主将金子佳央の本懐
金子佳央(教4=東京・都市大付)が合気道を始めたのは、4年前のことである。高校まで続けていた少林寺拳法と、相手の人体の構造を利用するという共通点がある合気道に挑戦し、武道としての視野を広げようとしたのがきっかけだった。乱取りの選手として出場した大会は2019年関東学生新人大会(新人戦)、2021年早慶定期競技会(早慶戦)の計2回。初めての公式戦で挑んだ2年生の5月に行われた新人戦には、団体戦で優勝、個人戦で演武3位と好成績を残した。金子は、団体戦で優勝したことへの安堵の一方で、個人戦で結果が振るわなかったことに対する不甲斐なさを感じたという。また、同時に緊張した場で活躍する先輩の姿に衝撃を受けた。合気道部の合宿は夏、冬にそれぞれ行われるのが常で、短期間での合氣道中心の生活によって、自分の得意技を見つけることができた。金子が1年生の合宿最終日、部内戦で先輩同士の乱取試合が始まった。そこで感じたのは、4年間の鍛錬でここまで綺麗に技が決まるのかという驚きだった。試合記録用のカメラから、レンズ越しに自分の目標がはっきりみえた瞬間であった。
ところが、2020年度からコロナウイルスの蔓延防止により、大会の中止が相次いだ。公式戦や合宿はやむなく中止。例年通りにはいかない練習環境のなかで、部全体のレベルを維持、向上させるのは容易なことではなかった。それでも、主将として全体をみることに意識し、声かけを心がけた。規制がようやく緩和していったのが、2021年である。他の運動部同様、徐々に試合が再開され始めたところで、金子にとって最初で最後の早慶戦が行われた。結果は個人戦で乱取演武ともに勝ち星を挙げた。5年連続の勝ち星に貢献し、講評で間合を高く評価された。そのじつ当たって砕けろ、の精神で試合に挑んだのだと、本人は語る。練習試合で綺麗に相手を投げることが出来たとき、稽古してきた甲斐があったと報われたような気持ちになった。逆に、何日も練習して結果が出ない時は、迷いや悩みを感じながら、精神的、身体的に追い詰められた。それでも、週6の部活動と勉強を四苦八苦しながら両立させ、練習を継続させた。日々の稽古に努力を重ねた自負は確かにあった。さりとて、乱取では、双方のコンディションがごまかせない状態で人目につく場となる。確かに、同陣営からの応援が選手の力になることは間違いなく、早慶戦では帰属意識を強く感じさせることだろう。ただし、周囲の人間の助けを借りながら、自分が培ってきたものが解放される実感が強き競技なのだと金子は言った。自身の選手としての自己評価は45点。理由は、技の質が本番のメンタルに左右されてしまうことが多かったから。心身の修練が武道の目標であり、同時に難しいところだが、最後の早慶戦までに、本人の及第点に達することはなかった。主将としての自己評価も、甘く見積もって60点。目に見える形で結果が残せなかったのが一番心残りだそうだ。プレッシャーに飲み込まれない心構え。大会本番での下積みがなかった分、そこまで持ち合わせがなかったのは仕方のないことであろう。
4年間の集大成を見せた金子(写真右)
また、金子にとっての早稲田らしさとは何か尋ねたところ、合気道に対する真摯な向き合い方が垣間見てとれた。大学生の若い体力や筋力、スピードなどに頼らず、体の軸があった上で、誰が観ても拍手してしまうような、綺麗な技を出す。合気道界において、早稲田は流派の発祥であり、世界で最も精度の高い合気道と言えるだろう。そのような土壌を早稲田の伝統とし、引き継いでいってさらに付け足していくこと。それが早稲田らしさに繋がると、彼は語った。後輩に向けて、「早稲田は、俗っぽくいえば早稲田ブランドというものがあると思います。歴史の重みやプレッシャーを感じながら、練習や大会に出てもらえれば、自分にとって糧になるはずです。」とメッセージを残した。
ところで、1年間主将として活躍し、部を牽引してきた金子にも、自分が本当に何をやりたいのか、見失った時期があったという。先代が培ってきた土壌のなかにずっと縛られてしまって、どのように進みたいのか見当たらなくなってしまった。そんなとき、ある人からもらった言葉が、その後の彼の中に残ったそうだ。「やりたいようにやる」。この言葉から、自分のやりたい技や、全体の練習方針がはっきり見えてきたという。彼が合気道を通じて得たことに、目標を見つけて見据える心構え。そして根気強さ。大学卒業後は修士課程に進み、合気道も続けていく予定だそうだ。理想とする早稲田らしさに逆行しているようで、形式にとらわれない自立した姿勢こそ、早稲田らしさに通じるものがあると言えよう。
(記事 久家舞子 写真 部提供)