【連載】『令和6年度卒業記念特集』第6回 宮﨑滉巳/弓道

卒業記念特集記事2025

紆余曲折を経て

 28メートル先の的に向かって矢を放ち、的中数を競う弓道。宮﨑滉巳主将(社4=埼玉・県浦和)は弓道の魅力について「一筋縄でいかないからこそ面白い」と語った。

 弓道との出会いは高校生の時。「勝てる競技をやりたい」と思い、関東大会出場を果たしていた弓道部への入部を決めた。宮﨑は高校時代の弓道をこう振り返る。「不完全燃焼で終わってしまった」。高校3年時にはインターハイに出場し予選を突破したものの、そこから勝ち進むことができなかった。もっと上を目指したい、すごい人から教わりたい。溢れんばかりの弓道愛とともに宮﨑は早大で弓道を続けることに決めた。

 当時の4年生に目をかけられ、着々と経験を積んでいった1年目。高校時代とは異なる射法に挑戦しながらがむしゃらに練習に励んだ。練習では当たるが本番でその力を発揮することはできず。「あまりいい結果は残せなかったが、経験を積む1年としてとても良い経験をさせてもらった」と振り返った。2年生では1年目の経験を踏まえ、試合できちんと的中をだせるようになり、全国大学弓道選抜大会や全関東学生選手権では皆中、リーグ戦では個人で入賞という結果を出した。リーグ戦では最終的に1部リーグ残留を決められたこともあり、「部としても自分自身としても大きな一年だった」と話した。

 しかし、3年生のシーズンの序盤から4年生の夏前まで怪我に悩まされてしまう。「元々主将を務めようと思っていなかった」。チームをまとめる役割よりも、怪我を克服してチームの中心で活躍したい気持ちが大きかった。怪我を抱えながらも結果を出していたからこそ、その意思は強かった。その思いを変えたのは、同期たちの「僕らが支える」という言葉だ。任せられるのは宮﨑しかいないという厚い信頼を受け、主将を引き受けることにしたという。

主将として臨んだ全関東学生弓道選手権で活躍をみせた宮﨑

 主将として「とにかく勝ちにこだわって」良い雰囲気で部を回すことに尽力した。「多田(匠吾、先理4=東京・早大学院)と竹宇治(雄介、政経4=東京・早実)は基本的に優しいけれど、僕はきついことを言うことも多い。それでもお互い意見を言わずに飲み込むことはしない。必ず二人に意見を求めるようにしていた」。相手の意見を受け止め、こうした方が良いのではないか、と互いを尊重し合いながら議論する。意見が合わないことを恐れない。一人で決断し動こうとせず、周りの意見を受け入れチームの方針を定める。周囲の信頼に応え、一年間全体を率いてきた。

 後輩との接し方にも気を配り、後輩にどのような声をかけるか一人一人の性格を考慮し自身の経験のもと関わってきた。「蒼(佐藤蒼、教1=東京・早大学院)は自分のやり方を確立していて安定しているタイプなので、普段から励ますよりもできたときに『おめでとう』と声をかけるようにしていた。逆に、繁田(舟蔵、基理1=東京・早大学院)は昔の僕と同じように緊張に弱いタイプ。やらないといけないことだけに集中できる環境を作って、声も積極的にかけるようにしていた。浅井(啓真、法1=東京・早大学院)に関しては、竹宇治が中心になってよく見てくれていた」。

 宮﨑は、主将として挑んだ第36回全国大学弓道選抜大会の一回戦を忘れられない試合に挙げた。落の宮﨑の残り一射を残して早稲田が15中。当てれば対戦校と同中で一手競射に持ち込める場面で外し、敗退が決まった。「弓道に対する自信がなくなってしまったと同時に、自分を見つめ直す転機になった」と語る。

忘れられないと語った全国選抜大会 射位に入る選手たち

 大学卒業後は、余裕があれば弓道を続けたいと話す宮﨑。「歳を取っても仲間と弓道を通じて会えたらいいな」と変わらぬ弓道愛が垣間見えた。うまくいくこともあれば、いかないこともあった。悔しい思いを抱えながらも主将として部を引っ張ってきた。信頼に応え努力を惜しまない宮崎の姿勢は、これからも受け継がれていくだろう。

(記事 河野紗矢 写真・編集 富澤奈央)