【連載】ラグビー卒業記念特集『不撓不屈(ふとうふくつ)』第2回 植野智也

ラグビー男子

ラグビーの呪い

 「日本一のタックラーになる」ーー入部時の目標として植野智也(法=東京・早実)が掲げていたものだ。相手を突き刺すタックルを果敢に仕掛け、一貫したプレーで相手の攻撃を封じる。それが植野の魅力であり、モットーでもある。入部から赤黒まで、そして赤黒から卒業まで、何を思っていたのか。植野の4年間を紐解く。

3年時、筑波大と対戦した関東大学対抗戦での一枚

 植野がラグビーを始めたのは6歳のころ。かつて早大ラグビー蹴球部でプレーしていた父に、嫌々ラグビー教室に連れて行かれた。「痛そう、汚そう、臭そう。」そんな風に思っていたラグビーが、気づけば人生を語る上でなくてはならないものになっていた。

 早大ラグビー蹴球部でプレーすることに憧れ、高校は系属校である早実高に進学。3年時には早実史上79大会ぶりとなる花園出場を果たした。しかし、植野は一度そこで燃え尽きてしまったと振り返る。大学でもラグビーを続けるか、監督にも相談し悩んだ。大学で競技を続けることで何を得られるのか問い続けたものの、明確な答えは出なかった。「結局はやってみるしかない」。そう、入部を決意した。

 しかし、入部して3カ月ほど経ったころ、当時監督を務めていた相良南海夫前監督(平4政経卒=東京・早大学院)に退部を申し出た。すごく調子が良く、入寮も決まって波に乗っていた時期。だがその裏腹、自分の人生にはラグビーしかないという不安を抱えていたのだ。

 6歳でラグビーを始めてからラグビー一筋で生きてきた植野。だからこそ、このままでいいのかと悩んだ。しかし退部を申し出た時、相良前監督に「それはお前の本当の意思では無いと思う」と言われ立ち止まった。「なんとなく入部してしまったことが影響していた」と当時の心境を語る。監督の言葉をきっかけに、もう一度考え直した植野。今度こそしっかり自分と向き合い、改めて4年間をラグビーに捧げる覚悟を決めた。そして、ここから植野の赤黒を目指す長い戦いが幕を開ける。

仲間をサポートする植野

 赤黒は植野にとって『憧れ』。小さい頃から父の背中を追い、早稲田ラグビーを見てずっと憧れてきた。それは卒業を迎える今も同じだ。赤黒を着る時にはいつも一試合一試合緊張し、その試合に責任感を持つことを大事にする。「赤黒を着るということは背負うものがある。それをむげにしてはいけないからこそ、自分がいいプレーをすることよりもチームを勝たせるプレーを」と心がけた。

 植野が初めて赤黒を着ることになったのは3年生の秋。関東大学対抗戦初戦の立教大戦だった。その記憶は緊張一色。何も考えられないくらい頭が真っ白だったと振り返る。さらに植野は、赤黒を掴んだ要因に何か特別なものがあるわけではないと話した。「一貫性を常に大事にしていただけ」だと。植野は入部時から、一貫した自分のプレーを出し続けることが仲間の信頼を得ることに繋がると信じていた。その思いをようやく3年時に体現し、ついに赤黒を手にしたのだ。

 迎えたラストイヤー。順調に3年時に赤黒をつかんだ植野だったが、春シーズン以降なかなか調子は上がらなかった。最高学年になったことに対して無意識にプレッシャーを背負ってしまっていた。さらに夏にはケガもしてしまい、十分な練習ができないまま秋シーズンへ。実はこの期間、植野は度重なる脳震とうに悩まされていたのだ。

 関東大学ジュニア選手権(ジュニア選手権)初戦で気を失って以来、3カ月の間に4回脳震とうを起こした。脳が揺れやすく、脳震とうになりやすくなってしまっていた。ジュニア選手権最終戦でもファーストプレーで相手を突き刺すタックルを見せ、気合を入れて臨んでいたが、直後のセカンドプレーで倒れてしまった。脳震とうを繰り返し、タックルすることが怖くなった期間もあった植野。しかし、早稲田ラグビーでプレーできるのは残りわずか。監督やトレーナーの支えのもと、苦しい心境の中でも植野は最後まで自分らしいプレーを突き通した。

追い出し試合でトライを決め喜ぶ植野

 ラストシーズン、結局植野は赤黒を着ることができなかった。しかし、ベンチにいた全ての試合でピッチの選手と同じように戦っていた。リベンジを果たした全国大学選手権の明大戦では自分が試合に出ているかのように緊張し、勝った瞬間にはみんなで抱き合いながら喜んだ。決勝では帝京大に敗れてしまったが、「決勝まで連れてきてくれて本当にありがとう」と仲間に感謝を伝えた。

 ラグビー人生を一言で表すと『呪い』。植野はいつもそう答えている。植野にとってラグビーとは、自分の人生にかかった呪いのようなものなのだ。大学進学時に悩みに悩んだ末に決めた早大ラグビー蹴球部への入部。しかし今、呪いにかかった後悔は無い。「もっと迷わず早稲田ラグビーを選べば良かった。」ーー卒業を迎えた植野は、こう振り返った。そして、これからはラグビーとは関わらない人生を歩み出す。早稲田ラグビーで得たたくさんの人との深い繋がりが、今後植野の大きな財産になっていくのは間違いないだろう。4年間の全てを胸に刻み、心新たに人生の次のステージへ進んでいく。

(記事 濱嶋彩加 写真 大滝佐和氏、鬼頭遥南氏、山田彩愛氏)