4年間で得た「宝物」
「まさか自分がなるとは思っていなかった」ーー。主務としての責務を全うし、早大ラグビー蹴球部の4年間を駆け抜けた小野史裕(スポ4=東京・本郷)は、過去の主務に対するイメージを思い返した。早慶戦出場に対しての強い憧れから1年遅れての入部を決意し、主務として部員・コーチ陣に厚く信頼される存在となった小野の濃密な日々を振り返る。

4年時、対抗戦・筑波大戦でグラウンドからスタンドを見る小野
中学時代、友人の影響でラグビーに出会い、高校から「ノリと勢いで始めた」と語る小野。大学でラグビーの道に進むか悩んだ入学当初の小野は、早大ラグビー蹴球部という強豪での厳しい練習に耐えられる自信がなく、一度は入部を断念した。転機となったのは小野が1年生の時に観戦した関東大学対抗戦(対抗戦)での早慶戦。慶大に進学した高校時代の同期が既に大舞台に立っている姿を目の当たりにしたことで「闘志に火が付いた」と語り、11月23日の早慶戦で赤黒ジャージーに袖を通すことを目標に、1年越しの入部を決意した。
楽しみと不安が入り混じる中、新人練習を乗り越えてラグビー部の一員となった小野。妥協なく最大限の努力をしたものの、同学年のスタープレーヤーとの差を見せつけられ、周りのレベルの高さを痛感した。その後はケガにも悩まされ、上井草に行きたくないと思うこともあったという。そんな中、自分を奮い立たせてくれたのはやはり早慶戦への憧れだった。「自分が信じてあげないと絶対に叶えられない」と強い精神を持ち、毎日の練習に臨んだ。

3年時、慶大C戦でディフェンスに仕掛ける小野
3年生になった小野は副務に選出された。「まさか自分がスタッフ側に回るとは思っていなかった」からこそ、衝撃が大きかったと語る。それでも「スタッフと選手の兼任をさせてもらっていることに、形として感謝を伝えたかった」と、二つの立場を持つことを言い訳にせず、練習にも業務にも全力で取り組み、二足のわらじを履いて強く前進した。結果として早慶戦に出場することは叶わなかったものの、慶大との練習試合にて選手人生を締めくくり、悔いなくポジティブにスタッフとしての最終学年を迎えることができた。

4年時、対抗戦・日体大戦で主務の業務を行う小野
主務に就任し、ラグビー部の『顔』として渉外業務に携わることになった小野。常に選手の過ごしやすさを意識し、伝統ある部を運営することに大きな責任を背負いながら円滑なマネジメントを行ってきた。プレッシャーがかかる中、着々と準備を進め、迎えた全国大学選手権(大学選手権)決勝・帝京大戦前日の夜、突然同期に呼び出された小野。なんと、選手にのみ渡すはずの寄せ書きが主務である小野にも用意されていたという。苦楽を共にした仲間からのメッセージを受け取ったことは、主務として活動する中で嬉しかったことの一つだと笑顔で語った。自分たちが負けるはずがないと本気で信じ、最高の準備をして選手を送り出したラストマッチは惜しくも敗戦という結果となり、日本一は叶わなかった。未だに小野は「この悔しさが消えることはないし、消しちゃいけない」と語り、「望んでいない結果だったとしても、全力を尽くしたからこそ敗戦を肯定できるような生き方をしたい」と決意を新たにした。

4年時、追い出し試合でボールキャリーする小野
選手・スタッフ両方を経験した4年間を「宝物」と振り返る小野は、ラグビー部に入って人生が変わったという。入部当初の目標を達成することはできず、想像もしていなかった主務となり4年間を終えたものの、全力を尽くした小野の表情は晴れやかであった。チームの日本一のために最後まで裏方で動き続け、妥協を許さない姿勢を貫いてきた小野だからこそ得られた「宝物」がある。この4年間で培ったすべての経験を生かし、小野は新たなステージでも活躍していくことだろう。
(記事 伊藤文音、写真 西川龍佑、権藤彩乃、安藤香穂)