【連載】『令和6年度卒業記念特集』第42回 町田脩太/バドミントン

卒業記念特集記事2025

尊敬する先輩と

 「早稲田大学バドミントン部に入って良かったことが多い」と語るのは、主将として早大バドミントン部を引っ張ってきた、町田脩太(スポ4=長崎・瓊浦)だ。大学入学当初から、尊敬する先輩とペアを組み関東学生選手権優勝、全日本学生選手権で2度の準優勝を成し遂げた。上級生になるにつれ責任感が生まれメンタルが強くなった。大学卒業とともにバドミントン人生に区切りをつける町田の、これまでを振り返る。

早慶戦を戦う町田

 小学1年生でバドミントンを始めた町田。印象に残る出来事があったのは、高校生の頃だった。中学生では全国大会への出場経験がなく、「日本一になりたい」と長崎・瓊浦高校に入学した。高校入学当初は強い先輩を目の当たりにし、自身の力不足に挫折することもあった。しかし日本一という目標に向かってひたすら努力を重ね、高校2年生の時全日本ジュニア選手権で優勝する。見事に有言実行し、「すごく嬉しかった」と振り返った。その後日本代表に選出され、その実力を伸ばしていった。

 そんな町田が早稲田大学バドミントン部に入部しようと思ったきっかけの人物が、現在日本代表として活躍する、緑川大輝(令5スポ卒=現NTT東日本)である。主にダブルスを戦う町田にとって、当時早大バドミントン部に所属し輝かしい成績を残していた緑川は憧れの存在だった。早稲田大学に入学して緑川とペアを組みたい、という強い気持ちで入学を決めた。

 緑川とは1年生の頃からペアを組んで試合を戦った。夢が叶ったが、現実は決して楽ではなかった。緑川と組んだのならば絶対に優勝しなければならないというプレッシャーが、町田に重くのしかかっていたからだ。また、大学入学当初は、高校生と大学生のプレースタイルの違いにも苦戦した。とにかくスマッシュを多用する高校生とは違い、レシーブ中心の選手が多い大学生のプレーに対応するには、時間が必要だった。

 印象に残っている試合は、やはり緑川とのペアで出場した1、2年次の全日本学生選手権だ。スムーズに戦えた準決勝までとは違い、決勝では雰囲気に飲み込まれ実力を上手く発揮できず、どちらも準優勝に終わった。特に1年生の時には、過去に勝ったことのある決勝の相手に対して攻めきることができず、悔しい思いをした。「1年生の自分はインカレ準優勝できるほどの実力ではなかった」と謙遜し、緑川への感謝の気持ちを語る町田だったが、間違いなくその後の糧となる経験だったであろう。「緑川さんと組むことができたのは一生の思い出」と語る言葉は力強かった。

 4年生になると主将として早大バドミントン部を引っ張り、目標として全体のレベルアップを掲げた。町田自身が練習試合を積み重ねて強くなるタイプであることら、前年度にはほぼなかった練習試合を大幅に増やした。また、チームのリーダーとして崩れないように気持ちを強く持つことを意識していると、自然とメンタルが強くなった。主将としてのプレッシャーはあまり感じなかったが、チームをまとめる難しさはあった。しかし、後輩たちが強くなっていく姿を見ると、主将としてやりがいを感じた。

後輩とペアを組み戦う町田(左)

 たった1人の同期、濱名直也(教4=東京・明星)の存在も心強かった。「主将という立場は反感を買いやすく好かれないが、そんな時も常に味方でいてくれたことはとても助けられた」と語る。部の運営をスムーズにするために、一緒に責任を持って動いてくれた同期に感謝している。

 早大バドミントン部の良いところを「素直なところ」と語る町田。アドバイスを素直に受け入れすぐに実践する各部員の姿は誇りだ。後輩たちには、限界を決めず成長してほしいと願っている。「どれだけ強くなっても、さらに上を目指してほしい」と語った。日本代表、あるいは大会で上位に入る選手になれるようになることを望んでいる。その思いを、きっと後輩たちは実践してくれるだろう。

(記事・写真 栗原礼佳)