【連載】『令和6年度卒業記念特集』第32回 木村百花/ハンドボール

卒業記念特集記事2025

「みんな」が好きだから

 ふわふわとした感じで始めたハンドボール、それはいつしか木村百花主将(スポ4=東京・白梅学園)にとって「生きがい」となっていた。大学での競技生活の多くをけがによって失ったが、その分得たものも数えきれない。コートプレーヤーからゴールキーパー、そして再びコートプレーヤーへ転身という異色の経歴の持ち主は、身体能力の高さと負けず嫌いな性格、ポジティブさを兼ね備えた最強プレーヤーだった。全身全霊でコートを駆け回った木村の10年間を振り返る。

早慶戦でシュートを打つ木村

 木村がハンドボールと出会ったのは中1の時。小学校でやっていたバレーボールを続ける気でいたが「先輩が怖そうだったから」という理由で入部を断念。当時、兄がやっていたハンドボールを見て、その華やかさに魅了された。「なんか楽しそうだな」という気持ちでハンドボール部に入部したものの、待っていたのは地味な世界だった。「砂がお友達」そんな言葉通り、練習中も試合中もただひたすらに走り続け、砂まみれ、日焼けなんか気にしていられない。ただ、もともと運動能力には自信があったという木村は、瞬く間に成長を見せた。中3では県の選抜選手にまで選ばれ、全国大会にも出場。小学校から続けているチームメイトよりも早くスタメンを勝ち取りたいという思いが木村をここまで大きくさせた。

 高校では「60分間フリースローを取られない選手に育てます」という監督の言葉のもと、強豪校にエースポジションとして入学。しかし、ある日木村は監督から驚く一言をかけられた。「ゴールキーパーやってくれないか」。木村にとっては思いがけない一言だった。「怖いし絶対に向いていない」。マイナスな気持ちが大きかったが、チームのために決断を迫られた。ついに木村は「日本一を取ったらコートプレーヤーに戻って良い」という条件でゴールキーパーに転身。ボールへの恐怖心はなかなか消えず、顔にボールが直撃することもあった。「やるしかない」。その一心でボールを止めていたというが、気づけばゴールキーパーとしてレギュラーの座を勝ち取っていた。高2の際には、3つの全国大会に出場し全て準優勝。コートプレーヤーに戻るため、全国一になるために必死だったが、いつの間にか木村は正真正銘のゴールキーパーとして自覚と覚悟を背負っていた。

シュート後仲間と共に喜ぶ木村(写真中央)

 今度こそ高校全国一を目指したものの、高3では新型コロナウイルスの流行によってその挑戦は全て白紙となる。高校でハンドボールを引退という選択肢もあったが、先輩などの勧めもあり、早大での現役続行を決意。同時に、ゴールキーパーとしてはやり尽くしたという思いがあり、コートプレーヤー復帰を果たした。最初はディフェンスなどでブランクを感じたというが、ゴールキーパー、フィールドプレーヤーどちらの経験も持つ木村はコートで一際輝いた。ただ、ここまで順調にきていた木村に大きな試練が訪れる。2度の大きなけが。1度目のけがはなんとかポジティブに捉えることができたが、2度目のけがはさすがに堪えた。退院後練習に行っても、つらくてトレーニングルームに逃げることもあったという。

練習を見守る木村

 でもくよくよしてはいられなかった。木村がけがで苦しむ中、頼りにしていた同期の退部や主将への就任、新体制の発足など周囲は目まぐるしく変化。自分のことだけでも手一杯だったが「主将が不安だと下級生たちも不安になる」と感じ必死に前を向いた。後輩や同期、先輩からの励ましも木村の大きな支えとなった。新体制となり木村が志したのは、みんながミスを恐れず、楽しくプレーできるチーム。「ミスを恐れてチャレンジしないようだったら、このチームに成長はない」。長い期間チームを外側から見てきたからこそ気づけたことだった。練習中は誰よりも最後まで走り、声を出す。そして試合中は仲間を応援し、時には励ます。そんな主将像が徐々にかたちづくられた。

 そして木村もついに早関定期戦で本格復帰を果たす。木村がプレー面で目指すのは「流れを変えられる」選手。大学入学時は明確な目標もなく、流れに任せて始まった競技生活だったが、さまざまな経験をした木村はハンドボールにこれまで以上にのめり込んでいった。秋季リーグやインカレ(日本学生選手権)でもキャプテンとして、プレーヤーとして役割を全う。チームで得点が入らない時間が続いた時は、自身が積極的にシュートを打ち込み、チームを盛り上げた。

早慶戦後の木村(右)と鶴田(左)

 現役最後の早慶戦、そこには早大選手全員が積極的にシュートを狙い、時には仲間のためにパスを回す光景があった。仲間が得点した時には皆が全力で喜び、ミスした時は仲間に寄り添い、全員で励ます。さらに木村が「いなくてはならない存在だった」と語る鶴田文乃副将(スポ4=山梨・日川)と共にスカイプレーでシュートを決めた際は、本人たちだけではなく後輩たちもが歓喜。そこにあったのは、木村が主将就任直後から求めてきた「誰1人置いていかない」ハンドボールだった。4年間の木村のプレーはもちろんだが、「みんながみんなを応援できる、早大女子ハンドボール部史上最も仲が良いチーム」を作り上げたこと、それが木村にとってこの4年間の最も大きな功績に違いない。

(記事 大村谷芳、写真 片山和香、三浦佑亮)