【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第25回 山本勝也/卓球

卓球男子

『ワセダ』を背負って

 「後輩には、もっとワセダとしての誇りを持ってほしい」。他の大学にはない『ワセダブランド』を背負い、チームをけん引した山本勝也(スポ=石川・遊学館)。卓球ではもちろん、普段の行動から「ワセダとしての誇り」を持ち続けた。主将という重役も務め、技術面のみならず内面も成長を遂げた山本は、今後も実業団でプレーを続ける。

 小学4年生のとき、母親に連れられて卓球の大会を見に行った山本。そこで福原愛(ANA)がプレーする姿を目にし、自分もやりたいと思ったのが卓球を始めたきっかけだ。地元のクラブチームで週に数回の練習から始め、半年後にはほぼ毎日練習するようになった。このころから、ずっと卓球を続けていこうという意識は芽生えていたという。中学生の時、一度だけワセダの卓球部を訪れる機会があり、そこでワセダへの憧れを抱き始める。高校は、自らの意志で親元を離れ、石川県の学校に進学。慣れない寮生活は「うつになりそうなくらい大変だった」と振り返る。しかし仲間と切磋琢磨(せっさたくま)しながら着々と好成績を積み重ね、念願のワセダに入学。山本の卓球生活は新たなスタートを切った。

ワセダの誇りを持ってチームをまとめ上げた山本

  ひたすら監督やコーチの指導に従って練習していた高校までと比べて、大学の部活動は大きく異なった。自ら考え、モチベーションを上げていかなければならない。山本への期待は大きく、1年生の時から同期の大島祐哉(スポ=京都・東山)と共にリーグ戦に出場。しかしプレッシャーに押され、相手に向かっていく気持ちを持つことさえも難しい。なかなか思うような結果を残すことができなかった。それでも場数を踏むにつれて着実に実績を残し、山本はその期待に応えていった。

 大学生活で『人間性』に磨きがかかった山本。OBをはじめとした社会人と接する機会の中でさまざまなことを学んだ。高校生の時には分からなかった『人間性』の深い意味が理解できるようになり、内面から変わったことで「キャプテンをやりたい」という思いが芽生える。中高では経験がなかった主将という立場には、迷うことも多かった。時に同期と相談しながら、後輩には厳しく接することで『ワセダブランド』の名にふさわしいチームをつくり上げていった。「チームが勝てないときには、一番落ち込んだ」。個人としての成績を残したい中でも、常にチーム全体を見ることを忘れない。自分よりもチームのことを第一に考えるようになり、『主将』としての山本が確立されていった。

 春からは、実業団で卓球を続ける。これからは限られた時間の中で、仕事と卓球を両立していかなければならない。「会社を背負って戦う」。実業団に所属する選手たちがしのぎを削る日本リーグで、新たな誇りを持って戦っていくことになる。個人としては全日本選手権でのランク入りを目標に掲げた。ワセダの4年間で得た経験は、この先の卓球生活でも山本の心強い味方になってくれるはずだ。

(記事 橋本望、写真 豊田光司氏)