみて今までと違うなというところはありましたか

 基本は変わんないんですけど、やっぱりスカウティングで僕らがやりたいことをしっかり消してきて。僕らがやられたら嫌なペイントエリアを得点、アタックっていうのを徹底してやってきたんで。やっぱりどの選手もファールは混んで、上手くディフェンスもできないという感じで。やっぱり僕らはいいディフェンスからトランジションに持っていくっていうことができている時間帯はすごい良かったんですけど、ペイントエリアで点を重ねられている時はうまくトランジションも出ないっていうところで、あと乗り切れなかったんで。そこをスカウティングじゃないですけど、僕らのやられたら嫌なところをしっかり突いてきたっていうのはすごいリーグ戦の時とは違ったなと思います。

ーー第4Qで白鷗大の時間になったときはどういう感じでしたか

 白鷗さんのそのスリーポイントっていうのは、ちゃんと僕らが中弱いのわかって、中でシールして、そこを突いてきて、僕らは寄らないといけないから寄って、キックアウトでワイドオープンみたいなスリーが多かったと思うんですけど。僕らは焦りもあったし、なんかその自分のリズムで打ったスリーっていうのがあんまりなかったっていう印象が強かったんで、そこは白鷗が一枚上手やったと思います。

ーー敢闘賞が発表された時のお気持ちは

 まあでも、ちょっと今日の内容やったんで素直に喜びはできなかったんですけど、リーグ戦とか今シーズン通してチームにはいい影響を与えられたと思うんで、素直に受け取ろうかなと思います。

ーー今シーズンの自己評価はいかがですか

 正直、チーム全員がこんな結果を残せるとは思ってなかったんで。最初考えてた目標から見ると、もう満点と言っていいんじゃないかっていう出来ではあったんですけど。やっぱりその上が見えた分、最後落としちゃったっていうのは悔しいんで。ほんまに60点とか、まだいけたなっていう、あと一歩っていうところで悔しかったんで。そのぐらいの点数になるかなと思います。

ーー負けの方が多い3年間でしたが、最後この1年間はどういったものでしたか

 負けが圧倒的におおい3年間だったんですけど、最終学年でこういう結果を出せたのはビックリですし、誇りを持ちたいなとおもいます。

ーーこれからの目標は

 Bリーグで活躍するということは大学1年生のころから考えていたことなので。目標はまずそこですね。

ーー仲間に対して感謝の思いを伝えるなら

 高校の時はこんな優勝が狙えるような成績はのこせず、大学入ってからもインカレ優勝なんか考えたこともなくて。それを4年目で夢見させてくれたのはみんなに感謝したいです。1、2、3年生の時に関わってくれた先輩方にはその時があったからこそ今があるということを伝えたいです。

堀陽稀副将(スポ4=京都・洛南)

ーー今日の試合を振り返ってみていかがでしたか

 強かったです。

ーーリーグ戦では2戦とも勝っていたと思うのですが、今日の白鷗大戦に向けてどのような対策をしてきましたか

 リーグ戦2回で勝ってるんですけど、あんまり何も気にしてなくて。今日はとりあえず頑張ろうってかたちで行って。相手がでかいのは分かってて、リバウンドのとこ頑張ろうって話やったんですけど、やっぱりそこでいっぱい崩されたし、中寄ったところで外で決められたっていう。普通に完敗というか、ちゃんと全部負けたなっていう感じだったので、悔しいとかもあんまりないです。

ーー相手のフィジカルが結構強かったと思うのですが、それに堀選手はどれくらい食らいつけましたか

 いや、もう無理無理無理ですね。

ーー相手の調子が良かったですか

 普通にディフェンスの強度とかも高かったですし、自分たちの時間もあったけど、やっぱり相手の時間の方が長かったから、しっかり負けたかなと思います。

ーー今日の試合を終えて、これまで一緒に戦ってきた同期への思いはありますか

 あんまり青臭いこと言わないからあれですけど(笑)。
 同期は一年生の時からずっとみんなで試合出てて、京都出身っていうのもあって仲も良かったし。すごい四年間楽しかったですし、最後リーグ優勝とか、インカレも決勝まで来ることができたし。それはやっぱり4年、後輩たちがすごいいいっていうのもあるんですけど、4年生がしっかりしていたというか、だからここまで来れたかなと。同期に向けては感謝しかないです。

ーー堀選手の大学4年間は全体的にいかがでしたか

 基本1年生の時からけっこう試合で使ってくれて。ずっと負け続けてて、倉石さんをあんまり勝たせることができなかったんですけど、最終の年に、良い結果が出せたので。今日は負けちゃったんですけど、四年生でこういう結果出せたっていうのは、すごい自分としてもこれからバスケ続けるうえで自信になるかなと思います。

ーーこの大学四年間を終えて、今後どんなバスケットボール選手になりたいですか

 けっこう早稲田で、いろいろ学ばせてもらったんで。それを自分の力にできたんで、それをもうちょっと伸ばして。課題とか僕はまだまだ全然あるから、そこを直して。次、プロに行けたら、早稲田で学んだことを出していきたいです。

チームの中心選手として4年間戦い続けた岩屋主将と堀副将