早慶スポーツ紙コラボ企画の第1回目を飾るのは、早大野球部出身の青木宣親(平16人卒=現東京ヤクルトスワローズ)だ。早慶戦を見たことがきっかけで早大への進学を目指したという青木選手。早慶戦での思い出はもちろん、学生時代の秘話やラグビー競技との関わりまで幅広くお話を伺った。
「プロに行くという明確な目標をもって」(青木)挑んだ大学4年間
――野球を始めたきっかけは何でしたか
青木 兄の影響で始めました。兄が少年野球チームに入っていて、その少年野球チームに自分がついて行って、物心ついた時にはもう野球をしていました。
――早大に入学を決められた理由はございますか
青木 それこそ、NHKで早慶戦を見た時ですね。それで早稲田を知りました。高校1年生の時に初めて見て、早稲田の指定校推薦が日向高校にあったので、その指定校推薦を狙って早稲田に入りました。
――青木選手の時代は、早大にスター選手が多かったと思いますが、レギュラーをつかむために苦労したことはありましたか
青木 自分以外に3人がプロに行っていますが、その3人に比べると自分は甲子園にも行ってないですし、どちらかというと野球を高校まではそんなに教えられていなかったので、大学に入った時は他の3人とはかなり差があって、野球を一から学んでいる感じでした。
――そのような苦労もあった中で、学生時代のモチベーションは何でしたか
青木 4年後にプロに行くという明確な目標を持って過ごしていたので、それがモチベーションになっていました。4年後には確実にプロに行くということを強く意識していました。
――ラグビーとは違って、野球の試合では応援部のコールが盛んに行われていると思います。当時の青木選手にとって応援の力とはどのようなものでしたか
青木 今もこうして神宮球場で自分は野球をやっていますが、大学の応援というのはすごく良いですよね。雰囲気を作ってくれますし、またプロとは違う大学野球の応援は非常に魅力があります。
早慶戦の思い出
――学生時代の早慶戦での思い出はありますか
青木 やっぱり早慶戦の思い出は、お客さんの多さです。自分は人生で初めて球場が満員になった中で試合をしたのが早慶戦でした。あの時のドキドキ、緊張感というのは今でも覚えていますね。打席に入って必ず打ちたいと思いましたし、センターを守って必ず取りたい、良いプレーをしたいと思いました。お客さんに見られてプレッシャーを感じつつも、どこか楽しんでいるようなところが自分の中にはありましたね。
――学生時代、慶大にライバル選手はいましたか
青木 慶応はライバルですが、特別に選手としてライバルはいないですね。あまりライバルという意識はなくて、本当にプロに行くことが自分の目標だったから、自分と向き合うことの方が多かったです。
――学生時代に野球以外で早慶戦に行ったことはありますか
青木 野球以外の早慶戦は無いんですよ。自分がやる側だったというのもあって、なかなか応援する時間も無かったので。行きたかったんですけどね。
――行ってみたかった早慶戦とかはありますか
青木 それこそラグビー見に行きたかったですよ! 僕は小学生の数カ月間だけラグビーをやっていたことがあります。当時、足が速かったから、それこそ高校に入ったらラグビーをやろうかと思っていたくらい(笑)。良かったですよ、野球やることを選んで(笑)。大学生になってから初めてプロに入りたいという明確な目標を持ったから、高校生くらいまでは現実的ではなくて。別に野球学校でもないし、夢のレベルだったんです。うちの兄はラグビーをやっていたから、その影響で高校からはラグビーをやろうかなという感覚でしたが、知り合いが野球部見に行こうと言ったのについていって、そのまま結局野球部に入部したんですけどね。野球は当然好きだったので。
――お兄さんが途中でラグビーに移られたんですか
青木 そうそう。中学ぐらいからラグビーをやっていて。だからラグビーは割と身近な競技でした。だから自分も、というのはありましたね。
――同期で仲の良いラグビー部員の選手はいらっしゃいましたか
青木 大学時代の唯一の後悔と言えば、野球部以外の人間と関わっていないことです。もう少し大学時代に交流を持ちたかったなと思うし、かと言ってそういう時間もなかったし。とにかく単位を取って卒業もしないといけないし、プロ野球選手になりたいから4年間必死で野球をやったし・・・そんな学生時代でしたね。おかげさまでプロに入れたので間違ってなかったと思いますが、そういう交流ももう少しあっても良かったなと今になって思います。
――青木選手にとって早慶戦とは
青木 野球の早慶戦は、初めて自分を作り上げてくれたものかもしれないです。プロを目指すにあたって、ああいう大舞台でやるというのは、よりプロを意識させられたし、楽しくも感じたから。こういう雰囲気の中でやりたい、プロでやりたいと思ったきっかけは早慶戦でした。大学野球であそこまで満員にできるのは早慶戦しかないので、本当に幸せな瞬間でした。
――今もヤクルト球団は神宮球場がホームだと思いますが、当時のことを思い出すことはありますか
青木 もう、しょっちゅうありますよ。大学は自分の人生のターニングポイントで、大学4年間で自分が変わることができたので。それまで宮崎で育って、高校生まではなかなか自分を変えたくても変えることができる環境にもなかったので。早稲田に来て本当に良かったと思います。
――特に早稲田大学の好きなところはありますか
青木 早稲田に入って良かったと思う瞬間は、卒業してから気づきました。在籍していた時は交流が無かったからそこまで意識したことはなかったですが、卒業していろいろなところで早稲田の人と会うことがあって、例えば大企業の社長さんだとか、そこに勤められている方とか、マスコミの方とか、早稲田出身の人はいろいろなところにいるから。それこそアメリカのメジャーリーグにいた時も、アメリカに稲門会があって、シカゴにあったり、ロサンゼルスにあったりわざわざ応援に来てくれたりとか、そういうつながりもあります。早稲田大学自体が今世界に目を向けているからこそ、そういうネットワークが世界にもありますね。それは卒業して感じたことですが、早稲田というのはさまざまところに関係性があると思います。
――今、振り返ってみて早大に入って良かったと思う事はありますか
青木 それこそ早稲田のおかげで今自分はこうやってプロ野球ができたといっても過言ではないです。当時は野村徹さん(第16代早稲田大学野球部監督) という監督でしたが、野村さんが自分を変えてくれたと思うので、考え方の基礎は早稲田にあります。
――今、早稲田の学生に伝えたいことはありますか
青木 次へのステップとして、その時を一生懸命に生きてほしいです。社会人になる一歩手前なので。でも、それと同時にやっぱり楽しんでほしいなとも思いますね。いろいろな交流を持って見聞を広めるのもいいですし、人と関わって良い人脈を作っていってほしいです。
「全て順風満帆だったわけではない」(青木)
写真はご本人さまより提供
――これまでのプロ現役生活の中で1番印象に残っている場面はございますか
青木 たくさんあります(笑)。そうだな、2年前に日本一になった時や、アメリカでワールドシリーズに出て、最後にリーグチャンピオンになれたとか。WBCも2回優勝することができましたし、世界大会でも挑戦できたというのは僕にとって大きいです。でも、こういった出来事が全て順風満帆だったわけではなくて、小さなミスをたくさん経験して、次の試合では必ず修正する。そうやってきて、今の僕がいると思います。今年20年目になりますが、20年間やれたのはそういうことだと思うんですよね。小さいミスで済ませて、次に大きなミスをしないことをいつも心掛けていました。
――青木選手自身の今後の目標を教えてください
青木 再び、日本一になることが目標です。自分が納得いくまでやりたいなというのが正直な気持ちですが、その判断は自分で決められることでもないですし、現在ヤクルトの中でも若い後輩たちが育ってきてくれているので、すごく嬉しい気持ちもありながら、傍から見たらライバルなので、自分も試合にでたいなと思ったりします。
――20年間続けてきたからこそ、今若手選手に伝えたいことや必要だと思うことはございますか
青木 取り組みと考え方が非常に重要だということです。そこが全てと言っていいほど大切なものなので、まずはその考え方や取り組み方を確立してほしいと思います。やはり、自分と向き合うことは大切なので、若手選手にはその部分を大切にしてほしいと思いますね。
100回目となるラグビー早慶戦に向けて青木選手からメッセージ
――ラグビーワールドカップはご覧になりましたか
青木 見ました! 10年前とは比べ物にならないくらいにラグビーが今強くなってますよね。そうやってもっとラグビー界を含め、スポーツ界が盛り上がってほしいなと思います。
――ラグビーを実際に見に行かれたことはあるのでしょうか
青木 10何年以上前に秩父宮だったかな。ラグビーが好きだったので、7人制ラグビーを見に行ったことがあります。
――具体的にラグビーのどんなところが好きなのでしょうか
青木 パスで選手の間をボールがパッとくぐっていったり、ギリギリの所でタックルを交わしながらパスをしてつないでトライしたりとか。その連続のシーンは見ていて気持ちがいいですよね。
――100戦目になるラグビー早慶戦に向けて、早大ラグビー部員へ期待することはありますか
青木 100戦目ですからね! 早稲田の伝統と共に、この早慶戦を必死に勝ちにいってほしいと思います!
――では最後に、両校選手にメッセージをお願いします
青木 100戦目という歴史ある舞台に立てることを誇りに、プレーしてほしいと思います。頑張ってください!
――ありがとうございました!
(取材・編集 川上璃々、濵嶋彩加)
◆青木宣親(あおき・のりちか)
1982(昭57)年1月5日生まれ。宮崎・日向高出身。2004(平16)年人間科学部卒。現東京ヤクルトスワローズ。NPB(日本野球機構)史上唯一の2度のシーズン200安打達成者であり、NPB歴代4位のシーズン安打記録(209安打)を保持する。日米通算2500安打を達成(2021年シーズン時点)している。