「箱根から世界へ」、そして「早稲田から世界へ」。この壮大な夢を、自らの脚で体現した男がいた。第69回東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で当時の4区区間新記録をたたき出した花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)だ。伝説として語り継がれる「三羽烏」の秘話、そして箱根駅伝での15年ぶりの早大の悲願達成に向けた、強い思いに迫る。
※この対談は12月1日にオンラインで行われたものです。
渡辺は「後輩らしからぬ存在」

箱根駅伝後、報告会にて話す花田駅伝監督
ーーはじめに、自己紹介をお願いします
早稲田大学を平成6年に卒業し、現在は早稲田大学競走部駅伝監督を務めております、花田勝彦です。
ーー武井隆次(平6人卒=東京・国学院久我山)さん、櫛部静二(平6人卒=山口・宇部鴻城)さんに対する早大入学前の印象についてお聞かせください
高校3年時のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)で、武井は1500メートルと5000メートルで二冠を達成しており、櫛部は3000メートル障害で優勝している選手でした。二人とも高校記録保持者でしたので、本当にすごいという印象を持っていました。
ーー早大入学後のお二人に対する印象の変化はありましたか
武井とは高校生の時の選抜合宿で一緒に練習したことがありました。正確にタイムを刻んでいく、非常にクレバーな選手というイメージがありました。櫛部とは、入学前に接する機会は少なかったので、入学後にいろいろと話をしました。武井はゲームが好きだったのでインドア派の印象で、一方の櫛部はよく外に遊びに行くアウトドア派の印象がありました。
ーー渡辺康幸(平8人卒=千葉・市船橋)さんが入学してきた時の印象についてお聞かせください
渡辺とも入学前に合宿で一緒に練習をしており、入学時は大物のイメージがありました。 彼は10000メートルの高校記録以外にもすごい実績を持って早大に入ってきたので、二つ下の後輩ですが、後輩らしからぬ存在でした。
ーー3人との思い出で印象に残っていることについて、お聞かせください
本当にたくさんあります。私の本(『学んで伝える』)にもいろいろ書いていますので、詳しく知りたい方はぜひ本を読んでもらえるとよいかと(笑)。(本に)書いてないことでいうと、渡辺とのエピソードで笑い話があります。合宿中に渡辺や後輩たちと同じ部屋になった時に、私はすぐにお腹が減るので、練習前にバナナを食べようと冷蔵庫に入れておいたら、そのバナナがなくなっていました。私が「誰が食べたのだ」と言っても、みんな寝たふりをして反応しなかったのですが、2日ぐらい経ってから渡辺が「すみません、あれ僕が食べました」と言ってきたことがありました。当時の渡辺はお茶目な後輩でした。
「非常にバランスの良いチーム」

声かけをする花田駅伝監督
ーー次に第69回箱根駅伝の質問へと移らせていただきます。まず、第69回箱根駅伝を個人として振り返ってみていかがですか
私自身3年目でようやく実力がついてきて、準エース区間の4区を瀬古(利彦、昭55教卒=三重・四日市工)さんから任されることになりました。11月、12月と非常にレベルの高い練習ができていたので、自分の中ではスタート前から区間新記録を出そうと思っていました。当時の区間記録が1時間2分50秒ぐらいでしたので、(1時間)2分前半ぐらいで走りたいと思い、準備をしていました。本番は櫛部が1区で区間新記録を出したので、自分も(区間新記録を出す)という気持ちでした。瀬古さんからは15キロを過ぎてからが勝負だと言われていたので、前半は1キロ3分を切る落ち着いたペースを刻み、最後の5キロでしっかりペースを上げて走り終えました。結果的に、1時間2分7秒の区間新記録が出せたので、自分の持っている力を出すことができたと思います。ただ、もう少し前半から攻めの走りをしていれば、おそらく1時間1分台の記録を出せたのではないかと思います。
ーー続いてチームとしての振り返りもお願いします
私が3年になってやっと力がついてきて、武井や櫛部に追いつけたことに加え、渡辺はもう1年目から強かったので、戦力は充実していました。そして、一つ下の学年では小林正幹(平7人卒=埼玉・松山)も力をつけており、さらに山登りには小林修(平7人卒=福島・白河)がいました。一方、復路には、練習を積み重ね、着実に実力をつけられていた4年生の先輩方がいたので、非常にバランスの良いチームだったと思います。みんなで力を出して優勝しようという雰囲気がチームにあったので、いいムードで箱根駅伝に臨めたと思います。
ーーアップダウンが激しく、レースプランを立てるのが難しい4区ですが、区間新記録を樹立された花田さんが考える走り方について教えてください
当時はコースを車から少し見ただけだったので、4区を走る中で、後半こんなに登るのかと思ったり、ラスト1キロ付近では中継所はどこだろうと探したりしながら走っていました。瀬古さんには、コースの下見や研究も大事であるが、それよりもまず練習をすることに集中しなさいとよく言われていました。翌年は2区を走りましたが、その際もコースがあまり分からないまま走っていました。ですから、2区も4区もあまりコースを覚えていません(笑)。 とにかく5キロを14分台で押していくということと、ラスト1キロを2分50秒ぐらいまで上げていくことをテーマとしていたので、常に余裕を持って最後まで走りたいと考えていました。実は、私はあまり登りが得意ではないのですが、(コースを覚えていなかったおかげで)気にせずに走れたという感じです。
ーー第69回箱根駅伝以外で思い出に残っている箱根駅伝はありますか
2区を走らせてもらった4年時の箱根駅伝です。当時、私たち「三羽烏」と渡辺を含め、4人で誰が2区を走るかを競っていました。私自身はシーズンを通して非常に調子が良かったので、瀬古さんから2区を任されましたが、12月中旬ぐらいから調子が下降気味で、あまり自信がないまま2区を走ることになってしまいました。結果としては当時の2区の早稲田記録を更新しましたが、区間3位でした。瀬古さんからは区間新記録のタイムを設定されていたので、その期待に応えられなかったことはすごく残念で、悔いが残っています。また、2区は曲がり角やコーナーも多くありますが、私はコースがわからないのもあって最短コースを通らず常に沿道寄りを走っていました。振り返ってビデオを見てみると、後ろの(ステファン・)マヤカ選手(山梨学院大卒)はコーナーのところで必ず道の真ん中の方に寄り、最短コースを攻めていました。コーナーを走る度に私との差が詰まっていたので、2区を走ると決まった時に、コースをしっかり頭に入れておくべきだったと思います。
ーー指導者となってからはコースの下見や研究はされていますか
上武大の監督になってからは、選手を連れてコースを見に行ったり、マップで見たりもしました。私は瀬古さんと同じ考えで、圧倒的な力をつけたら、どの区間でも対応できると思っていますので、選手たちはコースの下見も必要だけど、まずは自分の実力をもっと上げることに集中するようにと指導しています。一方、工藤慎作(スポ3=千葉・八千代松陰)は自分できっちりと計画を立てていて、今年の箱根駅伝や全日本(全日本大学駅伝対抗選手権)で想定タイムをクリアしています。ですから、これから(箱根駅伝で走る)区間が決まったら、選手それぞれが自分自身でコースを研究してほしいです。しかし、チームとして、圧倒的な力で勝ちたいという一つのテーマがあるので、高いところを目指しながらやってほしいとも思います。
ーー監督として運営管理車からの声かけで意識されていることはありますか
戦略的なことを選手に声かけをしようとは思っていません。どういうことを言えば選手の気持ちが前向きになるのかということを意識しています。また、レースが後半になったら、その選手との思い出を話すことも多いです。もう少し戦略的な声かけをすべきであるとも思いますが、選手たちには自分の力で戦ってほしいという気持ちもあります。箱根駅伝がゴールではなく、その先の世界に向けて成長していく選手が多いので、そのような選手たちには自分自身で走る区間に対してどのように向き合い、戦うべきかを考えてほしいと思っています。
「復路で逃げ切る展開」へ

吉倉と話す花田駅伝監督
ーーでは、今シーズンに関する質問をさせていただきます。今シーズンの早大競走部で注目してほしい選手についてお聞かせください
個性的な選手が多くそろっていますが、1年生で言うと、鈴木琉胤(スポ1=千葉・八千代松陰)と佐々木哲(スポ1=長野・佐久長聖)が挙げられます。そして、ロードシーズンになってからは堀野正太(スポ1=兵庫・須磨学園)や多田真(人1=京都・洛北)といった選手も力をつけてきていますので、ぜひ注目してほしいです。また、2年生では、出雲(出雲全日本大学駅伝選抜)、全日本と出走した吉倉ナヤブ直希(社2=東京・早実)にも注目してほしいです。まだ記録会にはあまり出ていないので、タイム的には周りからそれほど注目されていませんが、来年の箱根駅伝で彼が快走したら早大の優勝も近づいてくると思っています。
ーー次に、チーム全体としての来年の箱根駅伝の目標についてお聞かせください
シーズン当初から優勝争いに加わる、そして優勝を目指していくと言ってきましたが、現実的な目標としては、往路優勝が挙げられます。往路が終わった時点でどれぐらい後ろとの差があるのかということが非常に大事になってきます。ですから、往路でたくさんの差を作って復路で逃げ切る展開に持ち込めれば面白いと思っています。
ーー武井さん、櫛部さん、渡辺さんにメッセージをお願いいたします
櫛部とは、現在お互いに監督として切磋琢磨(せっさたくま)しています。彼は日本代表選手も育てるなど、とても良い指導をしているので、私自身も指導者として彼から学びたいと思います。そして、お互いに素晴らしい選手を育てて、日本陸上界を盛り上げていきましょうということを伝えたいです。
武井には今年2月の出版イベントで協力してもらうなど、50歳を過ぎて会うことが増えてきました。また彼の記事を読ませてもらって、選手の育成のヒントとなりそうなことがあったので、また機会があれば、客観的な目で、早大を強くするようなアドバイスをもらえればいいなと思います。
渡辺に関しては、競走部のOB会の方でよくサポートをしてもらっています。また、日本陸連(公益財団法人日本陸上競技連盟)では彼が長距離のトップ(オリンピック強化コーチ)で、私がそのグループの中のオリンピック強化スタッフとして一緒に陸上長距離を盛り上げようとやっていますので、これからもお互いに刺激し合いたいです。そして、彼は早大の駅伝監督として箱根駅伝総合優勝を経験しているので、駅伝監督としてのアドバイスをいろいろもらえればと思っています。
ーー武井さんからの2区に鈴木琉胤選手を持ってくるのはどうかという提案に対してはどのようにお考えですか
やはりそれだけ力のある選手なので、そのような配置も面白いなと思います。加えて、山口智規駅伝主将(スポ4=福島・学法石川)や、先ほど挙げた吉倉もそうですし、工藤も山でなければ2区を走れる選手であるので、いろいろある選択肢の一つとして考えていきたいです。
ーーまた、櫛部さんからの5区での斎藤将也(城西大)選手と工藤慎作選手の対決をぜひ注目してほしいという話についてはどのようにお考えでしょうか
齋藤選手の5区はもう決まっているのですね(笑)。5区スタート時点で、齋藤選手と工藤が一緒にスタートできるようなかたちになれば、面白い戦いになると思います。お互いに引っ張り合って、青学大や駒大、中大、国学院大など優勝候補を引き離したいですね。
ーー最後にこの記事を読んでくださる早稲田ファンにメッセージをお願いいたします
常日頃から、本当に温かいご声援をいただきまして本当にありがとうございます。駅伝監督としては4年目となるので、私自身が1年から指導してきた選手たちがそろい、優勝を狙える1回目のチャンスだと思っています。まずは自分たちの力を出し切れるように精一杯頑張りたいと思います。ただ相手があっての戦いであり、現在箱根駅伝のレベルがすごく高いので、皆さんの期待に添えるかどうかわかりませんが、最後まで温かい目で応援していただきたいと思います。
スペシャル企画

花田駅伝監督が考えるドリームメンバー
私がいた世代のメンバーを中心に、もし機会があればこのチームで箱根駅伝を走ってみたいという願いを込めたオーダーです。
※スペシャル企画の詳細に関する記事は後日掲載いたします。
ーーありがとうございました!
(取材・編集 石本遥希、鶴本翔大)

◆花田勝彦(はなだ・かつひこ)
1971(昭46)年6月12日生まれ。滋賀・彦根東出身。平6人間科学部卒。1994年日本選手権5000メートル優勝。アトランタ、シドニー五輪日本代表。2004〜2016年上武大学駅伝部監督、2016〜2022年GMOインターネットグループ陸上部監督。2022年〜早稲田大学競走部駅伝監督。