【特集】卒業記念インタビュー 軟式庭球部 小林裕仁郎/後編

特集中面/軟式庭球特集

後編では、最後のインカレと4年間の振り返り、今後の展望を伺った。

前編はこちらから

ーーインカレについて伺います。インカレ直前は飯干開生(社2=東京・早実)選手とどのような会話がありましたか

 組んだ時間があまり長くないので、相手の後衛のことは僕が自分のポジションなのでわかるし、前衛のことは飯干に「今相手の前衛何考えてると思う?」などを聞いて、お互いのポジションの相手の心境を理解しながら、とりあえず相手の苦手なところを潰すというのを徹底してやっていましたね。強いて言えば、試合の入りなどをミスらないようにやろうというふうに話していた記憶があります。

ーーご自身としてはどのような気持ちで臨みましたか

 インカレは最後の大会だと分かってはいたのですが、最後だからといって、これが最後か、と思った記憶も別にないです。ただ単に、いつも通りの大会だと思って臨みました。リラックスできた状態でもなければ、緊張しすぎた状態でもなく、平常心で挑めた大会だったと思いますね。

ーー個人戦を振り返っていかがですか

 個人戦は天候などもあって、体調を管理するのが結構大変でした。帰ったらアイシングしたり、飯干ともお互い話し合って、試合以前のコンディションを大事にして臨むという点ではすごく良かったかなと思います。最後、負けた試合も特に悪くなかったです。やれることは全部出し切った大会だったかなと思っています。負けたことは悔しいですが、もっとあれできたなとかはないので、特にそういった後悔はないですね。

ーー立命館大戦後は涙も見られましたが

 号泣していましたね。あれは悔し泣きではなくて。普段練習で自分がどのような打ち方をしているかを動画に結構残すのですが、インカレ前に、4年間やってきた練習している動画を全部見ていて、それを発揮する場所がもうないんだなと思うと、寂しさが込み上げてきました。積み上げてきたものを披露する場所がなくなるというか、積み上げてきたものが今の1試合で全部終わってしまったのだなって思うと、寂しい感情が込み上げてきました。

ーー最後にペアを組んでいた飯干選手へかけたい言葉はありますか

 坊主はしてほしくないなあと(笑)。まだあと2年ありますが、当時の2年生の今ぐらいの僕に重ねて言うとすれば、終わりというのはあっという間に来ますし、その瞬間は結構あっという間です。現役の時の僕に言っても響くか分からないですが、引退した僕からするとそういうのをすごく身に染みて感じるので、今ある環境だったり時間をすごく大事にしてほしいと思います。

ーー団体戦はメンバーに選ばれませんでしたが、率直にどのような気持ちでしたか

 正直悔しいという気持ちもありました。それもまた吉岡が入ったので。でも、上から順に矢野、吉田(樹、法4=東京・早実)、浅見(竣一郎、スポ1=宮城・東北)、髙田(淳貴、政経2=東京・早実)、吉岡と後衛が入って、その5人ならやってくれるだろう、誰でもやってくれるだろうなというふうに全然思ったので、自分が出てこうしたいな、とかは思わなかったですね。

ーー自分の役割はどのように考えていましたか

 声が出るので、僕の声でチームの応援引っ張るだとか、あとは4年生が半分試合に出ていて、そういうメンバーに対して、試合が1回終わるごとにする声かけは、一番一緒にいる時間が長いのは僕たち(4年生)なので、僕たちが率先してそういう精神的なところをサポートするべきだろうなと思っていました。そういう4年生に対してのコミュニケーションの取り方は結構気をつかいながらやらないといけないなと思っていました。

ーー見ていて、団体戦で一番苦しかった場面はどの対戦だと思いますか

 矢野・端山組の準々決勝、準決勝、どっちもですね。どっちも一次戦ファイナルデュースだったので。でも、どっちかというと、やはり準決勝の濵田・髙田組の方が、見てるこっちとしては、苦しかったと思います。矢野も準々決勝は、ミスをそんなにしている感じはなかったですが、準決勝から、さすがに試合が続いてるのもあって、ミスも珍しく出てきて、本人も少し不安そうな表情が見える時がちょくちょくありました。見ていて、負けるとかは全然思わなかったですが、少し心配だというか、頑張れ、みたいに思いましたね。

ーー決勝の1本目、吉田・松本組の試合はいかがでしたか

 いっくん(吉田)が要所要所で勝てないと、一緒に練習しながら、悩んでるのを近くで見ていた立場でした。インカレも、2日目は決勝まで1回も出ずに、1日目も負けてしまっていました。「やっぱり俺、ダメなんかな」みたいに思ってそうだったのがうかがえたので、見ていて、全然優勝はまだしていないのに、悩んでいる同期が報われた瞬間を見れた気がして、すごく感極まったのを覚えています。

ーー2本目の矢野・端山組の試合はどのような印象ですか

 矢野・端山組は橋場・菊山組とは何回もやっているので、彼らにしかわからない駆け引きがあったのだと思いますが、開始端山が橋場をはめてバンバンに点取って、矢野もそれに乗って点数を重ねていく姿を見ていました。いつもは逆で、矢野がうまく展開をやり進めて、主導権を握って、端山が絡むみたいな展開が多いのですが、インカレは逆でした。端山が引っ張っているように見えるシーンがとても多くて。端山も前日のミーティングで、2年生のインカレの決勝で自分がミスして勝ちを逃したというの悔やんでいるという話をしていたのもあって、端山だけではないですが、4年生の意地というのを、プレーしてる姿から教えてもらって、もっと応援も頑張んないとな、と思わせてくれるような試合でした。すごく顔つきが集中していて、間違いなくこれならいけると思った印象があります。

ーー3本目の浅見・安達組の試合はどのように見ていましたか

 浅見・安達組は1年生ながらめちゃめちゃ頑張ってくれていました。浅見と安達(宣、スポ1=奈良・高田商)がいなかったら、というと、情けないですが、戦力的にも、チームのフレッシュさ的にも、やはり2人の存在は大きかったと思います。春リーグから見ていても、だんだん僕たちのチームのために戦ってくれてるような見え方をしたので、僕的には感謝してもしきれないと思っています。プレーが上手なのはもちろんですけど、安達は緊迫した場面でも勝負に行くし、浅見の強気にラケットを振ってくれる姿を見ていても、強いなと思いましたね。

ーー日本一を目の当たりにして、どのような心境でしたか

 もちろん嬉しかったですし、今でもそうですが、やはり優勝した時のあの景色はもう忘れることはないだろうなというぐらいに、根強く印象に残っています。OBさんや保護者の方からもいろいろお言葉をいただくのですが、今年の4年生は雰囲気がいいね、と言っていただけて、日本一をただ取るというのもそうですが、この同期に囲まれながら、このチームで取れて良かったなと思います。

ーー改めて同期はどのような存在ですか

 4年間を乗り切る上で欠かせない存在だったと思います。プライベートで人間関係を結構いろいろ悩むのですが、そういうのを真面目に聞いてくれるやつもいましたし、それを逆におもしろいふうに受け取っていじってくれるやつもいるし、テニスを引退した今でも、休みの日でも練習をしようと誘ってくれるやつもいるし、プライベートで遊びに誘ってくれるやつもいるし。同期の9人とだけで4年間、遊びは終わってしまいましたが、それでも全然後悔がないぐらい、濃い時間を過ごせました。感謝でいっぱいですね。

ーー4年間を一言で表すなら、どのような4年間でしたか

 やりきった4年間だったと思いますね。練習ももう限界まで毎日したし、トレーニングもしました。テニスもいろいろな人に聞いて学んだし、自分なりにいろいろ考えてやりました。大学に入った頃は、4年間頑張ってナショナルチームに入って、というビジョンを描いたのですが、それとはまた全然違う4年間でした。4年前の自分だったら「おい」と言われるかもしれないですけど、でも、たくさん負けた分、余計勝つことの難しさや勝った時の喜びだったり、そういうのを味わえたので、負けは負けでもいい負けだったと思います。

ーー4年間で培ったものは何ですか

 僕は料理がうまいので、料理かなと思います(笑)。それは置いておいて(笑)、自主性が一番身についたと思います。生活からいくと1人暮らしなので、食事だったり選択をいろいろ基本自分でしなければいけないので、それをしながら学校に行って、部活もして。今でこそ当たり前ですが、高校までの自分からすると結構すごいことだと思います。大学の授業も自分で組んだり。テニスにおいても僕らは自主性を大事にしているので、自分で、今何が必要か、これはできている、とか自分に対しての振り返りっていうのをすごく何回もやったこともあって、そういう力はだいぶついたのではないかなと思います。

ーー今後テニスは続けますか

 仕事で大会に出ようにもあまり出れなかったり、練習もできなかったりすると思いますが、できる限りやりたいと思っています。

ーー最後に、これからの目標を教えてください

 みんなとまた会える時に、恥のないような人間になりたい、自慢できるような人生を送りたいですね。またみんなと再会した時、そういう時間を過ごしたいです。

ーーありがとうございました!

 

✿軟式庭球部の4年生の皆様

ご卒業おめでとうございます!皆様の益々のご活躍をお祈りしています。ありがとうございました。

2024年度軟式庭球部取材担当 佐藤結